【社員インタビュー:取締役】NPO・リクルート・独立を経てミツカルへ。故郷に妻子と移住した男が、単身赴任で挑戦に踏み出した理由。
新卒入社前に発生した、東日本大震災
ーミツカルに入社前のご経歴について教えてください。
出身地の新潟から、大学への入学で上京。中央大学を卒業後、新卒にて大和証券に入社しました。その後、入社直前に発生した東日本大震災の復興支援のため、半年で大和証券を退職し仙台で2年間NPO活動に携わっていました。2013年からは株式会社リクルートにて11年間勤務した後、故郷の新潟で起業。ミツカルには半年間の業務委託を経て、2024年の12月に正式に入社しました。
現在はグループ会社のミツカルプロフェッショナルにて、人材関連の事業全てを管掌する取締役として務めています。
ー東北での活動について、教えてください。
東日本大震災は自分に大きな影響を与えました。テレビで津波などの被害状況を見て、その場にいない自分に何かできることはないだろうか…と歯がゆさを感じたことを覚えています。もともと地元である北陸・東北には大きな思い入れがあり、学生時代には地域活性・地方創生を学ぶため、農業ベンチャーにインターンとして参加した経験もありました。そのような思いもあり、「自分が直接何かしなければ」ということを感じて、仙台でNPO活動に従事することを決めました。仙台では2年間、被災者の就職支援・雇用創出などに携わっていました。当時の仙台は復興と地方活性のため、戦略コンサル出身の方や投資銀行出身の方などがNPO活動に多く参加されていて、学ぶことは非常に多かったです。ただ社会的な活動とはいえ、NPO活動は行政の補助金で成り立っている事業です。
当時23歳である若い自分が、税金を使い続けるポジションにいていいのか?と違和感を感じることもしばしばありました。地方・ひいては国を将来的にもっと良くするために、「自分の力で稼ぎだすポジションに移ろう」という考えが日々強くなっていきました。当時はまだ起業する自信はなく、起業して成功する力を身につけられる環境と、社会貢献・ビジネスの両輪をまわせるフィールドとして、起業家排出企業として定評のあるリクルートに転職しました。
リクルート勤務から故郷の新潟、そしてミツカルへ
ーリクルート時代はMVPなど、数々の受賞歴があると伺っています。当時のお話を聞かせてください。
リクルートは個を尊重する文化があり、また自分がやりたいことの環境創りを周りの方が手伝ってくれる素晴らしい会社でした。今でも覚えているのは入社直後、直属のマネージャーからいただいた言葉です。「君は多国籍料理の食べ方は知ってるだろうが、一流のフランス料理の食べ方は知らないだろう」との言葉をいただいたのですが、当時の自分は鼻っ柱を折られると同時に、この言葉がストレートに降りてくる感覚を覚えました。この言葉って、「色々な仕事をしてきた君は、幅広い物事の考え方、取り組み方を知っているかもしれない。だが、大企業との大きなお金が動く取引の本質は知らないだろう?」という意味を込めた一種の比喩なんです。
自分は当時、これまでの仙台での経験から「どんなリクルートの社員にも負けないだろう」と大きな自信を秘めていたのですが、マネージャーには見透かされていました。この言葉が自身のマインドセットを変化させ、素直に学ぼうという意識へと繋がりました。この言葉がなければ、後の成果はなかったかもしれません。
また、ミツカルの取締役である石川との出会いもこのリクルートです。中途入社の同期、なおかつ同い年であることもあり、すぐに打ち解けて気心の知れた仲となりました。ミツカルに入社するきっかけとなった人間でもあり、自分にとって信頼できる大きな存在ですね。
ー東京での勤務後、地元である新潟に移住されています。新潟でのお話を聞かせてください。
リクルートでの11年間の勤務の内、最後の4年間は異動の希望を出して、地元である新潟担当の業務を担っていました。合わせて、コロナ禍によりリモート勤務が可能になったこともあり、家族との相談のうえで愛着のある新潟への移住を決めました。新潟での生活を通して、現地の経営者の方との関係性ができたことと、35歳前後での起業をもともと考えていたこともあり、その後独立に踏み切りました。新潟では地方と東京のビジネスの根本的な違いを体感したことが、新鮮な驚きでした。東京のビジネスではメリット・デメリット、効果の有無の判断から仕事が始まるのですが、地方ではまず信頼されているかどうかが重要です。必然的に、こちらは相手を信じるポジションから入り、信頼されるためのアクションを行うことが大切であることを学びました。
ーミツカルと接点を持つに至ったお話などを教えてください。
まずリクルート退社後は半年ほどゆっくり休んで、新潟で人材紹介事業をメインとして独立しようと考えていました。しかし退社後すぐのタイミングで、既にミツカルに参画していた石川からミツカルへの熱烈なオファーをもらいました。何度も東京から新潟まで足を運んで、熱心に私を口説く当時の石川の姿を覚えています。(笑)
時には経営陣・メンバーとともに来訪してくれたこともあり、ミツカルの魅力・将来性を説く彼の熱意に心を打たれ、まずは業務のひとつとしてミツカルの業務委託を引き受けることを決めました。リクルートの退職時期が2024年3月だったのですが、結果的に翌月の4月から休まずに独立する形になりました。
ー当時のミツカルの印象を教えてください。
当時のミツカルから受けた印象は、「昔のリクルート」です。エネルギーに溢れた社員が、猪突猛進に行動量で頑張り、とにかく素直。仕事に関しても即レス・即日対応は当たり前。コロナ禍のリモートワークで、そのような業務スタイルから長く離れていたこともあり、ギャップと同時に楽しさを感じましたね。時が経つにつれ、彼らのような素敵な仲間と素敵な時間を過ごしたい、という意識を徐々に持ち始めました。同時に、業務の型化、仕組化などまだまだ未整備の部分も見受けられたので、この組織を応援したい、もっとうまく回るように導きたい、と感じたことも多々ありましたね。
ー新潟から東京に戻り、単身赴任でミツカルへ参画することを決めた経緯を教えてください。
まず前述のように、環境面は自分に強く響きましたね。魅力的な仲間たちがそろった組織を自分の知見を活かしてさらに拡大させる、という行程に大きな楽しさを感じました。ここ数年のリモートワークで、味わうことが難しかった熱狂、ワクワク感をミツカルで実感することができたことは、自分にとって非常に大きな経験でした。
前述のように、新潟に移住後、リモートでの勤務を経て独立したのですが、当時はやりがいや落ち着きと同時に、少しモヤモヤしたものを抱えていました。20代の頃は、自分は程度を定めず「新潟で事業に貢献すること」を目標としていたのですが、これまでのキャリアでその目標をある程度叶えてしまったことにより、この1年は少し停滞感を感じていたところがありました。そして業務委託中の9月、城之内と話していた際に出た「どれだけ人生で大きなことを成し遂げるか」という話題が、ひとつの転機となりました。
「士業業界の変革」「時価総額10兆円」といった大きな目標に向かって進む、ミツカルに参画している自分の姿がスムーズにイメージできたのです。
あらためて城之内と石川から「リクルートを超える会社を創ろう」という言葉をもらったことで、「このメンバーとともに、歴史に残る組織をつくりたい」という大きな、そして新しい目標が自分の中で定まり、正式な入社を決意しました。家族の後押しもあり、今はミツカルに完全コミットするため、単身赴任で数年ぶりの東京住まいを味わっています。
ーミツカル入社後に感じた、やりがい・ギャップについて教えてください。
業務委託時はオンラインで社内と関わっていたので、リアルで社員一人ひとりの成長と、スケールしていく事業の状況を感じられる点が今は大きなやりがいですね。会社の大きなお金がどれだけ回っているかを意識しながら、「ミツカルを自分自身が創っている」「自分が逃げたら終わるぞ」といった感覚を持って業務に打ち込むことは、非常に刺激的です。
前職に比べて、顧客・社会からの信頼はまだまだだな、というベンチャー企業ならではのギャップも当然ですが感じています。新規の取引開拓には工夫が必要ですし、競合優位性をどう作るかもこれまで以上に意識していますね。
ー今後のビジョンについて教えてください。
まず、ミツカルプロフェッショナルとしては「国家資格から日本を強くする」というミッションを掲げています。国にとって重要なポジションである、士業を目指す方を増やすこと。士業に従事する方々がもっと誇りを持って、もっと稼げるようになること。これらのミッションを必ず実現させていきます。
個人的なビジョンですが、「自分がMVPをとりたい」「これくらい稼ぎたい」というような目標は現在持っていません。今は組織の目標が自分の目標と感じていて、ミツカルグループの掲げる時価総額10兆円達成や、前述のミツカルプロとしての目標に向けて、動くことが自身のミッションですね。
これらの目標のため、メンバーに話しているのが「全て自分ごととして、捉えてほしい」ということです。毎日の達成はもちろんですし、週時の達成、月間の達成みたいなところも当然やっていかないと、自分だけではなく組織全体に影響していきます。自分自身がミツカルを背負っている、ということを認識してやってほしいという旨をメッセージ・行動のKPIを通して常に伝えています。
現在弊社には20代前半・中盤の若い社員が多いのですが、将来的にどのような立場・どのような企業にいても恥ずかしくない、市場価値の高い人間に彼ら皆が育ってほしいと思っています。
そして、今まで自分が受けてきた教育・ミツカルのフィロソフィーなどを、さらに下の世代の子たちに伝えられるような、人間になってほしいですね。