教育業界から医薬品商社へ。
この2つのキャリアは、直接的には繋がりのないキャリアです。
ニフジには、私のように異業種から転身した人は少なくありませんが、
私もそのキャリアチェンジ組の1人です。
一見すると、一貫性のない選択ですが、
振り返ってみると、同じ基準で意思決定をしてきたことに気づきます。
それは、
「難しい方を選ぶこと」
そして
「自分の心がワクワクする方を選ぶこと」。
これまでの私の意思決定が、
これからニフジに入社される方の参考になれば嬉しいです。
オリンピックを目指した日々
熊本で生まれ、熊本で育ちました。
幼少期から高校まで、女子アイスホッケーに打ち込み、
本気でオリンピック出場を目指していました。
父も元選手であり指導者。
家族と仲間とともに、生活のすべてを競技に捧げる日々でした。
アイスホッケーから学んだことは数え切れませんが、ひとつ挙げるなら、
「迷ったら、難しい方を選ぶ」という姿勢です。
アイスホッケーが盛んとは言えない熊本から
世界を目指すこと自体が挑戦でした。
環境も設備も十分とは言えない中で、
「できない理由」を並べるのではなく「どうすればできるか」を考え続けてきました。
アイスホッケーに全てを捧げた日々を通じて、
過去の自分の決断を、未来の自分が正解にするという人生観を獲得できたように思います。
怪我、そして海外へ
しかし高校入学後、早々にその競技人生は儚くも終了しました。
腰を負傷し、思い描いたプレーができなくなってしまいました。
あまりにも短すぎるアスリートとしての人生。
人生の目標を失いましたが、チームの中心として塞ぎ込むわけにもいかず、
チームのサポートし、指導する立場になりました。
自分は一歩引き、仲間を支え、指導する側に回る。
立場が変わったことで、これまでとは違う視点でチームや状況を見るようになります。
その中で、自然と将来を考える時間が増えていきました。
「自分は、この先何を目指して生きていくのか」
その問いに対するひとつの答えになったのが、高校2年生で経験したカナダ留学です。「もっと自分の世界を広げたい」「世界で働ける人間になりたい」
という次なる目標が決まりました。
ただ、日本の高校生が「英語が得意」というレベルでは、
世界の高校生と海外の大学入試で競うのは簡単ではありません。
そこで私は、アメリカの短大に進学し、
4年制大学へ編入するというルートを選びました。
この進学方法は日本ではあまり知られていませんが、
短大で極めて高いGPAを維持し続ける必要があり、
常に評価に晒される厳しい環境です。
周囲の多くの友人も、同じ目標を持つ中で競い合うため、
一度でも気を緩めれば脱落してしまうような緊張感のある日々でもありました。
実際、多くの人が、様々な理由で編入に失敗し、
帰国する現実を目の当たりにしました。
それでも、「難しい方を選ぶ」ことが私にとっては自然な選択でした。
留学、そしてコロナの猛威
留学先はカリフォルニア州、シリコンバレー。
陽気な気候と華やかな世界の片隅で、私は孤独に勉強していました。
誘惑に負けないように。環境に流されないように。
毎日、戦うような気持ちで過ごしていたと思います。
その結果、初年度のGPAは目標を達成。編入が現実味を帯びてきました。
しかし2020年。
コロナが猛威をふるい、世界は一変しました。
アメリカのロックダウンは日本のそれよりも遥かに厳格で、
外出は週1回の買い物のみ。授業はすべてオンラインに移行しました。
「すぐに終わるだろう」と思っていた日々が、終りの見えない日々なり、
何度も繰り返される感染拡大の中で、異常が日常になっていきました。
高額な授業料を払いながら、画面越しの短大の授業を受ける日々。
いつ終わるとも知れないロックダウン。
ひとり孤独に受験に備えた勉強をする日々。
「オンライン授業をする大学に編入することに、本当に意味があるのだろうか」
「ここで挑戦を辞めてしまうことは、これまでの日々を無駄にしてしまうのではないか」
揺れ動く葛藤の末、日本への帰国を決断しました。
アイスホッケーに挫折した怪我とは全く異なる種類の挫折を前に、
人生、うまく行かないことばかりだなとさすがに落ち込みましたが、
「この決定もこれからの自分が正解にする」と信じて下した決断でした。
教育業界で見たやりがいと限界
帰国後、英語を活かせる仕事として最初に縁があったのが教育業界でした。
中学生の頃から人に勉強を教えることが好きだった私は、
個別指導塾の校舎長、そして英語塾の運営スタッフとしてキャリアを積み重ねました。
子どもたちと向き合う日々はやりがいに満ちていました。
勉強が苦手だった子が、少しずつ自信を持ち、
表情が変わっていく瞬間に立ち会えることは何よりの喜びでした。
「怖い先生」でも「ただ優しい先生」でもなく、
厳しいけれど、信じてくれる存在でありたい。
そう思いながら仕事をしていました。
一方で、教育業界には構造的な課題もありました。
生徒のためなら頑張って当然という“やりがい搾取”の風土。
長時間労働に疲弊し、擦り切れて辞めていく先輩方。
同業界にしか転職できず、結局同じことを繰り返す悪循環。
教育業界の人は、教育業界でしか生きられないという現実は、
キャリアを広げるために英語を選択した当時の志と真逆の結果で、
このままキャリアを積み重ねることに怖さを覚えるようになりました。
ワクワクするかどうか
ニフジとの出会いは、転職エージェントからの紹介でした。
もちろん正直最初は、「医薬品商社」の仕事に、
具体的なイメージは全くありませんでした。
ですが、ニフジの面接を通じて、志望度が上がっていきました。
その理由は、
「私が何ができるか」というスキルの評価ではなく、
「どんな価値観で意思決定してきたか」という背景に向き合ってくれたこと
「どれほどニフジを知っているか」という確認ではなく、
「ニフジはどんな会社なのか」を丁寧に説明してくれたこと
そして、「この会社でどんな未来を描けそうか」を一緒に考えてくれる対話だったこと
地方の大手教育業界で働いてきた私が、
東京の異業界かつベンチャー企業で働くことは、
大きな挑戦であったことは言うまでもありませんが、
同時に、心からワクワクできる意思決定でもありました。
そして、入社後も組織風土にギャップを感じることなく働けています。
一緒にランチに行く。業務中に自然な雑談が生まれる。
組織風土に違和感がなく、心地よく働ける環境。
制度がまだ整いきっていない部分もありますが、
だからこそ改善の余地があり、一緒に築いて行けることにワクワクします。
またニフジに入社したことで、
私自身の人生観もアップデートされているように感じます。
これまで私は、ストイックに自分を追い込む生き方をしてきました。
けれど、定期的に燃え尽きる自分もいました。
「成長するために苦しむ」のではなく、
「楽しいから続けられる」状態をつくれないか。
今はそう考えています。
ニフジの中で、もっと楽に、もっと挑戦できる仕組みを整えたい。
毎日を耐えるように頑張るのではなく、土台を整えたうえで難しいことに挑戦したい。
休日にぐったりするのではなく、
日常の小さな出来事を楽しめるような生き方をしたい。
ニフジはベンチャ―企業でありながら、
人生の「豊かさ」も、私に気がつかせてくれました。
これからも、ここで、
もっと難しいことを、もっとワクワクしながら挑戦していきたいと思っています。