1
/
5

【執行理事インタビュー】主役は一人ひとり。1粒1,000円ライチを生んだ地域商社が4年目の今を「本当の意味のスタートライン」とする理由

2017年4月に宮崎県新富町が持続可能な地域の実現を目指して設立されたのが、地域商社こゆ財団です。

4期目を迎えた2020年4月、設立メンバーの一人で広報PRも兼ねてきた高橋は、今期から執行理事兼事務局長となり、新たなスタートを切りました。

「設立からの3年間は、さまざまな活動をこゆ財団を主語として語ってきましたが、今期からはメンバー一人ひとりが主語となり、主役になっていきます」と語る高橋に、その真意や背景を聞きました。



ー昨年度の振り返りから、今年度の新たな動きを教えてください。

2019年は、地域おこし協力隊として移住者が10名やってきて、チームの多様性と可能性が一気に広がりました。一気に広がった反動でチームづくりや事業の活性化には課題も多く生まれましたが、時間が経つにつれて個々に目標が定まってきたり、商品やサービスといったものが形を成してくるなど、今後の基盤ができてきたように思います。

そして2020年も、4月からうれしいことに新たなメンバーが県内外から「新富町でチャレンジしたい!」と集まってきてくれました。分野も、教育から広報情報発信まで幅広いです。


課題に直面して生まれた、チャレンジを支え合うコミュニティ

ー課題によって見えてきたことは何でしょう?

みんな、何かしらやりたいことをイメージして情熱を燃やしてはいるものの、やはり失敗は怖いし、一人で新しいことに挑戦するには結構なエネルギーがいるものです。一人ではなく、仲間がいてゆるやかにつながり、お互いを支え合えるコミュニティはとても大事です。

その点で、ちゃんと仲間がいるという環境づくりをこゆ財団では意識してやってきました。まだまだ混沌としていて、どういうありかたがよいのか試行錯誤の連続ですが、2019年はチャレンジを支え合うコミュニティのプロトタイプのようなものが生まれた年だったように感じています。

2020年4月に新たなメンバーが参画してくれたのも、そのコミュニティの存在が大きいですね。

ー改めて創業当時を振り返ると、どんな思いでしょうか?

こゆ財団は3年前、JR日向新富駅の改札奥にある小さなスペースからスタートしました。設立したばかりの組織で実績はもちろんありませんでしたし、ライチのブランド化も、人材育成も、すべてが未経験でした。


※JR日向新富駅の改札裏に構えた、創業当時のオフィス。


そこから半年近くはとにかく”やってみよう”です。上記のことだけではなく、商店街の空き店舗のシャッターを開けたり、朝市を始めたりと、地域経済の活性化につながると感じたことを何でもやっていきました。

ただ、自分たちがやっていることが何につながるのか、どんな影響を生み出すのかは、よくわかりませんでした。それが初めて見えるようになったのは、設立から半年後の10月。『月刊ソトコト』の表紙と特集に取り上げていただいたときのことです。


※『月刊ソトコト』2017年10月号の表紙になったのは、駅の改札裏から移転したこゆ財団オフィス前で撮影したこの1枚。

「自分たちは何者か」を感じた瞬間

編集長の指出一正さんが私たちを取り上げてくださったのは「ソーシャルビジネス」の特集でした。なるほど、自分たちの活動はソーシャルビジネス(=社会課題をビジネスの力で解決する)なのかと。

また、指出さんからはこゆ財団を指して「関係人口案内所になっていますね」という言葉もいただきました。関係人口は、内閣官房まち・ひと・しごと創生本部が地方創生のキーワードとしていますが、当時はあまりよくわかりませんでした。ただ、自分たちにはおぼろげに町の中と外をつないでいる感覚があり、それを言語化すると関係人口というのだろうという程度に捉えることができました。

言葉で定義されると、自分たちが何者かがだんだん客観的に見えるようになることは、このように自分たちも体感していました。

そのあとの12月、東京都市大学の坂倉杏介先生が新富町に来てくださったとき、役場や町内の方、学生、町外からのお客様など多様な人が集まる場ができました。私が関係人口という言葉を初めて体感したのはこのときです。


ーこゆ財団がサポートしている地域おこし協力隊の様子は?

移住してチャレンジを始めた協力隊メンバーも同じように思います。移住前から新富町を訪れるなどして活動のイメージを膨らませ、ある程度のプランを用意してきたのが今のメンバーですが、いざスタートしてみると予期せぬ出来事で方向転換を余儀なくされたり、熱量が異なるベクトルに向くということは、当然ながら出てきます。

そうすると出てくるのが「そもそも自分は何をやろうとしてたんだっけ?」ということ。原点回帰です。2019年は、メンバー一人ひとりが壁にぶつかりながら、試行錯誤をし、原点回帰に至った一年だったように思います。

例えば、河野大樹くんは移住前は東京の飲食店で店長をしていました。移住後しばらくは加工品の製造などに携わっていましたが、町内のカフェに運営アドバイザーとして関わるようになり、飲食というフィールドに改めて自分の役割を見出しました。

彼は昨年末、もう一人の協力隊メンバーと空き店舗を改装し、飲食店のメニュー開発をスタートしています。彼が手がけたメニューは町内でも評判なんですよ。

※地域おこし協力隊2人で商品開発のために営業している『メキシカンフード&ワインバー ナナブンノニ』。写真・左がフードメニュー担当の河野大樹さん(写真・左)。

財団が主役の時代から、一人ひとりが主役の時代へ

ーこれからのこゆ財団やメンバーたちはどのように進んでいくのでしょうか?

こゆ財団はこれからも、ビジョン「世界一チャレンジしやすいまち」の実現を目指し、農業を中心とする地域産業の活性化と、その担い手となる人材の育成を両軸として事業を進めていきます。

これまでと一つだけ異なる点は、町内外から集まった地域おこし協力隊メンバーを含む一人ひとりが、これからの主役だということです。

これまでは、「こゆ財団」が主役として活動し、さまざまなご縁をいただいてきました。設立から3年が経ち、多様なメンバーが集ったこれからは、一人ひとりがその基盤の上で自分らしく生きて働く段階だと感じています。

すでに岩本くんや河野くんといった人材には、個別に取材依頼が入ったり、事業化に向けた具体的な活動が始まっています。


※メディカルフルーツと言われる青パパイヤを栽培し、石鹸やお茶などさまざまな商品開発を手掛ける地域おこし協力隊の岩本脩成さん


農業を筆頭に、新富町にはまだまだ稼げる余地のある地域資源があります。空き家一つを民泊にしただけでも動き出した経済があります。自ら感じ、考え、行動する人を町内外から一人でも多く集めることで、この町は本当の意味で「世界一チャレンジしやすいまち」と呼べるようになるのではないか、と改めて感じています。

そのための新たな仲間を、私たちは求めています!

一般財団法人こゆ地域づくり推進機構では一緒に働く仲間を募集しています
4 いいね!
4 いいね!
今週のランキング