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ケアクル 代表取締役社長の橋本さんにこれまでのキャリアと展望を訊く!

● インタビュアー:宮本(事業開発担当)
今回は代表取締役社長の橋本さんにインタビューを実施し、これまでのキャリアやケアクルの今後の展望について語っていただきました!

<プロフィール>
橋本 将崇(はしもと まさたか)
株式会社ケアクル 代表取締役社長。
幼少期、父親の海外赴任でスイスのジュネーブで5年間暮らす。日本に帰国し、大学在学中に起業を経験。エンジニアとして開発会社に就職したのちに、リクルートで新規事業開発を経験。独立後、ケアクルに参画。

ー 橋本さん、インタビューよろしくお願いします!さっそくですが、これまでのキャリアについて教えてください!

私は東京で生まれ東京育ちですが、幼稚園卒業くらいの頃から小学校の約5年間、スイスのジュネーブで暮らしていました。そこではフランス語がメインで、隣接国によって5か国語くらいあったと思います。ジュネーブで5年間暮らしたのちに、日本に帰国し、都内の公立の小学校に転校しました。

ー スイスから帰国して日本の小学校への転校・・苦労はありましたか?

そうですね。苦労しました(笑)。
小学生生活はほぼスイスでの生活で、その頃に思ったことは「数字」は世界の共通言語だと理解しました。スイスでは「数字」を磨くしかないと思って勉強していたので自然と数学は得意になりました。
帰国してから、国語や社会、特に日本史は特に苦手でしたね。すぐに数学と英語に注力しようと決め、学生生活を過ごしました。大学では数学科を選択しました。

ー 数学科!どんな勉強をしていたのですか?

ずっと「証明」していましたね(笑)。テストも90分で3問の証明の問題を解く、というような感じでした。入学して知ったのですが、ほとんどが教員を志望している人が多い学科でして。
私は教員になりたい理由で数学科に進学したわけではなかったので、数字を生かせるマーケティングなどの仕事をしてみたいと考えるようになり、2年で単位はほとんど取り終えて、残りの大学生活はUSJのマーケティングのアルバイトをしてみたり、ランディングページのサテライトサイトを大量生産する仕事をしみたりと、様々な仕事にチャレンジしていました。

「エンジニア」の道へ、そして学生起業を経験。

そんな中、フリーランスのエンジニアの方と知り合うきっかけがあり「開発」というものを学びました。ソーシャルネットワーキングが流行していた頃、知人3名と会社を立ち上げる話になり、最初から海外展開を見据えて全て英語で、SNSを統合しコミュニケーションを可能にするサービスを開発しました。

ー 学生時代に起業されていたんですね!

はい。ただ、サービスをローンチしたものの「利用者数は増えるけど売上が上がらない」という壁にぶつかりました。当時は、現在のようにVCなどからの資金調達を検討できるような状況でなく、事業を売却するかたちで意思決定をしました。

その出来事がちょうど大学4年生の時だったので、メディア開発、ゲ―ム開発をやっている30名くらいのベンチャー企業にエンジニアとして新卒入社しました。
ベトナムでも開発をしていたので、入社当時からベトナムへの出張も頻繁にありました。会社としては事業の多角化によって、約1年間で従業員が30名から100名まで増えるのを目の当たりにしました。そんな中、会社の方針でゲーム事業は一部譲渡することが決定し、チームメンバーと面談を組み、会社方針を説明して理解してもらう、という業務も経験しました。


事業開発のスキルを身に着けたいと思いリクルートへ

ー 新卒1年目から非常にヘビーな経験をされていたんですね。

そうですね。その頃に「もっとビジネススキルも身に着けないといけない」と強く感じるようになりご縁もあってリクルートに入社しすることを決めました。リクルートでは「新しいビジネスを創っていこう!」という、言葉を選ばすに言うとすごく雑なミッションで業務にあたっていました(笑)。事業開発室のような部門に所属し、とにかくビジネスプランを出しまくって、上司や役員に壁打ちし、ブラッシュアップして事業化を目指していくということをやっていました。

その中で「ピープルアナリティクスツール」の立ち上げをすることに。採用 - 育成 - 配置 - 評価等の人事関連データを集約・分析し、最適な採用や育成、配置、評価ができるようサポートする事業です。最初は私ひとりで企画から営業まで行っていましたが、人事データの集計分析や可視化を行っていただくデータアナリストや、人事領域で有名な方に参画いただき、サービスの導入を進めていきました。大手企業への導入も叶いましたが「HR Tech」といってもまだまだ浸透していない時期で営業の難易度が高く、拡販には苦戦しました。一方で、嬉しいことにサービス導入先からの満足度は高く、継続してご利用いただいていました。3年弱取り組んだのち、サービスを譲渡する方針となり、そのタイミングで独立を決意しました。

「独立」→「再会」→「ケアクル」へ

ー ケアクルにはどんなきっかけでジョインすることになったんですか?

独立してから、新卒1社目のときにベトナムで知り合った大山さん(ケアクルの創業者)と偶然に再会する機会があり、ご縁あって最初は業務委託という形で定例のMTGに参加したり、スポットで事業を手伝うところからケアクルに関わるようになりました。

当時のケアクル社の事業としては、ヘルスケアメディア、WEBコンサティング、セラピスト×ユーザーマッチングサービス「ケアくる」、人材紹介などがありました。MEO対策ツールや、自賠責に特化したレセコンを新たに開発するなど新しいことにもチャレンジしていきました。2020年から代表取締役社長の役割を担っています。



ケアクルで、世の中の人々の健康を支援・サポートできるサービスを創りたい。

ー あらためて、ケアクルをやる理由を教えてください!

新卒1社目のときに事業売却や組織の解散を目の当たりにし、組織作りって難しいものだということが印象に残っています。その背景から「HRの領域をやりたい」という思いで、リクルートでHRの事業を起案して事業化を推進していました。HR領域で事業をやっていくなかで、人事データを数値化し分析・活用していくことで、組織や事業をより良くしていくことのサポートは出来るかもしれないが、からだが資本であり、からだのコンディションが良ければパフォーマンスも上がるのではないかと考えることがありました。

そんな風に考えていた時期に父親が脳梗塞で倒れ、からだが麻痺してしまう出来事が。熱意をもって真面目に仕事に取り組んでいた父の姿をずっと見てきたので、とてもショックな出来事でした。

偶然かもしれませんが「健康」を見つめなおす機会が重なり、ヘルスケア領域の重要性を強く考えました。ケアクルで、世の中の人々の健康を支援・サポートできるサービスを創り続けていきたいと思っています。

ー ケアクルの今後の事業展開について考えていることを教えてください!

自社SaaSである 電子カルテ リピクルの事業については、導入数は右肩上がりで伸びてはいるものの「治療院領域のみなさまにとって必要不可欠な存在」には まだまだなりきれていません。
顧客の声を聴きながらプロダクトをブラッシュアップし続け、治療院領域でトップのプロダクトを目指したいと考えています。

ヘルスケア領域向けの受託開発事業については、電子カルテリピクルの基盤を活用しながら、将来的なアライアンスの足掛かりとして取り組んでいます。現在手掛けている案件は、治験領域の業務効率化支援のプロダクト開発や、薬局事業のオフライン×オンラインの融合を実現するプロダクト開発などです。

すごく広義でいうとケアクルは、セラピストや治療院、患者データが集まっているプラットフォーマーのような存在だと思っているため、データを活用するなどしてソリューションを持っている会社と繋がることで双方がバリューアップできると考えていて、早くトライしてきたいと考えています。

ヘルスケアの領域では第一想起されるような会社を目指したい!

ー ケアクルをどういう会社にしてきたいですか?

①ヘルスケア企業として、みんなが「健康」とか「元気」を推進していて「Well-being」な会社でありたい
②新しいことにどんどんチャレンジしている会社でありたい
③ヘルスケア(≒予防医療)の領域では第一想起されるような会社でありたい

たくさん思っていることはありますが、上記3つを挙げました。

— 一緒に働く仲間にはどんな風に仕事を任せていくイメージでしょうか?

プロダクト開発(受託開発事業、リピクル事業)のディレクション全般をお任せしたいです。
私と一緒に仕事を進めていただくことが多くなると思います。将来的にはオフラインデータとオンラインデータをマージしてリピクルのデータベースの基盤を創っていきたいとも思っていて、新しいことにもぜひ一緒に取り組んでいっていただきたいと考えています!

株式会社ケアクルでは一緒に働く仲間を募集しています
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