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【FMCを知る】代表・安東編

2023年10月で間もなく7期目を迎える株式会社FMC。「そういえばFMCってどういう経緯で設立されたの?」「なんでWebやデザインだけじゃなく、音楽やアパレル、イベントの企画などいろんなことをやっているの?」という事に今まであまり触れられてきていませんでした。

今回は代表である安東のバックボーンを掘り下げ、FMCをもっと深く知ってもらおう!ということで、早速インタビューを決行してみました。
少し長いですが、温かい目でお読みいただけたら幸いです。

安東 裕二(あんどう ゆうじ)

1981年、埼玉県生まれ。ルーツは韓国。焼肉屋の倅として育つ。
20代は音楽活動を主としながら、Webディレクター/デザイナーとして活動。
2005年、アプリ開発会社の創業メンバーとしてディレクターを経て、Webコンサルティング、音楽事業を行なっている英国法⼈Walf株式会社のクリエイティブディレクターに就任。
2012年、教育業界のスタートアップ企業内にて⾃⾝のWeb事業部を発足。
様々なWebサイトの構築、デジタルマーケティングの領域を経験し、2018年より株式会社FMCを設⽴。

所属の音楽グループではフジロックフェスティバルに出演、2010年よりアップルストア銀座、渋谷WOMB等でレギュラーイベントを開催。数々のアーティストサポートや海外アーティストとのコラボレーションを行なう。

FMCでは「世の中をシンプルに、もっとわかりやすく」という理念のもと、Webサイト制作、コンサルティング、アパレル、音楽事業と幅広い領域でのトータルブランディングを強みとし、日常の中にある難解なことをITとデザインの力で解決している。

-本日はよろしくおねがいします。

よろしくお願いします!

-早速なのですが、安東さんは以前から音楽業界にも携わっているとお聞きしました。当時の背景やきっかけなどがあったのでしょうか。

そうですね。20代から音楽をやっていて、いわゆるインディーズと言われているような世界の中で、いくつかのレーベルを転々としながら音楽活動をしていました。

自身のグループではフェスへの出演、全国のアップルストアやクラブなどでイベントを開催。

きっかけとなったのは19歳の頃ですかね。大学の音楽サークルに所属していたのですが、緩やかに過ぎていく日々や周囲の環境に耐えきれず、3ヶ月で大学を退学してしまいました。

-3ヶ月で!

はい、そうなんです(笑)最初の夏休みが永遠の夏休みに・・・。
その頃はもっと本気で音楽をやりたいと思っていて。といっても、一人だったので、どこにいったらバンドメンバーと出会えるかなぁと模索していたところ、埼玉の上尾というところにある「スタジオサウンドクルー」という音楽スタジオに出会いました。そこは当時、”ハイスタンダード”や”くるり”などがレコーディングしているような現場で「こんなところあったんだ!ここで働きたい!」と強く思いました。

そこに僕は、募集しているかわからないのに突然電話して、なんとか面接をしてもらえるようにお願いして。

今思い出したのですが、確か面接前日に交通事故に遭ってしまって。目元に怪我をしてしまい、見られるのが恥ずかしくてサングラスを掛けて面接に挑んだのは今でも当時の店長にいじられます(笑)

-そんな思い出が(笑)当時から行動力がすごいですね。

当時から思い立ったらすぐ行動しちゃうタイプでした。結局、無事働かせてもらえることになりましたが、そこにいたメンバーがとにかく魅力的なお兄ちゃんたちばかりで。自分にとっての大学生活というか・・・社会人としての基本もそうですし、大人のかっこいい遊び方をたくさん教えてもらいました。スタジオのロビーではいつも面白い大人たちが自然と集まってきて、深夜まで色々な話を教えてもらいました。あとはもうとにかく全員テンションが高くて。毎回スタジオにいくのが楽しみで仕方ありませんでした。
そのおかげで、どっぷりと音楽の世界にのめり込んでいきました。

三度の飯よりビレッジバンガードが好きだった頃の安東。

-素敵なきっかけです。それではその後、安東さん自身も音楽の道へ進まれたということですね。なにか行き詰まった経験や、挫折の経験はあったのでしょうか?

はい、もちろんありました。自分のグループは一時期大きい芸能事務所にお世話になっていた頃もあるのですが、やりたいことで生活していくことの難しさを知りました。

今でこそ、どこかに所属していなくても自分たちでインターネットでなんでも発信していける世の中になりましたが、当時は環境のせいにして、「自分たちが売れないのは発信してくれない大人が悪い」、と人のせいにばかりしていたのだと思います。それに当時は、ただただ尖っていたのだと思うのですが、メジャーのアーティストは売れてるけどかっこ悪い(やりたいことやってない人たち)、俺たち(俺は)もっとオルタナティブな存在でいたい」というようなこだわりも強くって。結果的に尖りきるわけでもなく、マーケットに媚びるわけでもなく、絶妙にどっちつかずのポジショニングをとっていたことで、やりたいことだけでは食べてはいけない現実を知りました。当時では伝わりづらい音楽性だったこともあったかもしれません。

-なかなか難しい問題ですよね。

そうですね。その後は自分たちでレーベルを作り、音楽で食べていくことよりも、ちょうどよい距離感で音楽に向き合っていくことに決めました。他のミュージシャンのサポート活動も含め、様々なイベントに出る機会も増えていき、地方への遠征や海外の砂漠の地でライブをさせてもらったり(笑)。そういう生活も楽しかったのですが、だんだんと自分のバンドのプロモーションのために覚えたサイト制作やデザイン業務に意外と世間の需要があるなぁと感じ、それはそれでやりがいを感じていました。その頃はとにかく色々なことをなんでも試してみよう、と。

他にも、”ラーメンズ”にあこがれて劇団を立ち上げ、いわゆるコントのような実験的なことをやってみたり(笑)、バンドメンバーと一緒に映像制作のチームをつくったりもしてましたね。色々やりすぎてどこにも軸がないような日々だったかもしれません。でもすごく楽しい日々で、その頃があっての今があるのだと思います。

「楽器を持たずにステージに立ちたい」という思いから怪談とラップを組み合わせる実験をしていた頃の安東。

-多方面にわたって活躍されていたのですね。当時からサイト制作を請け負っていたり、Webに関する知識や経験も当時から備わっていたのでしょうか。

全然、最初から備わっているものは何もなくて。当時働いていた音楽スタジオの先輩に社会の常識やWebの知識、デザインツールの使い方など、あらゆる知識を教えてもらっていました。Webについてはもちろんですが、どんなことでも必要なものは自分たちで揃えるDIYの感覚が身についたかもしれませんね。実は今の取締役の熊田も、デザイナーの小谷野もそのときのスタジオの仲間たちなので、もう20年以上の付き合いになりますね。

熊田氏と数年ぶりに当時のスタジオに訪問したとき。

その頃の経験を活かし、20代後半くらいからだんだんとWebに関する事業や仕事と密接に関わっていました。今思うと好きなことしかしていなかったなぁという感じですが、音楽活動も並行しながら「IT×音楽」を軸に事業を行なっていたWax Music Entertainment(現・英国法人Walf)という会社でWeb事業を任せてもらっていた時代を経て、フリーランスとして独立しました。ただ、一人でやってみてもそこまで忙しくなるわけでもなく。どうせなら自分の仲間たちとチームをつくって仕事をしていきたいなぁと考えていたときに、30歳になったタイミングで前の会社の代表と知り合います。

その会社は教育関係のことをやっていたので自分になにかできることはあるかな、と思っていたのですが、詳しく聞いてみると「アナログな教育業界をDX化していきたい」という強い思いのある代表で。ありえないくらいの熱意のある人でした。

面談のときから「この会社の中でWeb事業部をゼロから立ち上げてほしい」というオファーをいただき、どこかで普通に就職する気はなかった自分でしたが、それは確かに面白そうだ!、と。完全に口説かれました(笑)

事業部の立ち上げで奮闘。社員旅行の朝の安東。

当時は、これはやりがいあって面白いことを任されたぞ〜と非常にワクワクしていました。スタッフの採用も含め、全て自らチームを構成する必要があり、そこで誘ったのが今の取締役の熊田です。ここからWeb事業部・部長としての時代が始まります。実際にやってみると、音楽もやりつつ仕事も慣れず、両立がとにかく大変で。

無我夢中にやっていて、3年くらいであれよあれよと会社の取締役を任され、そこから数年は経営の大変さを学びました。自分の事業部だけではなく他の事業部それぞれの売上、利益、人間関係。その頃は今思うと本当に良い経験をさせてもらったと思いますが、思い返すとまあまあ地獄の日々でした(笑)

行き詰まって新宿御苑でパソコンをする安東。

-そんな変遷があったのですね。今の安東さんの基盤となる出来事ですね。

そうかもしれません。
そんな日々を経て、数年経ち、36、7歳くらいのタイミングですかね、取締役として他の事業部の面倒もみたりしているうちに、だんだんと自分の事業だけで経営をしてみたい、という思いが強くなってしまって。スタートアップのベンチャーなので今覚えば本当に良い経験だったのですが、どうせ自分でやるなら今だ!という気持ちになり、そこからはもうほぼ記憶がないくらい色々な段取りをぐわーっと行ないました。社長とも何度も話し合い、色々な大人の調整を経て(笑)、なんとか自分の会社をつくることになりました。諸々の段取りが終わった後、休日の夜唐突に熊田の地元まで押しかけていって、「会社立ち上げるからついてきほしい」と伝えて、めちゃくちゃ驚かれたのは今でも鮮明に覚えています。

FMCは創業が2018年1月となっているのですが、当時の会社との兼ね合いで実際には2018年5月に本格的に立ち上げました。最初はクライアントの進学塾の教室の一室からスタートしています(笑)。最初は家賃も払わないでいいよって言ってくれた塾長には感謝しかありません。

お世話になっているクライアントの塾の自習室で創業。

-それがFMCのスタートなのですね。ご自身の決意や目標は決まった瞬間行動する、そんな安東さんの生き方が現在のFMCに繋がっているのだと思います。
そんな株式会社FMCは、関わる人に、どんな会社だと思われたいですか?

そうですね、立ち上げてからの数年で、この業界も時代もかなり変化してますよね。がむしゃらにWeb制作をやってきましたが、ある程度行き先が見えるようになり、今こそ、今の自分達にしかできないような思い切ったことに挑戦しようと考えています。元々、熊田とは「自分たちが会社をつくるのだったら元々のお互いのバックボーンである音楽とアパレルもやるWeb会社をやろう、というのは明確に決めていました(熊田も元古着屋で勤めていた)

自分には当時から故郷のような”スタジオサウンドクルー”だったり、ずっとたむろさせてもらっていた下北沢のライブハウス”GARAGE”という大事なホームのような場所があって。好きな人たちと、好きなことばかりやってきましたが、これまで出会ってきた人とのつながりが何より自分の財産だなぁと。

そういうつながりを活かして、「Web制作」という肩書きだけではなく、自分たちが好きなことを仕事に繋げているからこそ、サイト制作を通じた事業コンサルティング、そしてアパレル、アーティストマネジメントなど、「Webを中心としたクリエイティブ事務所」のような会社のあり方は面白いなと考えています。FMCがいろんな人材をマネジメントしてるような感覚というか。

あと、やっぱりWebのことは大好きなんですよね。初めてMacをさわったときとか、自分のバンドのサイトができたとき。あと、mixiなんかで海外の人とつながったときもそうですが、当時インターネットに感じた可能性、ワクワク感をずっと引っ張っているというか。昔から新しいサービスはすぐに試したくなるタイプでしたし、飽きっぽい人間なので、移り変わりの激しい業界の方が合っているのだと思います。

ぎこちない受け答えをしながら写真を撮られる安東。

自分は元々音楽の世界で出会った人たちと築いてきた原点もあるので、自分のような会社のつくり方もあるのだ、ということは今では自信に繋がっています。そういう「なんか好きなことをやってたらいつの間にか楽しい会社ができている」、みたいな気持ちはずっと持っているのだと思います。

それは、マネジメント業務での“Salan”であったり、“くわはらひなた”の存在だったり。みんなの才能を誰よりを理解して盛り上げていくお手伝いをしていきたいですね。その基本的な考えはWebでも音楽でもアパレルでも共通していると思います。自分も音楽活動をやってきている中で少なからず悶々とした思いがあったので。

Webという領域だけではなく、ファッション×ミュージック×クリエイティブをかけ合わせた独自のイベントを開催している。

FMCには常に魅力的な人材がたくさん集まっています。困ったときにはまずFMCに相談すればどんな困り事も解決してくれる。斜め上からの提案をしてくれて、気づいたらWebもできてるし、デザインもできるし、会社の課題も解決されていた、みたいな。そんなクリエイティブ集団を目指していきたいです。

-今後も活躍楽しみにしております。素敵なお話をありがとうございました。

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