1
/
5

36歳 男 無職 ベンチャー転生

tebikiでマーケターしているたらさわです。

tebikiに2020年12月にTebikiに入社してから、1年半マーケティングをしています。今日はTebiki入社の経緯や、入社してから今までの業務などについて話したいと思います。自分の経歴など隠さず書いていますので、最後まで読んでもらえると嬉しいです。

アメリカ コロナ アジア人

「なんかジロジロ周りに見られている気がする」
「マスクすると余計に見られている気がする」
「もうここに来るのはやめよう」
アメリカに移住してから初めて感じた疎外感。
家から徒歩で行けるスーパーで感じた白人の冷たい視線。次からはアジア人がよく行くスーパーに行くようになった。閉鎖される学校、リモートで始まる授業で人との繋がりがなくなり、「帰国」という文字が初めて浮かんだ瞬間でした。疎外感だけでなく、渡米するまで10年以上金融業界で働いてきたが、仕事から離れてみると、働きたいという欲が日を追うごとに強くなり、1年半で帰国。

無職からどの会社に行く?

保険、銀行などの金融業界で10年、総務、人事、マーケティング、経営企画、新規事業など色々な部署の経験があったが、真っ先に頭に浮かんだのは「ベンチャーでマーケター」でした。
なぜベンチャーが真っ先に浮かんだのか、それは「自分の力を試してみたい」という気持ちが心の中でメラメラと燃えていたからです。自分が一番自信のある分野(マーケティング)で勝負する、無知な業界から無職から立ち上がる、鉛筆1本でも会社が生産してくれれば、自分の力で売上げを2倍にも3倍にもしてみせる、その自信と考えしか頭にありませんでした。

なぜベンチャーにこだわったのか?

特に金融は規制が多く、別にそれ自体は全く悪くはないのだが、その規制ゆえの社内手続き等で使う書類が多いため、マーケターといっても、純粋にマーケティング活動に専念することはできず、体感としては、8時間のうち2時間くらいは使っていた。また、大手企業だと自分に必要なのかちょっとわからない会議にも参加しないといけない、それに加えて、時に仕事のための仕事がどうしても発生するため、マーケティング以外に時間が割かれる。こういった不可避な事情からマーケターとしての成長は正直なところ他の業界と比べると遅いのではないかと感じました。(大手とベンチャーの両方を経験しているので、大きく誤った認識ではないと思います。)もちろん、そういった規制に対する考え方などは法的な知識習得やビジネスでの倫理観を養う上で欠かせないものですが、マーケターとしての成長だけを観点に考えていたので、もう一度大手企業に行くという選択肢は自分にはありませんでした。

20代前半の仕事ぶり

「無職のベンチャー転生」の話を進める前に、20代前半の自分を振り返ると、情けないの一言に尽きる。できないことを何かの言い訳にしてやり過ごしていました。通常の業務はとりえずやっているという感じで、自分にやり抜く力がないのを背にして、通常業務以外のどこかで自分の力を出すことで発散させてるだけのしょうもない社員だったなと反省しかありません。業務以外というと、例えば、新卒課題。新卒で入社した社員には社長から課題が与えられたが、(課題といっても結構本格的でビジコンの手前といった感じです)毎回表彰され、年間最優秀賞も取っていい気になり、哀れにフラフラしていた。悲しいことに、自分の考えを表現できる場所が仕事の実務ではなく、仕事の空論だけでした。

派遣に負けてたまるか

そんなフラフラしたしょうがない社員だったが、ようやく成長へのドライブが一気にかかる時がついにやってきた。それは、ある日、席の隣に派遣社員の方がやってきたことに始まる。その人の入社のいきさつなどは知らないが、その人はとにかく仕事にがむしゃらだった。仕事が速くて、言われたことへ100%で応えていた。しばらくすると仕事にも慣れて、実力が出せるようになり、さらにクオリティが上がっていった。めったにないが、業務量が一時的に多いときは土日の仕事もいとわず、しっかと仕事にコミットしていた。その派遣社員の方を見て「おいおい、私より仕事できるじゃないか!自分は正社員なのに、一体この差はなんなんだ…。」ものすごい強烈な焦りと自分への情けなさを感じた。プライドもなにもへったくれもない。負けたら本当にやばい。絶対に負けられない。こうして、社会に出て3年くらいして、ようやく自分の心に火がつき、「やる気スイッチ」が押される運びとなった。そして、ぐんぐんと伸びる成長期を迎えることができた。(めでたし)

ベンチャー以外で会社を選ぶ軸は?

2回目の「やる気スイッチ」

私の10年とまだ短いビジネス経験ですが、一番大切だと考えたもの、それは「やり抜く」でした。日本特有の職場で「詰める」文化を支持する気持ちは毛頭ありませんが、詰められて、本気になって考える。この考えるというのが非常に重要で、人によってその立場や境地に立つモチベーションは様々。私に限っては「詰められる」のが本気になる次の「やる気スイッチ」でした。
そんな詰められた結果押された次の「やる気スイッチ」は、グループ会社間での異動で、銀行へ転籍となったことから始まります。銀行に転籍してからは重要な役割に任されて、さらに環境は厳しくなり、朝7時に出社して、8時に役員に詰められる、件数報告のやり取りと反省と改善、翌日の目標などそういった内容がメールのCCに関係部署の全員が入っている。そして、夜12時までになんとかする、これを1年くらい繰り返した。この時間の中で考えた思考力と思考量は今でも役に立っていると感じることが今でも多いと感じます。
それまでは、なんとなくの気持ちで80点くらいを目指していた。100点を目指して、周りで働いている人から見ると、私の存在は歯がゆい存在だったんじゃないかと思います。100点を目指す仲間に囲まれて、自分は120点を目指すようになった。100点を突破するには「できる前提」で考え抜く、プラス20点はそれを高い水準で実行して120点へ、そのようにマインドが変わった。「120点を目指す」だと周りから意識高い系に見えてしまうので、「やり抜く」に言葉を変えて、「やり」に100点、「抜く」でさらに上乗せ20点のイメージ。

「やり抜く」環境で感じた仕事の楽しさ

その域で働くと、不思議と本気で働いている者同士で心の繋がりと信頼と安心を感じたことがありました。自分が100%まで出してもあと少し届かなくても、仲間が最後の少しをなんとかしてくれる、自分がここでバタッと倒れて、資料を作り損ねても、誰かが自分のバトンをつないでくれる。実際にとある重要な資料を作成していた時、資料の最後のピースだけハマらない、このピースがないと提案できない、でも本当に時間がもうない、諦めかけた時、別部署の部長がタイミングよく現れて、その残ったピースの資料を作ってくれていて、うまくハメてくれた。(悪の親玉にやられて、負けそうな時に、ついにヒーローが来た!そんな風に見えました。もうちょっと早く来て・・・。)
その部署とは仲が悪くなってしまいがちな部署(事業企画×マーケ)だったため、ここまでの信頼関係ができるとは考えたこともありませんでした。(事業企画が事業モデル・収益・予算を作成して、マーケが販売する社内の関係性だったので商品によっては担当者同士の仲が本当に悪かった。)そして、仲間と1つの目標に向かう姿勢と一体感が、だんだん自然と自分に影響し、「目標達成のため」に動くように自分を押し上げてくれました。チャネルを改善、新規チャネルを探す仕事を与えられるといったタスクベースの仕事から、ミッションを与えられ、必要なタスクを自分で考えて進めるミッションベースの仕事、さらにそこから達成のためのミッションを考えて作り出し、実行できるまでに成長できた。

周りからの評価

この頃から、上司からは「ロボット」みたいだと評価されるようになりました。あまり嬉しくなく、もっと良い表現が欲しかったが、難しい目標やタスクという弾丸をキンキンッ!っと弾いて前へ進むイメージがあるからとのことです。
なお、現在は貴山社長には「野武士」みたいだと言われました。ちょっと躍動感が出たのだろうか?刀一本で戦場を走るイメージがあるらしいです
上司以外からの評価は「青い炎」。(冷静だけど、実は心の中で燃えているかららしい。)
では、自分ではどう見ているかというと、難しいミッションを作ろうとして、ミッションの大枠を作れたら、ワクワクするタイプ。以前にもっと難しいことやってきたから今回も大丈夫、成功するだろうというよくわからない根拠が不安を楽しいドキドキやワクワクに変えてくれます。

同期の存在が後押し

同期は互いに刺激し合える仲間だと思う。私には100人近く同期がいましたが、私にとって同期の中で、一番輝いて見えたのは「自分の信念で転職をした」同期でした。私は心の底からうらやましかった。
私にもやっと今、その選択ができるチャンスが巡ってきたんだ!と感じました。

1次面接で「やり抜く」Tebikiの社長貴山との出会い

そんなわけで、日本に帰国して自分の考えに合った「ベンチャー×やり抜く」という意味不明な軸で会社を探し始めました。当然、そんな会社はなく、自分に合いそうな(どちらかといえば、自分が得意な業務で担当者を探している会社)を探して、面接を何社か受けました。幸運なことに選考も進んで内定もいくつかもえましたが、なかなか納得がいかず、続けてひたすら求人サイトを見ていたら、なんと「ベンチャー×やり抜く」の会社が見つかってしまったのです。会社のカルチャー「やり抜く」、従業員7名、会社のベランダで爽やかな笑顔を見せる社員たち。(入社後にベランダに行ってみたら、実際には狭くて綺麗とはいえませんでした。)その瞬間、この会社だ!と思い、あまり業務内容を見ずに、反射的に「エントリー」ボタンを連打しました。

Article content

Tebikiの社長貴山の面談

過去の職歴やTebiki入社希望の理由など質問されて、そのまま思ったとおりに回答した。私への質問が終わると会社説明に移った。貴山社長は、ベンチャー企業の社長によくありそうな熱血タイプの社長というよりかは、落ち着きながらも論理的に話す方でした。そして、丁寧に会社のことを説明してくれた。当時はベンチャー企業がどういうものか知らなかったので、もっと熱いタイプの社長を想像していました。想定していた熱量とは違ったが、頭がよく、こちらの言いたいことをすぐに察してくれるとても論理力が高い社長でした。でも、ベンチャーの社長なら、もっと、こう、熱があってもいいんじゃないかと最初は少し残念に思ったのを覚えています。しかし、それは私の勘違いでした。
「桵澤さんの中で、Tebikiに入りたい気持ちは何%ですか?」
こう聞かれた時、正直80%くらいの気持ちだったので、率直に「80%です」と答えた。
すると、
「よし、もう一回プレゼンしてもいい?今から100%になるまで頑張ります!」
初めて会った面談で、いきなり「やり抜く」社長がそこにいた。面談時間を延長して、1回目よりも、もうちょっと良く見える感じのプレゼンをしてもらった。正直90%くらいの気持ちだったが(他の社員やTebikiのマーケ業務への理解があるわけではないので、1回の面談では正直なところ90%が限界)、言っていることは少し変なはずだが、PC画面越しに見る貴山社長は真剣な眼差しでした。「あっ、もしかして、この人100%になるまでずっとプレゼンを繰り返すんじゃないか?」と頭によぎった。これは、、、本当に100%と言うまで終わらないんじゃないか?とちょっと怖くなり、「100%です」と答えるしかなかった・・・。
こうしてやり抜かれた私は、Tebiki株式会社に入社させていただく運びとなった。

入社して、感じたのは「大きな希望」

良い意味でも悪い意味でも、「何もない」というが最初に思ったことでした。マーケチャネルはほぼリスティングだけ、以上。チャネルがシンプルだから、顧客のライフサイクルステージもリード、商談、契約の3つだけ。セールス側の数値の可視化もありませんでした。しかし、このチャネルの少なさにも関わらず、既に契約が何十件かある・・・。これは・・・金の匂いしかしない・・・。狭いオフィスに漂う濃いお金の匂い・・・。やばい会社に入ったと思いました。この状態で契約が何十件もあるのが本当に不思議でした。動画マニュアルtebikiというプロダクトがちょっとあまり考えられないくらい業界に刺さっているんだと肌で感じました。この会社は伸びる、かなりの速度で伸ばせると確信できました。(入社したばかりなので、人の前で伸ばせます!と自信をもって明言しなかったことが後にちょっとした会社の成長痛を引き起こしてしまったのは今でも反省しています)

マーケターとしては考えられないほどの良質な環境

ここまでするかというほどの情報を公開、CPA低すぎる、お金ある、でも人いない、可視化されてない、マーケターが心から喜ぶ5重奏で演奏するオーケストラがゴンゴンと流れている環境でした。情報公開に関しては、会社の銀行残高までSlackに流れるという公開っぷり。CPAは見た時には一桁少ないんじゃないかと思うくらいの低CPA。資金調達したばかりの財務状態。有望ベンチャーってこれほどまでの宝の山なのかと心底驚いたのを覚えています。CPAを10%削りながら、件数は前年よりも10%多く、という割とレッドオーシャンな環境で働いてきた自分としては、到底考えられない環境でした。情報を公開していただけるので、経営KPIや前工程のKPIに関しては割と明確で、入社2日くらいで、1年先のチャネルまで見通すことができ、だいたいの予測もつけることができました。とにかく、プロダクトが業界に刺さっているので、正直、誰がやってもできてしまうんじゃないかと思うほどの楽勝マーケから始まりました。もちろん、言い過ぎな部分はありますが、CPA10%減だけど件数10%増を目標という環境から来た私からすれば本当に素晴らしい環境でした。しかも、セールスとの距離の近さからくるフィードバックの速さ(すべてのセールス活動結果と内容がSlackにすぐに流れる。)で、毎日はぐれメタル100匹倒すような勢いで経験値が貯まっていくのを肌で感じることができました。

マーケティング活動を開始して、すぐに感じた環境の変化

少し前までは「動画マニュアル」は、どちらかというと社内で作るものでした。その証拠に当時はGoogleで動画マニュアルと検索すると、「動画マニュアルって何?」、「動画マニュアルのメリット」、「動画マニュアルの作り方」が上位に来ていました。Tebikiが登場する前は、動画マニュアルを作りたい場合、「動画編集ソフト+内製化」で作成・運用するしか方法がなかったからだと思います。
Tebikiが契約数を伸ばして、会社としてだんだんと大きくなると、ある時を境にGoogleの検索結果には「動画マニュアルソフトの比較」が上位になるように変わりました。これは、動画マニュアルの商品としての認知度が高まって、内製でなんとかできないかを考える人よりも、動画マニュアルサービスを探す人の割合が大きくなったということを示していると考えられます。(市場のプレイヤー数はあまり変化していませんので、プレイヤーが増えたことで比較サイトを作成する人が増えたのでは?という線もあまり考えられません。)市場に出回っている有料・無料の「動画編集ソフト+内製化」では、社内の動画マニュアルを作成して運用することはできないと感じ始める人が多くなったことを示唆していると思います。
小さい変化ですが、動画マニュアルソフト、Tebikiは市場シェアをガンガン伸ばせるのか?という疑問を払拭させてくれるには十分でした。世の中に動画マニュアルというプロダクトが認められ始めている、Tebikiが進む道は間違っていない、Tebikiのマーケティング活動を始めてたった半年でそう思わせてくれる良い兆しがすぐに見えました。

TebikiをSaaSの世界基準Sランク(T2D3)の域へ押し上げよう

T2D3とは売上を毎年3倍(Triple)、3倍(Triple)、2倍(Double)、2倍(Double)、2倍(Double)のことだが、指先を伸ばすだけで届く範囲まで来ています。あと少しばかりの人材さえ揃えば本気で行けると思っています。当然のことながら、開始した当初の楽勝から段々とマーケティングの難易度が高くなってきています。具体的にはチャネルを解放する、チャネルを改善する、そういったステージは過ぎ、顧客の課題への理解、セールスプロセスの理解、パートナーへの理解、チャネルへの理解をした上で、チャネルを作り出さないとT2D3にはあと半歩届かないんじゃないかと感じています。平易に言うと全体のチャネル構成比を変えるくらいの規模のチャネルの上流工程から作り、下流工程までを設計して作り上げていかないといけない段階にまで来ている、これを怠ってしまうと、この先の2年先もT2D3のペースにしていくのが厳しくなってしまう、ということです。そのため、今から1年後、2年後のマーケ計画立てて進めています。「上流工程から」と言うのは簡単ですが、人的・資金リソース含めて大きめに、かつ中流、下流の設計は細部まで気にしていかないと機能しない、作り始めた段階からすでに感じていて、難易度は高いと思います。ただ、はっきりと言えるのは、このステージを通過させるこの過程がマーケターとして一番経験が貯まるエリアであることは間違いないと断言できます。

マーケターとしてのプライドを持っていたい

プロダクトが業界に刺さっているから広告チャネルを解放するだけという「プロダクトにぶら下がったマーケター」になってはいけない、「会社をリードするマーケター」でなければいけない、という強い思いがあります。「広告は全てフルで出しています。でも獲得が難しい」といった言い訳はしたくなく、「チャネルがないなら、チャネルを作る。市場がないなら、市場を作る。ネット広告で限界なら、リアルでCPAをあわせに行く。他責しない、難しそうなら自分でやる。」これらは基本的なことですが、大切にして、会社を前に進ませたいと思っています。

Tebikiではマーケターを募集しています

Tebikiではマーケターを募集しています。(2022年6月時点の情報です。最新の情報は以下のリンクから確認してみてください)少しでも一緒に働いてみたい、話を聞いてみたいと思った方、エントリーしてもらえたら嬉しいです!特にリーダー候補、マネージャー候補などのミドル層のマーケター、成長して上を目指したいマーケターを募集しています。

https://tebiki.co.jp/recruit.html

以下は学生や趣味のことです。つまらないですが、時間があったらお読みください。

趣味

多彩ですといいたいところだが、正直なところあまりなく、「ゲーム」、「マンガ」、「ドラマ」くらいで、暇なら仕事したりして、暇をつぶす。いや、仕事がないときは、暇なので、仕事をするのが正しいのだろうか。(もちろん、これを他の社員には絶対に求めていません)
ちなみに「ゲーム」は完璧にクリアすることが目的になることが多いです。プレイしているうちに、ラスボスを倒すのが目的ではなく、レベル99にするのが目的になってしまう。

あと、英語が話せるので忘れないように外国人に英語で日本語を教えています。日本語文法含め、ガチな授業をやっていて、お金ももらっているので、私の生徒の日本語試験の合格率は100%です(せめてここはドヤ顔で言わせて)。朝6時か7時からレッスンして、8時に出社することがたまにあります。

学生時代

友達をドン引きさせた卒業アルバム

私の小学生時代は、特に夢も希望も持っていない男の子でした。卒業アルバムの将来の夢には「ふつうの人」と書いて、周囲をドン引きさせていました。本当に心から普通な感じになりたいと思っていましたが、一方で、このアルバムを読んだ友達は一斉に謝ってきました。「君は、普通じゃなかったんだね…。ごめん気づいてやれなくて…。」、「なんで言ってくれなかったんだよ、友達じゃないか!」と、重い病気か何かを抱えている可哀そうな同級生だと思われてしまいました。笑

不思議くんだった高校時代

高校生の頃は、色々なことに「なぜ?」と思い、考えてしまう変わった学生でした。道路を歩いていると、なぜこの道路は制限速度が60kmなのか?誰がどのような仕組みで決めたのか。その解答に行きつくまで仮説を何十も立てて、仮説同士をぶつけ合ったり、前提を置いて仮説の信ぴょう性を検証したりして頭の中で遊んでいました、そしてほぼ解答を得られたと思ったら、図書館に行ったりして解答を調べにいく。きっとみなさんもこの遊びをやってきていて、その楽しさに同意してくれると思います。

落ち着きのない若者

あと、落ち着きがなく、母親は私が20歳まで生きるとは思っていなかったらしいです。うろちょろして車にひかれるだろうと考えていたらしい。割と放任的な親なので、私も親に相談することがあまりありませんでした。大学生の夏休みに「明日アメリカに行ってくる、しばらく家には帰らないから」と親に言うほど誰にも相談しない。(さすがにこの時は親もちゃんと事前に言いなさい、アメリカに行ったら連絡しなさいと怒っていましたが、しばらくすると、家計が節約できた!また行ってきなさいと言うようになったので、それは、それでどうなんだろう?とちょっと疑問に感じました。)
次の冬休みにドイツに2ヵ月ちょっと行くことになった。この時はちゃんと事前に親に言って、ドイツから電話で連絡もした。日本に帰国したら、親から「なんでわざわざ海外から電話かけてきたの?」と言われて、困惑&驚愕しました。もうよくわからない、変なところは親子で似るんだなと思います。

最後に

ここまで読んでいただきありがとうございました。ぜひ、Tebikiでマーケターをやってみたいな!と思う人が1人でも増えたら嬉しいです。
私と一緒に働いてくれる人がいたら、ぜひエントリーお願いしますー!

https://tebiki.co.jp/recruit.html

Tebiki株式会社では一緒に働く仲間を募集しています
4 いいね!
4 いいね!
同じタグの記事
今週のランキング