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代表者の自己紹介

アクトホールディングス株式会社の代表をしている矢野と申します。当社では2023年3月1日より新卒採用を開始いたします。ウォンテッドリーでの初めてのストーリーの投稿ということで、学生時代からこれまでの経歴、創業に至るまでの経緯、現在の経営方針や考え方などを書いてみます。

■学生時代(1998年~2002年)

学生時代、私はサッカーサークルとテニスサークルを掛け持ち、家庭教師と予備校のアルバイトも掛け持ちでほとんど教室には行かないような生活を送っていました。何も考えず楽しく過ごしていた大学2年生の秋に、サークルの4年生の先輩が公認会計士試験に合格したと聞きつけました。その先輩は、合格から卒業の期間までなんと日給7万円でアルバイトをするとのこと。すごくかっこいいと思いすぐに専門学校に通い始めました。残念ながら在学中の合格は逃しましたが半年間の浪人の後合格、2002年10月から中央青山監査法人で働くこととなりました。

■監査法人勤務(中央青山監査法人 2002年~2006年)

監査法人に就職、東京事務所の金融部に所属し大手の損害保険会社の担当となりました。仕事はハードで毎晩終電近くまで働いていたと思います。4年目で現場主任も任されるようになった2005年頃、会社がカネボウという会社の粉飾に加担したという大事件が起きました。当時沖縄に出張中、ニュースで自分の会社に東京地検が入っていくシーンを見るという衝撃的な経験でした。その後中央青山監査法人はあらた監査法人とみすず監査法人に分裂、当時主任として担当していたクライアントの契約がなくなってしまったことを機に転職を決意しました。

■投資会社勤務(日興プリンシパル・インベストメンツ㈱2006年~2009年)

監査法人を退職し次の職場は日興コーディアル証券(現SMBC日興証券)の自己資金投資部門である日興プリンシパル・インベストメンツです。当時2000億円超の資金を運用していた会社で、日興コーディアルの戦略部門、非常に優秀な人たちが集まる会社でした。社会人経験4年で監査法人で「先生」として働いていただけの私は上司や先輩のペースに全くついていけず本当に苦労しました。ずっと怒られていた記憶ばかりです。ただ、厳しい上司先輩ではありましたが私は当時部門で最年少であったこともありとてもかわいがっていただきました。会計事務所として独立した折にも多くの先輩方に助けていただきました。数百億円単位のM&Aに関わることもできて非常にエキサイティングな職場ではあったのですが、また事件が起きてしまいます。当時の日興コーディアル証券での粉飾事件です。私の在籍していた会社が粉飾の舞台であるとされ、会社は清算することとなってしまいました。(もちろん私が粉飾したわけではないので念のため)

■独立(矢野公認会計士事務所2009年~2011年)

日興プリンシパルにいられなくなってしまった私は転職活動をしましたが、当時はリーマンショックの真っただ中、投資ファンドの面接もいくつか受けましたが全く採用してもらえませんでした。総合商社の経理部門での内定は取れたものの、自分にとってキャリアアップとは思えなかったため、思い切って独立することにしました。ただ、経理も決算もやったことがないのに会計事務所として独立したので、初めはミスばかりで本当に大変でした。初期の頃のお客様には今でも申し訳ない気持ちがあります。売上も2000万円を超えて個人事業としては何とか「食える」ようになってきたころ、事業会社のCFOとして働いてみないかというお誘いが来たのです。

■事業会社勤務(㈱DoCLASSE 2011年~2013年)

アパレル通販DoCLASSEの社長の林恵子さんとお会いしたのは2010年の秋ごろだったと思います。創業して4期目に入り売上が20億円を超えた状況の中で初代CFOを探しているとのことでした。非常に伸びている会社であったため、会計事務所をいったん休止してでもチャレンジしてみたいと思い事業会社に飛び込みました。経理財務部長として入社し、当時の経営陣の中では最年少、事業の成長も著しく、レディースのアパレル通販の会社が、店舗、靴、メンズといった様々な分野にチャレンジし、私が在籍した3年弱で、売上高は20億から100億円を超える企業に成長しました。急激に成長する中、予算策定、中計策定、資金調達等、財務責任者としてのあらゆる課題に取り組むことはとてもエキサイティングでしたし、林社長のそばで仕事をすることで、「経営とは何たるか」について深く学ぶ機会になりました。私の経営に対する考え方は林恵子社長に多大な影響を受けていると思います。

充実した職場で懸命に仕事をこなす一方、林社長を見ていて自分も同じように成長する企業をゼロから作ってみたいという強い思いを持つようになりました。売上高が100億円を超えることが確実になったタイミングで林社長に相談、DoCLASSEを退職し再度自身の事業に取り組むことを決意しました。

■再独立(アクトアドバイザーズ㈱ 2013年~)

DoCLASSEからの安定収入を捨て、生活の先行きについて恐怖を感じながらの再独立でした。ただ、1度目の独立と異なり、事業として成功させたいという思いを持っての独立でした。屋号をアクトアドバイザーズに改称、人員採用を強化、優秀な先輩たちに社外役員になっていただき挑戦を続けました。自身の強みであるM&A、投資ファンドといった切り口で毎年大口のコンサル案件を受注。再独立時に設定した目標の売上3億円を無事に達成することができました。

■投資業務の開始(アクトホールディングス㈱ 2021年~)

アクトアドバイザーズも軌道に乗り顧客基盤も固まってきたころ、あるアドバイザーからM&Aの買い手を探してほしいという相談が来ました。奈良県の山奥で鋳造事業を行っている東和鋳工という会社。決算書を見たところ安定的な業績を継続している優良企業、「もしかしたら自分たちで買えるのではないか」と思い、メインバンクに相談したところ「検討可」との回答であったため、買い手を探すのではなく自分たちが買い手になるため動くことにしました。6か月間の交渉、DDを経て2021年1月に東和鋳工はアクトグループのグループ会社となりました。

クロージングできたとき、本当に感動しました。コンサルタントとして投資ファンドの人たちへのサポートは続けていましたしとても喜んでいただいていましたが、それは当事者とは言えないという思いがありました。プライベートエクイティの業界への未練を隠しながらコンサルタントとして仕事をしていたのです。もう二度と投資業務はできないのだろうと思っていた自分が、自力で企業買収を実現できたということに熱いものがこみ上げてきたことを覚えています。案件自体も、売主の方からも、社員の皆さんからも期待を持って迎えていただける案件になったと感じています。事象承継してから数カ月後に売主の社長から「アクトさんが買ってくれなかったら今頃廃業していましたよ、本当に感謝しています」との言葉をいただいたとき、意義のある取り組みができているという充実感を感じることができました。新型コロナ、ウクライナの戦争、半導体不足、円安と経営環境の変化はとても激しいものですが、東和鋳工は今も順調に業務を続けています。

東和鋳工を皮切りに当社は2年間で4社を事業承継しました。引き続き当社への引き合いは多く今後も引き続き継続をしていきたいと考えています。

■自身のキャリアと「数字」のスキルについて

社会人になってから20年経ちましたが、1年として同じ年はなく変化にあふれた20年でした。在籍したそれぞれの職場で、常に身の丈を超える課題に積極的に取り組み続け成長することができたと我ながら感じています。今でこそ自分より年下の経営者と仕事をすることも増えてきましたが、私の20代30代のほとんどは一回り以上年上の人たちとの仕事ばかりでした。

若輩者の私がまがりなりにも一目置いていただけていたのは「数字」のスキルがあればこそだったと感じています。数字はごまかしがききません。もしも自分が全く未経験の事業について人と話す場合でも数字に裏付けされた客観的な事実をもとにきちんと準備をして臨めば、こちらがいかに若く経験不足でも、必ず相手は丁寧に対応をしてくれます。数字はビジネスの世界で主役となっていくための力強い味方になります。自身の経験と数字のスキルを社員に伝えていくことで一人でも多くの有能なプロフェッショナルを育成していきたいと考えています。

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