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着物に惚れ込んだ男が異色のキャリアチェンジ。未経験から入社10ヶ月でリーダーに昇格したマーケター山本祥太の物語。

山本祥太/ Yamamoto Shota(26)
2020年2月入社
デジタルマーケティング事業部

「アンカーでの3ヶ月は、前職の1年よりも濃密な時間でした」転職当時をそう語るのはマーケティング未経験からスタートし、わずか10ヶ月でリーダーに昇格したばかりの山本祥太。彼が元いた業界は着物業界。なにを思って歴史伝統ある業界から真逆のベンチャー企業のドアを叩いたのでしょうか。

山本のインタビューから垣間見えたのは、誰しも感じたことのある20代特有の焦燥感と人一倍の反骨精神でした。一歩踏み出すことに躊躇している方に、ぜひご覧いただきたい物語のはじまりです。

失恋がもたらした大逆転の受験劇

昔から「お前には無理」といわれると「絶対見返してやる!」と、反骨精神にスイッチが入る性格で。小中の野球時代はもちろん、人生で一番反骨精神が燃えたのは大学受験でした。恥ずかしいはなし、昔はほんとに何も考えていなくて。高校受験は当時付き合っていた彼女を追って進学したのですが、高校3年生の春にフラれてしまって(笑)

部活も入っていなくて、やることがなくて受験勉強を始めたんです。でも通っていた高校は進学校ではなかったので「お前には絶対無理」と、みんなに馬鹿にされていました。さすがに国立は難しいけれど、やるなら関関同立レベルを、なかでも一番難易度の高い同志社大学を目指すことにしました。

高校3年生の春から約7ヶ月、鬼のように勉強しました。あんなに勉強したのは生まれて初めての経験。おかげで僕の高校からは絶対無理といわれていた同志社大学に合格することができました。当時僕をフってくれた彼女には感謝ですね(笑)

着物との出会い

バイト、サークル、飲み会ー。絵に描いたような大学生活に転機がおとずれたのは大学1年生の冬でした。学外で交流のあった萩原から通年採用型就活イベントの運営の誘いを受けて。そこで初めて千野に出会ったのです。冷静で判断力があって、地に足がついている。当時から千野にはそんな印象を抱いていました。

このイベント運営をきっかけに、世界が一気に広がりました。上昇思考の同世代や良くも悪くも大志を語る社会人、インターンを通していろんな人に揉まれ、刺激を受ける生活に一変。なかでも心惹かれたのがキモノプロジェクトでした。東京オリンピックまでに世界196ヵ国全ての国をイメージした着物をつくるという壮大なプロジェクトです。何事も熱が入るとそれしか見えなくなる性格がここでも発揮。日本の伝統である着物を世界に発信するチャンスに胸が踊り、卒業後は福岡にあるプロジェクト運営会社への就職を心に決めていました。

けれど家庭の事情で断念することに。両親が離婚、父と妹が新たに大阪で暮らすことになったのです。妹は障害を持っていることもあり生活が落ち着くまでは自分も近くにいた方が良いと思い、大阪での就職を決めたのでした。

フラッシュマーケティング事業を手がける会社で営業職として社会人生活がスタート。着物は頭の片隅に追いやり、テレアポに明け暮れる毎日でした。悶々とした日々を過ごすなか、ニーズの不一致により事業は右肩下がりに。入社半年で気づけば社員数が半分になっていました。「俺はここで何をしているんだろう」そんな思いが募り、生活が落ち着いたと同時に諦めきれなかった着物の世界へ飛び込んだのでした。


募る焦燥感

着物業界では3年間キモノプロジェクトに関わりつつ、普段は呉服屋で営業やイベントの企画運営に携わっていました。特殊な業界と理解していたつもりでしたが、実際に足を踏み入れると驚きの連続で。着物は職人の方々が代々守ってきた日本の伝統で、その手には若造の僕なんかには理解できないような技巧が宿っています。業界の方々が守ってきたのは技術だけじゃなくて、人との繋がりもしかりで。営業として九州全土をまわる中でその強固な結びつきを感じると同時に、閉塞感も感じました。伝統を守れる反面「良いものを作っていれば売れる」という時代を味わっているので、なかなか考え方も変わりません。

だからこそ先鋭的なキモノプロジェクトは業界にとって大きな意義があると思っていました。アナログな世界で親世代の方々と肩を並べて3年間走れたのは、プロジェクトや唯一の同世代社員の存在が大きかったです。20代コンビで浴衣イベントをゼロイチでやり遂げたときは達成感がありました。けれどその反面、業界にいるほど焦りが大きくなっていったのです。

僕の市場価値とは

大学時代からつながりのあった千野や萩原とは年に1、2度連絡を取り合っていました。千野はすでに起業していて、萩原は大学中退後ベトナムでの経験を経て千野と合流していました。かたや自分はというと転職して2年目に入り、成長の鈍化を感じる毎日。着物は仕事にしたいと思うほど好きだけれど「20代をこの業界で過ごして自分は一体何ができるようになるのだろう」と、漠然とした不安を持つようになっていました。そして3年目も半ばに差しかかったころ、萩原から転職を決意する一言を突きつけられたのです。

「おまえの市場価値って何なん?」悔しくも、答えられなかったんです。これまで「想い」だけで突っ走ってきたけれど、僕には「武器」と呼べるものがない。閉ざされた世界に何も持たず素手で挑んでいたんですね(笑)20代後半をこのまま過ごしたところで何もインパクトを残せない。戦うための武器を手に入れたいと思い、アンカーへの転職を決意しました。


前職の1年よりも濃密な3ヶ月

2020年2月の入社当時、社員は5人ほどでした。最初は競合分析やLP構成、制作スケジュール管理など主にクリエイティブ面から入り、戦略の立て方などを学びました。その後、数ヶ月ほどで本格的にデジタルマーケティングに携わるように。これまでとは真逆で、数字が全てのシビアな世界。感覚的なものは排除し、数字から根拠を見出す。千野や安本から毎日細かくフィードバックをもらいながら自分の荒っぽさを削る日々が続きました。

振り返るとアンカーでの3ヶ月って、前職の1年より密度が濃かったんです。物事のスピードが半端なくて、改善の連続で終わりのないハードな世界。それに会社がどんどん成長して変化するって初めての経験で。20代後半をこんな恵まれた環境で修行できることに、志半ばでしたが転職を決意してよかったと納得しています。

「必死」のつみ重ねの先に

普段はそんなことを思う暇がないほど「必死」の毎日なんですけどね(笑)目の前のことにがむしゃらに食らいついていたら、少しずつ実績を出せるようになって、入社10ヶ月で気づけば社員数も12人と倍以上になっていて。それにこの度、昇進までさせていただきました。お客さんのためにもっと圧倒的な実績をつくりたいし、これからはチームでの実績も作って、再現性のある仕事づくりにも取り組みたい。漠然とした想いではなく明確な目標ができたので、やりたいことが出てくるようになったんだと思います。

「20代特有の焦燥感」も味方に変えれば良いエンジンになる。持ち前の反骨精神を胸に、今日も今日とて修行の日々。その確かな「必死」のつみ重ねの先にー。今度こそ素手じゃなく、デジタルマーケティングという武器をしっかり両手で握り締め、着物業界をはじめとした日本文化に貢献したい。


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