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「育ってよかった」と子どもたちが思えるような町であってほしい|森川英浩さん(新富町役場財団出向者)

もともと新富町出身ではなかったそうですね?

僕自身は宮崎市の出身です。新富町に祖父母が住んでいたので、よく遊びにきていました。
富田浜プールや新田原基地の航空祭にもよく行ってましたよ。
社会人になってからも、サーフィンをしに富田浜によく来ていました。

新富町はどんなまちだと感じていましたか? いまはどう感じていますか?

もう、とにかく田舎!!(笑) 昔も今も、その感じ方は変わりません。ただ、そこで生活している人を知ることで、徐々に愛着がわいてきています。
特に、子どもたちの成長をみているとその気持ちが強くなりますね。大きくなって都会に出ることになっても、田舎だけど新富町で育ってよかったと思えるような、そんな町であってほしいと思っています。

どんなお仕事をしていますか?印象的なエピソードはありますか?

主に、ふるさと納税に関わる業務のお手伝いをしています。「新富町の魅力を全国に知ってもらうためには、まず自分が地元のことを知ることからだ」と思って、町内のあちこちでご飯を食べ、お菓子を食べ…としていたら体重が増えました(笑)
余談ですが、ドライフルーツを作る機械を造る企業が新富町にあったことを最近初めて知りました。
役場職員を10年してますが、まだまだ知らない事が多いんだなぁとショックを受けましたね。

こゆ財団の魅力、この会社でできる仕事の魅力について教えてください。

とにかく、皆さん明るい!(笑)
前向きに、自分のやりたい事をしているからだと思っています。
ここで仕事する魅力は、やはり「学べること」でしょうか。財団の職員だけでなく、外部から来ていらっしゃる方や、協力隊で頑張っているメンバーと話をしていると、自分では経験していない事や、考えていなかった事について知る機会になるので、とても勉強になっています。

こゆ財団は、地域の中でどんなことを期待されていて、どんな存在だと思いますか?

こゆ財団は、”世界で一番チャレンジしやすい町”を理念に活動していますよね。
それが今の時点で地域に期待されていることか、実際にそんな存在になれているかについては、今の時点ではまだ「発展途上」と言えるかもしれません。
ですが、そんな「今」の積み重ねが未来の新富町のためになると思って、皆さん頑張っていると思っています。
その頑張りが地域に伝わり、根付いていくには時間が必要だと思いますし、期待や存在感というものは今というより、後から付いてくるんじゃないかなと思いますね。

これからチャレンジしたいことや夢について教えてください。

実は今まさにとあるチャレンジの真っ最中なのですが、周りには秘密にしているんです(笑) お楽しみに!


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