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「頑張ってきたものが理解されない」あなたに読んで欲しい、僕がHajimariへたどり着いた理由

初めまして。Hajimariに2022年1月からジョインした、安念優輝(あんねんゆうき)と申します。

現在は、ITプロパートナーズ事業部でフリーランスの候補者さま、優秀なエンジニアを探したい企業さまを共に担当するエージェント業務に従事しています。



「頑張ってきたものが理解されない」「何のために自分のやりたいことを頑張ってきたかわからない」そんな方に読んでもらえたらと思い、筆を執りました。

なるべく僕のありのまま、ベンチャーの人間らしくない文章かもしれませんが、最後までお付き合いいただけますと幸いです。

本日のアジェンダは以下の通りです。

1.音楽家を目指した高校時代
2.学者を目指した大学時代
3.何を目指すか考えた前職時代
4.誰もが何かを目指せる時代へ

1.音楽家を目指した高校時代

話は高校までさかのぼります。
中高一貫の私立校に通っていた僕は、音楽プロデューサーだった父の影響もあり音楽に関心を持ち、吹奏楽部へ入部。クラリネットという楽器に出会い、心の底から熱中しました。

家族旅行へ行っても昼休みでも楽器を持ち出しては練習する日々を送り、音大への進学を視野に入れて毎日を送りました。
物事に一直線になってしまう性格から、呼吸を鍛えるならと海に潜ってひたすら息を吐き出す練習をし、親戚に溺れていると勘違いされたこともありました。

いよいよ高校2年生になり、楽器も吹き始めて5年。自分が楽器にどう向き合いたいのか悩みました。
生き甲斐であった一方で、本当に自分がそれを仕事にできるのか。その選択をしてしまって、果たして世の中で必要とされるのか。

父は市場観や、音大に行く場合にかかるコストを正直に話してくれました。
結果、学問を修めて選択肢を広げようという結論になり、私立大学社会学部への進学を決めました。
「もったいない」と声をかけてくる人もいましたが、敢えて耳を塞ぎました。

2.学者を目指した大学時代

勉強すること自体は好きでした。
小学校から「本の虫」と評され、クラリネットに出会うまでの主な娯楽は読書。
学問に志すことは、それはそれで受け入れようという気持ちで大学生活をスタートしました。

社会は決して万全にできているものではなく問題だらけだということを改めて認識し、僕の興味関心は社会学という学問へ完全にシフトしました。
気がつくと、僕は誰よりも勉強しており、試験の前には友人へ講義のおさらいと解説を行い、日中も参考書を片手に暮らすようになっていました。

大学3年生。みんなが黒スーツで就活を始める時期に、僕は大学院への進学を検討していました。
しかし、ここでも市場の壁にぶつかります。
現状日本において文系大学院生、特に博士号をとった人の道のりはとても険しく、とても生活を支えて生きていけるとは思えませんでした。
その現状を変える力は、それこそ学問そのもの自体にはありませんでした。

結果、高校よりも多くの「もったいない」を振り切り、就職活動を行うことにしました。

就職活動は思ったより困難でした。
「大学で一番頑張ったことは勉強です」と言っても、ほとんどの人事には共感されず「変わってるね」「大学院いけばいいんじゃない」と言われ、それ以前のことを語っても「音楽目指せばよかったんじゃない」と言われ、「自分の頑張ってきたことは何の意味があったんだろう、自分が生きてきて出会うものはなぜ、こんなにも市場で疎まれるものばかりなんだろう。」と深く悩みました。

最終的に、勉強の話ではなくサークル活動の話をして大手金融機関で内定を頂き、就職することになりました。なお、大学は首席で卒業しました。

3.何を目指すか考えた前職時代

金融機関の法人営業として3年半融資提案に従事しました。
結果的に、「臆せず経営者やキーパーソンと話す対話力」「法人の仕組みや資金繰りについての知識と感覚」という2つの力を得ることができ、学びに繋がる場でした。

転機は、ベンチャー企業の営業を行ったことと、コロナ禍で懐石料理屋さまの担当をしたことです。

僕のいた支店は、ベンチャー企業への営業を積極的に行う支店でした。

そこで感じたことは「社会における課題を新たに見出して解決することは、学者でなくてもできる」ということでした。
むしろ、市場に則った形でその仕組みを実社会に生み出すことにより、より「社会」の問題へリアルに答えていけるのではないか、という発想が生まれました。

また、コロナ禍で、宴会を主な収入とする懐石料理屋さまの担当になりました。
これまで親しまれてきた懐石料理屋さまに誇りを持って勤める人が、社会の情勢が変わった途端になぜ生活を脅かされなければいけないのか、そんな社会こそ変えなくてはならないのではないかと、仕事の合間に考えながら日々を過ごしました。

3年半経ち、自分の中で課題感が大きくなりました。
融資という、自分で変えることのできないプロダクトを、大きな企業の看板で提供しているのでは、自分で社会を変えていくような力を十分につけることができない。
そう感じて、ベンチャー企業への転職を決意しました。

4.誰もが何かを目指せる時代へ

ベンチャー企業の中でも、Hajimariへ転職を決意したのは、

・誰もが自己と他者の「自立」について考えていること
・「自立」を支援する使命を元に、事業を展開していること
・これから新規事業を創出・展開して、大きくなっていく会社であること

この3点です。
僕は、音楽家を目指し、学者を目指し、そのどちらについても「本当に頑張ってきた過去は正しかったのか」と迷っていました。

しかし、Hajimariには仕事以外でも「誰かと違う何かをがんばってきた人」「自分が自分であることについて真剣に考えている人」がたくさんいます。
そういった人たちがいる環境で、僕は自分の過去をようやく認めることができました。

また、これまでの経験から僕の中の「社会問題」は、「誰もが自分らしくあろうとした時に、目指すものによってなりやすい人となりにくい人が存在していること」と定義されました。

今、この問題に立ち向かうため、「自立」を支える仕事を通じて、また新しい事業を展開するフェーズに参画することを通じて、自分も誰かのなりたい姿を実現できるようなサービスを生み出す力をつけていきたい、と考えています。

世間の雑音を振り払って、内なる声を聴こう。
正解を選ぶんじゃない。選んだ道を正解にするんだ。

これはHajimariのビジョンとともに書かれている言葉です。

「なぜ自分が頑張ってきたのかわからない」
「この思いをどこにぶつけたらいいのかわからない」
「自分が頑張ってきたことは間違いだったんじゃないか」

そう思っている、「頑張れる」あなたに届いてほしいです。
あなたがあなたでいて当然。その頑張りは消費されることではなく、無駄なことでもない。
そう思える場で、そう思える社会を実現するために、僕は今働いています。

この記事を読んで、少しでもHajimariに興味を持っていただけましたら嬉しいです。
気になる方は、ぜひエントリーしてみてください!

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