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「ニート、会社を作る!」 ~エージェントグロー社長のストーリー~(前編)

みなさん、こんにちは。
そして、はじめまして。
株式会社エージェントグローでチーフをしている齋藤拓也です。
今日は、弊社代表河井智也のインタビューを公開したいと思います。

私が河井さんと初めて会ったのは、4年前。
きっかけは、河井さんからの一通のスカウトでした。
河井さんと私の出会いについては今後フィードで
みなさんにお伝えしたいと思っております!

私が入社してから知ったのですが河井さんがニートだったって本当ですか?
河井さんの人生のストーリー詳しく教えてください!

そう、僕はニートだったんですよ。
情報系の専門学校を卒業して就職活動したはしたけどやりたい事もなかった。
情報系だったらエンジニアになるでしょ?と考えるかもしれないけど
当時、プログラムがすごく書けたワケでもなかったし…

体力なら自信があったから体力で勝負できる様な会社を探していたんだけど
説明会を見に行ったらすごく辛そうだなと…内定をもらったんだけど辞退してしまった。
卒業が迫るにつれて就職できない自分に不安もあったけど現実逃避してたな。
そしたらついにニートになってしまった。
アルバイトもしないで家でゲームしたり漫画読んだりブラブラと二年くらいニートやってたかな。


ニートをやっていたってことは家が裕福だったんですか?

いや、全然裕福じゃなかったよ(笑)
これはニートから脱却したきっかけでもあるんだけど
家が自己破産してしまってね。家族会議が開かれてもう働かざるを得ない状況だったな。
いざ働くとなった時、自分に何ができるか?と考えたらやっぱり体力しかないなと…
当時、僕は人と話すのも苦手だったし。いきなり正社員になる勇気が無くてまずは物流倉庫の仕分けの
アルバイトで働くことにした。
真面目に働いていたら責任者の人が『ウチで契約社員になってみないか?』と声を掛けてくれて嬉しかった。嬉しかったと同時にそこで就職したとしても契約社員以上の道はなかったから…
本気で正社員になる道を探そうと思った。


次はどの会社に行ったんですか?

やっぱり情報系の専門学校を出たからにはエンジニアになろうと思っていた。
すごくプログラムが書けたワケじゃないけど嫌いではなかったし。
でも転職活動は相当難航したよ。人見知りだし上手く話せないし…
それでも一社だけ僕をエンジニアとして採用してくれたSESの会社があってその会社に入社した。

アルバイトから正社員になって嬉しい気持ちよりも怖くてね。
こんな自分が本当に通用するのかな?と本当に不安で不安で…
入社当日、勇気を振り絞って出社したらその会社の社長が本当に良い人で
エンジニアとしての研修も3カ月間社長直々に教えてくれた。
僕はその社長の期待に応えたくて徹夜でJavaを勉強し続けたよ。
ビジネス本も山ほど読んだ。

いよいよお客様先に配属になった時、地獄を見たんだよ。

一緒に働く先輩から永遠とお説教受けたり、人格を否定されたりで…
『社会人=辛い』とは分かっていたから我慢と思って毎日会社には通ってたけど
突然めまいに襲われて立ち上がれなくなった。
病院に行ったら極度のストレスと言われてね。本当に苦しかったし悔しかった。
『自分が先輩だったら絶対こんな教育はしない!』と思ってそこから教育に興味を持った。
当時、僕の年収が300万円未満。
教育を学びたい一心でコツコツ20万円を貯めてデール・カーネギーのビジネススクールに通った。

働きながらビジネススクールに通ってカルチャーショックを受けたよ。
受講生は、東証一部の役員や大手企業の幹部ばかり。
最初は自分の能力とその人達の能力の差を感じて悔しかった。
それでも教育を学びたい気持ちが強かったからひたすら勉強を続けてたらMVPが取れた。
そこからかな。自分の中で『努力し続けたら変われる』って思ったのは。
今思うとこの時にはもうニートだった自分の姿は心の中から消えていたと思う。


経営者の方々に囲まれたビジネススクールに通ったことで
河井さんは会社作ろうと思われたんですね!

あっ、ごめん。それ全然思ってなかった(笑)
人の採用や教育に関わる人事の仕事がしたくて転職活動をしていたんだよね。
社長じゃなくて人事になりたかった。
でも人事の経験がない僕が受かるワケがなかったんだよ。
だったらエンジニアでもいい!少しだけでも人に関わる仕事がしたいと思って
あるグループ会社の子会社のSESの会社にエンジニアとして入社した。
この会社でも本当にいろんな事があったよ(笑)
でも人に関わる事をしたいというのは叶えられたよ。
お客様先に常駐しながら自社のエンジニアの後輩指導にも携わる事ができてね。
楽しかったし充実してたかな。

でもある時、大変な事が起きてね。
その会社の社長が会社のお金と共に消えてしまったんだよ。

本社からその話を聞いた時、もう何が何だか分からずにビックリしたけど
会社としてお客様にサービスを提供しなくちゃいけない責任と
自分が教育に携わってきた社員を路頭に迷わせたらいけないと思って
僕はその会社の社長に就任した。会社の負債もあったけどね(笑)


私だったらそんなヤバい状況に飛び込むのが怖すぎるので確実に断っちゃうなと
思ったのですが、河井さんは怖くなかったですか?

怖いというより何とかしなくちゃって思ったよね。
自分が教育に携わった社員を守りたかったんだよ。
家族や友人のみんなに『負債がある会社の社長になる?!絶対断れ!』って反対されたよ。
けど僕がやらなきゃ誰がやるんだ?って思ったんだよ。
それに負債がある会社の雇われ社長でもニートだった僕にとってチャンスには
違いないって思ったんだよね。
当時29歳で結婚もしていなかったし怖いものが無かったのかもしれないな(笑)


その会社の社長を続ける事だってできたと思うのですが、
どうして河井さんは自分の会社を作ろうと思ったのですか?

社長になってからいろんな新しい事を経験したよ。
それこそ予算管理だったり損益計算書の読み方だったりね。
会社にいつお金が入ってきていつ何処にいくら支払うとか緻密にやっていったら
恐ろしい事が分かった。
この会社の負債は今のままでは絶対に返済できないって…
SESの会社の財産はエンジニアだから何とか採用費を工面して自分で積極的にスカウトを
打ってエンジニアに入社してもらってその人の就業先を決める為に
自分が営業に走り回る一方で自分でもエンジニアとしてお金を稼いで
会社の売上を上げていった。
そしたら半年で黒字転換したんだよ。
その頃、僕の遣り甲斐は一緒に働く社員だった。今もそれは変わらないよ。

そこから2年間ぐらいみんなで本気で走っていた時に
フッと思った事があってね…
こんなに頑張ってくれている社員を僕は幸せにできているだろうか?と。
こんなに頑張ってくれているのに社員の給与低くないか?
と思っていたら居ても立っても居られなくなって本社へ話し合いに向かってた。

案の定、話し合いは難航するワケですよ。
本社側としては、人件費で利益を圧迫されるよりも一円でも多く利益を残して欲しいワケだからね。
でも僕は、そこに違和感があったんだよ。

売上を上げているのは社員がいるからだ!
その社員に還元したい!って思ったんだよね。
それを実現するには自分で城を作るしかない!
自分で会社を作るんだ!って決意した。
僕は『中小企業で働いているITエンジニアの環境や待遇を良くしたい!』
と思ったから起業したんだ。
そこから創業資金を工面する為に昼夜問わず駆けずり回ったな(笑)

みなさん、弊社代表河井智也の社長ストーリーいかがでしたか?
私もインタビューするまでこんなにも河井さんが波乱万丈だったなんて
思ってもいませんでした。
もちろん、河井さんの社長ストーリーはこれからもまだまだ続きます!
みなさん、よろしければ河井さんのTwitterフォローしてみてくださいね。
https://twitter.com/kawai_tomoya_ag

次回は、
『中小企業で働くITエンジニアの労働環境を変える』
を経営理念に掲げるエージェントグローの実態?!を大公開いたします。
それでは次回をお楽しみに!

以上!齋藤拓也でした!

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