はじめまして。Nagisaの【元】ディレクターの重田です。
簡単に自己紹介させていただきますと、大手IT企業に新卒入社→某スタートアップ→Nagisa→現在は独立し、フリーランスでWeb/アプリのプランナーとして働いています。
今回は、そんな中も外も知っている「元社員」というちょっとナナメの視点からNagisaのリアルな姿についてお伝えできたらと思います。
「マンガZERO」「GOOD TIME」「スライドムービー」「おでかけハローキティ」・・・数多くのヒットアプリを開発し、アプリストアの各カテゴリーのランキングトップの常連であるNagisa。現在では注力分野を絞り、今年PV20億を突破した「マンガZERO」を筆頭に様々なサービスの企画、開発を進めている。
「アプリをいっぱい出しているイメージだけど、実際はどんなことしてる会社なの?」「大事件もニュースで見たけど、今ってどうなの?」「社長イケメンだよね!」などと外の方から聞かれることも多いNagisaなのですが、実は様々な魅力のある会社なのです。 そこで、全四回に渡り、社長に突撃インタビューをしてNagisaを全解剖していこうと思います!!
まず第一回は、「横山さんってどんな人なの?」を知っていただくために、今年創業8年を迎えるNagisaを起業した想いについて聞いてきました。
きっかけは、学生時代のあるベンチャー企業との出会いだったそうです。
◼「大企業で出世して社長になろう」と思っていた学生時代
横山さんは新卒でKDDIに入社→ネットエイジに転職→その後Nagisaを創業、という経歴ですよね。起業にはもともと興味があったんですか?
横山:実は、社会人になるまで、起業したいと思ったことも、ベンチャー企業で働きたいとも全くなかったんだよね。学生時代はテニスに打ち込んでいて、就職活動の時期には「大企業に入ってその中で社長になろう!」と夢を描いていました。
そうだったんですね!大企業を志望する学生は多いと思いますが、「社長になろう」と思って入る人ってなかなかいない気が・・・!
横山:父に憧れてたのが大きいです。総合商社に40年近く務めた父は、海外の子会社の社長としてバリバリ働いていて、そんな姿を見て影響されたし、「世の多くの人に影響を与えるような仕事を通じて、社会をよりよくしていきたい!」と思っていました。父が海外勤務が長く、僕も子供時代にはアメリカに一緒に住んだ経験もあり、グローバルに仕事をしたいという思いも強かったな。いくつか内定をもらった中から、モバイルの分野は伸びていたし、今後の世の中を変えていける、社会をよりよくしていく産業になるのではと可能性を感じ、「KDDI株式会社で社長になるぞ!」と入社を決めました。あの頃は本当に怖いものしらずというか、、、入ったのはいいけどすぐ辞めちゃうんだけどね。笑
◼︎ネットエイジとの出会い
そんな「大企業で上り詰めたるで!」志向だった横山さんがベンチャーに興味を持ったきっかけはなんでしたか?
横山:2005年の春、当時大学4年生の時にKDDIに入社を決め、まずは同期の中でもトップの人材になりたいと思い、ビジネスセミナーや短期インターンに参加するようになりました。
その中で、同期にたまたま誘われて参加したセミナーでネットエイジというベンチャーに出会ったのがきっかけでした。ネットエイジのオフィスには当時まだ学生だったmixiの笠原さんら後にネット業界で活躍する方たちが出入りしていて、僕もちょうどそれらのサービスを使い出したころで、「めちゃくちゃ便利!」って。
ネットエイジのどんなところに一番魅力を感じたんですか?
横山:面白くて便利なものがインターネットを通じて一気に世の中に広まっていく様子、そのものに惹かれたんだよね~。
社長はNagisaでプロダクトを作るとき、「新しい価値観をユーザーに与えられているかどうか」をよくみていますよね。ネットエイジとの出会いと、ITビジネスに触れたことで、価値観を変えたんですね!
横山:そうだね。ネットエイジは、これからはインターネットの時代がくる!っていう名前の通りの会社だったからね。2005年くらいって、まだベンチャー企業でのインターンシップ制度なんてなかったじゃない?でもネットエイジには「学生だけどもう社員」みたいな若い人がたくさんいて。同世代なのに既に自分の裁量によって世の中を変えようと働いている姿を見て、大きな衝撃を受けました。
いま思えば、Nagisaも若手の社員が大きな裁量を持って働いていますよね。そのタイミングでは、すぐに「起業しよう!」とはならなかったんですか?
横山:その時は起業しようと具体的に思ったわけではなく、大企業で修行して、いつかベンチャーにジョインしたり、自分で会社を作るのもありだな!と思いました。
それまでは「世の中の多くの人に影響を与える仕事がしたい=大企業で働く」と思っていたけれど、世の中にインパクトを与える、世界を変えるような仕事ができるのはベンチャーでも一緒かもしれない、と選択肢が増えた感じだったんだよね。今すでにある仕組みを広げる仕事もすごいけど、新しい仕組みや価値観を作るほうが世の中に一番インパクトを与えられるのかも?と。あとはそれ以上にインターネットの可能性に魅力を感じた時でもあったし、ネットエイジとの出会いが僕を起業という道に導いてくれたのは確かだった。
起業やベンチャー業界に対して不安があったのですか?
横山:それはなかった!昔から好奇心が旺盛で、チャレンジするのが好きで・・・という性格だし。
ただ、そのときは子供のころから憧れていた大企業や、モバイルビジネスに対する憧れやわくわく感もあり、一度決めたのだからKDDIでがんばろうと思って入社しました。
◼︎大企業も、ベンチャーも経験してわかったこと
それで、2006年にKDDIに入社したけど、翌年にはネットエイジに転職したんですね。KDDIではどんな感じでしたか?
横山:法人営業を担当させてもらったんだけど、入社して1年で転職しました。とにかく3年は続けたほうがいいとは周りからも言われたんだけど。
KDDIでは、かなり生意気な新人だったと思います。とにかく早く成果を出したくて。
特に印象深いのは、営業をしていて、販売数を増やすための合理的な制度を僕が提案したところ、一緒に働く方から反発を受けたことがありました。
上司からは、「おまえは行動力もあるし頭もいい。だけどそれで周りをイライラさせることがある」と怒られました。
仕事の仕方は変わりましたか?
横山:変わったね。それで反省して、成果を出せばいいというわけではなく、社会人としてのマナーや、人間関係に気を配ることも大切にしようとこれまで以上に意識するようにはなりました。
一方で、イラっとするのは自分が言ってることが本質的だからだろう、間違ってはいないだろう、とポジティブにもとらえていて、、、改めて、本当に生意気な新入社員だったと思います。笑
会社の業績を考えていたのにもかかわらず、そこに根付いている習慣を変えていくことの大変さをいい意味でも、悪い意味でも感じた時でした。もっと変化があってもいいのではないかと。
なるほど、Nagisaでは、社長を筆頭に、ポジティブなコミュニケーションも大事にしているけど、本質的な提案は社内の誰が言ってもすぐに採用される文化が強かったけど、社長のこういう人柄のせいなのかも!その後どんなできごとが起業への後押しになったんですか?
横山:だんだん大企業での年功序列の制度やなんでこんな仕組みなんだろう?こっちのほうがいいのにって思うことがさらに多くなり、物足りなさを感じるようになったのが理由かな。あとは10年後、20年後の自分を想像した時にこの環境でいることに怖さを感じた。
ずっとネットエイジで出会った、大きな裁量権の元に働く同世代たちを意識していて、センスも行動力も頭の良さも、このままではどんどん能力に差をつけられるのではと思って焦燥感を感じていたのもあった。ちょうど入社して半年たった頃、将来的には起業したいという思いが強くなり、その勉強や準備も兼ねて2007年にネットエイジに転職することを決めました。
ネットエイジでの経験が起業の基盤になりましたか?
横山:半分YESで、半分NOかな。新卒採用と社長室での仕事はとにかく鍛えられた。とにかく無茶ぶりだったし、裁量を持って任せてもらえたのはいまでもとても感謝しています。
また、自ら手を上げて、上海と北京で1年間、ベンチャーのM&Aや新規事業への投資に関わり、当時中国で流行っていたセカンドライフのようなネットサービスや通販事業など、旬なビジネスモデルをたくさんインプットしたこともかなり勉強になりました。一方、サービス作りに関われなかったのは、今思えばもったいなかったなと。いろんなサービスがネットエイジで生まれていたのに、そのプロセスに関われなかったのがいまでも悔やまれる。
海外に自ら手をあげるって行動力がすごい!横山さんって常に明るくて前向きで、少年ジャンプの主人公みたいなイメージなんですけど、落ち込んだ経験とかは・・・?
横山:いや、いっぱいあるわ!!
少年ジャンプがすごい好きだから、主人公って言葉はうれしいけどね。ありがとう。(笑)
ネットエイジ(在職中にngi groupに商号変更があった)で一番辛かった思い出は、リーマンショック後にリストラプロジェクトに関わったことですね・・・。
人と関わるのが好きな自分とは真逆の仕事だったので、本当に心が何回か折れかけた。いや、ちょっと折れた。でも、このとき、僕は本質的には人を喜ばせるのが好きだし、人を幸せ、社会をよりよくにするような仕事がしたいんだなと改めて感じることができました。また、この経験でネットエイジのようなベンチャー企業でさえも、時間が経つにつれ、会社が目指すビジョンに対して、個人のキャリアビジョンが交差していなかったり、それぞれ考え方が違って溝があることを実感していました。Nagisaではオープンマインド、且つオーナーシップを持って働ける、そして会社のビジョンと個人のキャリアビジョンの交差するポイントを導き出して、社会に圧倒的に通用する人材を輩出したいなと思うきっかけになりました。
Nagisaに入ったとき、社員が自発的に動いて、プロジェクトが自走しているフラットな感じにびっくりしたのを思い出しました!
◼︎Nagisaの創業への想い
そして2010年に、いよいよNagisaを創業することに!
横山:この頃から変わらなかったのは「世間の多くの人にインパクトを与え、人の生活を、社会をよくしていきたい」「グローバルでも勝負したい」でしたが、それに加え、KDDIやネットエイジで働きながら「新しい仕組み、文化を作りたい」「ユーザーに幸せを与える事業に手がけて、社員も一緒に幸せになる会社を作りたい」と強く思うようになりました。
新しいメディアやサービスを作りたかったのですが、その資金やアイデアを集めるために学生時代からの友人とまずは広告代理店の会社を立ち上げることにしました。
起業への不安や、周りからの反対はありましたか。
横山:僕自身は、KDDIをやめたときも、ネットエイジをやめるときも、新しいことを始めるのにわくわくする気持ちが100%で、不安は全くありませんでした。両親には反対されるのではないかと心配しましたが、父はKDDIを辞めた時に、将来起業するだろうと考えていたため、ついにその時がきたか、という反応でした。
Nagisaという社名にはどんな想いを?
横山:打ち寄せてくる時代の波をインターネットの潮流だと例えた時に、波を受け止める渚(=浜辺)のように柔軟に受け止めては、変わっていける、進化できる会社にしたいと思い「Nagisa」にしました。
Nagisaのビジョンでもある「構想はいつも、実現を待っている」は元々ネットエイジが掲げていて、Nagisaは様々な領域で文化を、産業を興していくことをミッションとしていたし、とても感銘を受けて大好きな言葉だったので西川さんに頭を下げ、お願いをして引き継がさせてもらいました。
何回も出てきたワード、「世の中の多くの人に影響を与えて、人の生活を、社会をよくしていく」ってしなくても死なないと思うのですが・・・なぜ横山さんはそれにこだわるんですか?
横山:人間って欲深いじゃないですか。新しいものが登場したら明日にはそれが当たり前になっている。僕は、自分や人の可能性を信じていて、人の生活をよりよく、面白くしていくことがどのくらいやれるのか試したいなって思ってます。人の生活を、人が感じる価値を変えていけるような新しくて、かっこいいものを作ることを通じて、一緒に働くみんなや家族、友達、そして世の中の人をいまよりもっと幸せにできるんじゃないかって思っています。
インパクトのある仕事をしなくても生きていけるかもしれない。でも、一度の人生だし!って考えると人に影響を与えることをし続けたいなって思っています。
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創業までのストーリーを聞いて、横山社長の経験が今のNagisaの文化を醸成していたんだな~と強く感じたインタビューでした。
次回は、実際にNagisaを起業した後に経験した3つのHARD THINGSと、どうやって危機を乗り越えたのかをインタビューしてきます!