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Why is there something rather than nothing?

いきなり気取ったタイトルにしてやったぜ!


最近、仕事関連の目先のタスクに追われてそっちに脳の領域を使ってるんですよ。

だからたまには妄想タイムです。

こうした事を考えて僕は冷静さと生産性を取り戻すのです。


さてさて、掲題は形而上学の世界で有名な命題の一つですね。


なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?


細かい内容は省きますが、古来では哲学・神学・宗教学・科学が入り混じった状態で物事が考えられていたと思われます。

「神秘を解き明かそう」


という純粋な知的好奇心からこれらの学問が発生したためです。



それが、特に科学の進化。ガリレオ、ニュートン、アインシュタインなどの登場によって徐々に科学と神学の仲が激烈に悪くなります。


最近では、更にここに量子力学が入ってきて、生物とは何か。人間と何か。までをも量子力学的な発想から問い詰めようという動きもあります。


なんといいますか…


生物学と科学と神学の中間的な領域に存在する神秘


って

テンション上がりますよね!!



〇科学で神にとどめを刺せるのか。

〇科学はWhyに答えられず、とどめはさせない

〇ドーキンスとグールドとの論争

〇エピジェネティクスの可能性

〇ドーキンスの機械論では時間が足りない。パンスペルミア説の復活!

〇量子もつれを解明できれば新たな世界が見えるかも

〇プランク定数、光速度、電子陽子の質量比、宇宙初期の膨張速度 どれも人間にとって都合がよすぎる?! 今の存在は10の‐1230乗!!!?? 多世界解釈しか無理じゃね?

〇生命連鎖から考えると、生物は38億年生き続けているとも考えられる。

〇自我や自由意思は今も際どい存在



なんといいますか、

こうした、物理・宇宙・生物・哲学・神学 各セクションをいったり来たりして神秘に思いを馳せていると、


元気が出ます(変態)



こうした大きな目線で自分を客観視して、自分の悩みや課題、ストレスの小ささを笑いながら、日々の生活や環境に感謝をして過ごせていければいいですね。



さあ午後からも仕事頑張ろう。


以上、なんの脈絡もない記事でした。

おわり。

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