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圧倒的成長を求めた転職の経緯と現在

初めまして、株式会社ITプロパートナーズの中村崇臣(たかおみ)と申します。
私は、2016年4月1日より当社へジョインしたので、参画後1年2ヶ月が経過致しました。


まずは、簡単に自己紹介をさせていただきます。
1991年9月23日生まれ、25歳、栃木県出身(生まれは京都、僅かな思い出)、小中高と野球をやり、
大学では体育会少林寺拳法部に所属、主将を努める。
2014年4月に新卒でPR会社へ入社。2年間の営業経験を経て、ITプロパートナーズに転職。

今回は、私が入社2年でなぜ転職を決意したのか、転職後〜現在までで、
どんなことを考え日々働いているのか。この辺りをお伝えしたいなと思っています。

ありのままをお伝え致しますので、お付き合いいただけますと幸いです。

1,私が入社2年でなぜ転職を決意したのか

「圧倒的成長」を追い求め、そして「自由」という選択を取れる人間になりたかった。

自分で言うのもなんですが、私は全然ベンチャー企業に向いてない人間で、超浅はかな考えをもって「新卒」の就職活動をしていたので、その時の自分からすれば、二社目にアーリーベンチャーへの入社を選択することは到底考えられなかったと思います。

その就職活動の内容といえば、恥ずかしくて言えたものではないですが、ありのままを話すと約束したので話します。当時の就活軸は3つでした。

・キラキラしたみんなが憧れる業界。

・給料が良い。

・定時に帰れる。

上記、3つが揃っていれば、なんでもOKでした。
本当に何も調べず、とにかくイメージだけで就職活動をしていました。
当時の自分のイメージで、上記を満たしているのは、テレビ局・広告代理店・PR会社・レコード会社。
この辺りを軒並み受けました。

勿論、結果は惨敗。嘘で塗り固められた志望理由、将来の夢をいくら語っても、全く響きませんでした。

そんな自分でしたが、一応2社ほど内定をいただけた会社のうちの一社、大手とはいきませんでしたが、とあるPR会社へ入社することにしました。

自分の中のイメージでは、各メディア媒体とやりとりをして、企業のPRを支援するカッコイイ仕事を想像
していましたが、現実は、1日200件のテレアポを行い、月50件のアポノルマと、毎月の売上数字を追う、泥臭い営業でした。

ここで私は結構大きい挫折を味わうことになるのですが(挫折という言葉を使うのも烏滸がましいくらい浅はかでしたが)、ここでの経験が自分を大きく変えました。

入社後の半年間、泣かず飛ばずで、アポノルマすら達成できず、上司には詰められ、月末は必死に気配を消す生活を送っていました。同期は6名おりましたが、皆徐々に結果を出し始め、私との差は広がるばかりで、情けなすぎて、涙すら出てきませんでした。



こんな生活を続けていたため、当然、当時の私の頭の中には「辞めて、ストレスのない会社で働きたい」と、そんなことばかり考えていました。
早くこの環境から脱したい。そんな思いを持ちながら出社する毎日でしたので、正直言って会社からすれば迷惑極まりなかったと思います。

ある日上司から「辞めるなら辞めてくれ。お前なんかがどこ行っても同じだけど。というか採用する会社があるかどうかもわからないけど。」と言葉をかけられた時、遅すぎる初めての感情が湧いてきました。

それまでは、自分が望めば、どこかしら受け入れてくれる会社があるなどと思っていましたが、そもそも義務を果たせない人間が、色々目移りしたところで、そんな人材を受け入れてくれる会社など存在しないと。初めて自分を客観的に見て、その時初めて涙が自然と溢れてきました。

半年もの間、社会人としての土俵にすら上がれていない現状をやっと認識し、ここからが本当のスタートでした。

とはいえ何から手をつけていいのかわからず、とりあえず、一番売れている人のトーク、アプローチ先リストの作り方、持ち物や歩き方、商談の際の話し方、身振り手振り、髪型、休日の過ごし方、真似できることは全て真似しました。

まずこれを行うことで、一番変わったことは売れるイメージがついたことと、
それに対するアプローチ方法がわかったことでした。

もちろん、何も考えず完コピするわけではなく、「なぜこの人は売れるのか」「欠点は何か」色々と考えながらやっていると、徐々に自分の考えも芽生えてきて、「もっとこうすれば売れるのでは?」と試行錯誤しているうちに(もちろん他にも色々と実施しましたが)、気づけば数字も200%を超える達成を続けるようになりました。

しかし、イチ営業マンとして自走できるレベルにはなったものの、単なるプレイヤーのままであることにも危機感を覚え始めました。
自分が成果を上げた分、それがインセンティブとなって帰ってくることが嬉しく、
「チームマネジメント」なんて言葉は到底当てはまらない、極めて利己的な人間になり始めていたのです。

それに気付いたことが、転職を考え始めた一つの理由です。
結局このままでは、これ以上の成長はない。
もしこのまま続けていても、残れる道はイチ営業マンでしかない。
利己的な考えをするということは、自分の成長だけで、それは会社の成長ではなく、
故に会社を衰退させ、結局自分に帰ってくる。

次の成長フェーズは、強いチーム・組織作り、会社の成長を考え成果を出せることで、
それが自分への成長として帰ってくると考え始めたのと、個々の営業が強い会社だったこともあり、
上記のような風潮がなかったため転職を決意しました(個人の売り上げ重視)。

もちろん、素晴らしい営業マンが沢山いましたし、色々と学ばせていただけて感謝しているのですが、
いままでの自分には考えられなかった、「圧倒的成長」を追い求めて転職をすることに決めました。

また、このような新しい選択肢が出てきたのも、あの日心を入れ替えて死ぬ気でやってきた結果なのかなと思うと、それも嬉しく、もっと「自由」にやりたいことをやれる人間になりたいと思ったことも事実です。

2,転職後〜現在まで

転職活動では何を軸にしていたという程、決まったものはなかったですが、
営業だけでなく、組織作り、会社を成長させるためにやらなければいけないことが沢山ある会社がいいと思っていました。

そのため傾向としてはアーリーベンチャーを見始めるのですが、そんな中最初に受けたのがITプロパートナーズでした。当時は、社員8名という規模でした。
まずここには先述した環境があるということ、働いている人達がそれを体現していたこと、
ビジョンである「自立した人材を増やし、新しい仕事文化をつくる」というのが、自分の転職理由の一つである「自由」を選択できる人材になりたいというものにリンクしていたことも相まって、一発でここへの転職を決めました。

無事内定をいただき、実際に参画させていただいてからの話ですが、やはり社内にいる人達は、会社に何が必要で、今足りていないものは何かを常に考え、あらゆる業務を自ら拾い、成長している人達ばかりでした。
それを見た時、求めていた環境であったことにほっとするのと同時に、自分ことだけを考えてやってきた自分が、会社全体を見て、経営者視点で、何ができるのかめちゃくちゃ不安でした。

自分のことだけやって、成績をあげることは簡単。自分意外の人を巻き込んで、全体の成長を目論み、成果を残すことは時間も労力も前者より何倍もかかるけれど、前者の何倍も成長できる。
この環境を求めてきたのだから、この不安ですらも自分にとっては求めていたものなのかもしれません。

今はITプロパートナーズ事業部にて、エージェントのチームリーダーを任せていただきながら、会社の成長のためには欠かせないプロジェクトを3つ任せていただいています。

イチ営業マンからの脱出をすべく、ベクトルを会社の成長に向けて、日々奔走している毎日が楽しくて仕方ありません。
もちろん、足りないことばかりで、迷惑をかけることも多々ありますが、目の前の会社にとって欠かせない業務を、命がけでやるのみだと思っています。

いずれ、「自由」に自分の人生を選択していくことができるようになるのを楽しみに、ここで「圧倒的成長」を遂げていきます。


色々と書かせていただきましたが、自分の人生をより豊かにしていくために、今を投資期間として捉え、

一緒に頑張っていけそうな方と出会い、そして私自身も成長していきたいと思っています。

もし、当社に興味をお持ちいただけましたら、先週からオシャレなオフィスに移転もしましたので、

是非お気軽に遊びにきてください!

株式会社Hajimari(旧:株式会社ITプロパートナーズ)では一緒に働く仲間を募集しています
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