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経営支援機関や企業の困りごとを支える仕事にやりがい。ブレーキをかけずにいられる自分に驚いて!います。

―これまでのキャリアについて教えてください。

 初めて転職した先が人材派遣会社でそこから人材関連の仕事に関わるようになっていきました。その後大手求人広告会社に移り、10年ほど勤めました。その間に2人の子どもを出産したのですが、育児休業から復職後、本格的に営業の仕事を任されるようになり、自分が媒介役になって人をつなぎ、企業の課題解決につなげられることにやりがいを感じるようになっていました。

 ただ当時は、出産した後も働き続ける営業の女性が社内にほとんどいませんでした。保育園に預けていた子どもがしょっちゅう熱を出して、そのたびに業務をいったん離れざるをえないことに周囲の理解が得られず、このまま働き続けるのはしんどいな、と。

 そこで、子どもが小学校に入るまでは少し働き方を緩めることにしました。せっかく培った人材営業のスキルを保っておきたいと思い、お声がけをいただいた小さな人材紹介会社でお世話になりました。そこで1日4~5時間決められた業務をこなすような働き方を続けていました。


―大阪産業局で働こうと思ったきっかけは。

 勤めていた会社が傾いてしまって、新しい仕事を探さなきゃと思っているときに大阪産業局のプランナーを募集する求人広告が目に留まったんです。勤務先が近いし、企業の支援を行うという仕事内容だったのでこれまでの経験が役立つかな、くらいの軽い気持ちで面接に行きました。

 私の経歴を知ってか、2回目の面接には現在所属するHR戦略部の部長が出てきて具体的な事業や支援のスタンスについて話していただきました。役員面接では「次年度からHRで新しい事業が始まる」というお話を聞いて、民間ではなく公的機関だからこそできることだと思ったので、おもしろそうだ、関わってみたいと感じ、決めました。40歳になっていたので採用してもらうのは難しいかなって思ってたんですけど、それまでのキャリアを評価してもらえことがうれしかったですね。

―実際に入社してみていかがでしたか。

 入社した当時は部長の下に3人の職員がいました。HR戦略部では、国からの受託事業と大阪産業局の自主事業と合わせると5つの事業プロジェクトがあり、1人1~2事業プロジェクトを担当していました。事業の立ち上げから営業、支援、事務作業 までを1人が行うので、やっている仕事はプランナーの中でもプロジェクトマネージャーのイメージですね。

 ゆだねられる裁量が大きいことにまず驚きました。上司が事業の大枠は作ってくれましたが、コロナで最初の緊急事態宣言が出た時期でアポイントが取りにくい中、1人で道を切り開いていかなければならず、最初は苦労しました。ただ、上司から「ユーザーである中小企業、そして連携する商工会・商工会議所、金融機関などの経営支援機関の人とは上からでもなく下からでもなく対等にお付き合いしたらいいよ」と言ってもらい、仕事に臨むスタンスがわかりましたし、私がやってみたいことに対しても「やってみたら」と言って応援してくれたこともありがたかったです 。ここまでは何だか1人でやっていくようなことをお話しましたが、チームメンバーとも会議や日々のコミュニケーションの中で情報共有を行っているので、お互いにサポートし合う職場環境です。

―どのような事業を任されたのですか。

 2つの事業を任されました。一つは府内中小企業の採用に関するあらゆる相談に対応し、適切な人材サービス会社につなぐ「中小企業のための人材採用コンシェルジュ」の事業です。もう一つは地域で人材採用の支援体制を広げるために、大阪府内の商工会・商工会議所、金融機関、民間の士業などの企業支援の現場にいる方々を対象にした「人材確保の担い手」育成と、その人材確保の担い手と連携した「地域の人材確保ネットワークの形成」事業です。

 とくに後者は企業を直接支援するわけではなく、経営支援機関の専門家に「人材確保の担い手」として人材採用の相談の乗り方から解決に向けたアドバイスの仕方などのノウハウを学んでもらうという分りにくい事業でした。説明が難しくその価値を理解していただくまでに時間がかかる事業でしたが、「遠藤さんが担当するんだったら参加してみます」と言っていただきました。これまでの関わりで信頼してもらっている結果なのでとてもうれしかったですね。

 この事業は翌年にも取り組むことになったのですが、「ネットワーク形成」と伝えても理解しにくいところを、2年目には「支援機関が企業の支援をする中で人材に関わる課題が出た場合、大阪産業局が側面支援するための仕組み作りをする事業」とかみ砕いて伝えるようにしたところ反応が明らかによくなり、参加者が明らかに増えていきました。

―どんな時にやりがいを感じますか。

 各商工会・商工会議所には多くの経営指導員がいらっしゃるのですが、ある経営指導員の方が他の相談員とは違う強みを持ちたいとおっしゃって毎年熱心に参加してくださいました。その結果、その会議所内で「人材に関する相談が寄せられた時は〇〇に」という評価が確立し、多くの企業から依頼が舞い込むようになったと言って喜んでいただいています。 また、経営指導員の支援先の企業に、経営指導員とわたしと産業局の専門家の3人で訪問する機会があったのですが、その企業の社長さんから、人材以外の支援事業についても興味を持ってもらい、工場の拡充についてのご相談もしていただくなど、今では大阪産業局を頼ってくださっています。

 民間企業で営業をしていると自社の商品や、サービスしか売れないものですが、大阪産業局は公的機関なのであらゆるサービスの中から企業に合った最適なサービスを提供できるので、より役立てているという実感があります。

―現在はどのような気持ちで仕事に臨んでいますか。

 入社した頃の苦労を忘れるくらい、今はめちゃくちゃ楽しいんです。仲間は自分で広げていけばいいんだという考え方ができるようになり、部署内の同僚、上司だけでなく、専門家や支援機関との人脈がどんどん広がっています。支援機関や企業との信頼関係ができると、さまざまなテーマで相談をしていただけるので、今まで地道に取り組んできたことが花開いている実感が得られています。
夫からは「仕事の鬼」と冗談で言われるくらい、仕事に夢中になれています。大阪産業局に転職するまでの会社では職場内の理解や育児のことなどが気になって、どこかでブレーキをかけなければいけない自分がいました。ところが今では子どもや夫も応援してくれていますし、立ち上げた事業に愛着がわいて、ブレーキをかけずにいられる自分がいることに自分が一番びっくりしています。
 企業や経営支援機関の方が、何か相談したいなっていう時に、真っ先に「遠藤さんに聞いてみよう」と思ってもらえるような存在を目指しています。

公益財団法人大阪産業局では一緒に働く仲間を募集しています
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