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私の過去とコンプレックス

中学生の頃から、
“劣等感の塊”みたいな人間だった。


2009年「関西学院中学」の入試に合格した僕は、その後、受験を経験することなく、「関西学院高等部」「関西学院大学」に進学した。

いわゆる、中高一貫教育。

多くの生徒が、受験の代わりに与えられた、膨大な「時間」を、主体性を持って、活発に過ごしている。そんな学校だ。

自分で音楽をつくる生徒から、文化祭でリーダーシップを発揮する生徒まで。

プロ並みのマジックを極める生徒、映像制作のスキルを身に付ける生徒など……

彼らは個性的で、輝いて見えた。

(ちなみに、映像制作に熱中していた生徒は、
後に共同代表となる、三崎龍人君です。)

こんなことを書くと、

「あぁ、そんな特殊な学校に通っていたから、君も学生起業をしようと思ったのね!」と言われてしまいそうだが、それは違う。

僕はそこそこに勉強や部活に励む、
どこにでもいる普通の生徒だった。

そして、「普通であること」への物足りなさと、そんな自分への劣等感を抱えた生徒だった。

◎周りの目を気にしていた中学時代

関西学院中学が、生徒の主体性を重んじる校風であったのは事実だが、思春期にありがちな、ヒエラルキーが全く存在しないわけではなかった。

みんな、周りの目線を気にしている。

僕らの学生時代もあい変わらず、
スポーツができる人は強かった。

一方、学校以外に居場所を見つけて、自分らしい活動に熱中している生徒は、クラスメイトから少し変わった目で見られていた。

「みんな彼らの良さを分かっていない。」

僕は心の中で、いつもこんな風に思っていた。

周囲の目に惑わされることなく、何かに熱中できる友人たちを心から尊敬していたし、彼らと共に過ごす時間が何よりの宝物だった。

その一方で、いつまで経っても「普通」から抜け出せない自分と比べては、劣等感を感じていた。

挑戦したいことがあるなら、自分もやってみればいいのに、その1歩がなかなか踏み出せない。

「周りにどう思われるんだろう?」
「浮いてしまわないだろうか?」
「失敗したら恥ずかしい」

周りの目を気にしていたのは、
間違いなく僕自身だった。

◎頑張っても報われなかった野球部時代

「頑張っても報われない」という経験は、
多感な思春期の自尊心を蝕んでいく。

「部活は大事だよな」と思って入部した野球部でも、相変わらず「普通」から抜け出せずにいた。

特別うまいわけじゃないけど、下手でもない。

全くレギュラーになれないわけではないけど、才能のある下級生に追い抜かれてしまう。

自分には才能がない。
努力しても報われないのではないか。

忍耐、礼儀、挨拶....

部活動から得たものは、確かにあったけど、3年間、ゆっくり蓄積されたダメージに、僕はすっかり自信をなくしてしまった。

◎西宮市民なのに、三田キャンパスへ

そんな冴えない青春(ちなみに、男子校で彼女も出来なかった!笑笑)だったが、大学の進路選択、大正解だったと思う。

大学4年間を、関西学院大学の「三田キャンパス」で過ごすことを選んだのだ。

僕は、兵庫県西宮市の出身。実家は、関西学院大学「西宮上ヶ原キャンパス」の近くにある。

経済学部や商学部といった、メジャーな学部が揃う西宮キャンパスは、まさに関学の王道。サークル活動も盛んで、遊ぶ場所にも困らない。

僕が通った中学と高校も、西宮キャンパスと同じ敷地にあったので、通学するにも困らない。

理工学部や建築学部がある「三田キャンパス」には、華やかな印象を持てなかった。どちらかと言うと、地味なイメージがあった。

一方で、将来の目標や成長意欲、高いモチベーションを持ち、学びに熱意のある学生が多かった。

中高で出会った、あの友人達のように、魅力的な仲間に出会える。そんな予感がした。

華やかな大学生活を満喫するなら、間違いなく西宮キャンパスの一択(しかも家から近い)。

それでも、僕は通学に片道100分もかかる、三田キャンパスを選んだ。大学入学を機に「何にも挑戦できない自分」を変えたいと思ったから。

「普通のままでは終われない」
「もう、あんな思いはしたくない」

そんな、ドロドロとした「負のエネルギー」を胸に、僕の大学生活が始まった。

◎自分の軸で生きた大学時代

入学してからは、負のエネルギーを糧に、地域貢献やボランティア活動に積極的に取り組んだ。

子ども向けのキャンプや、地域のプロジェクトを仲間と一緒に企画して運営していく。

この活動が、想像以上に自分に合っていた。

プロジェクトを立ち上げ、アイディアを形にしていく。1つ、また1つとプロジェクトを終えるたび、僕は小さな成功体験を積み重ねていった。

大学2年生になる頃に、自分の中から「劣等感」の文字が無くなった。ただ純粋に、プロジェクトを進めて、誰かの課題を解決すること、誰かに喜んでもらえる楽しさに夢中だった。

いくら没頭しても飽きないし、寝る間を惜しんで活動しても、平気だった。全く疲れない。

常にアドレナリンが出ていて、
アイディアがどんどん浮かぶ。

「次は、あの人に会ってみたい」
「こんなスキルを身に付けたい」
「もっと、誰かに喜んで欲しい」

これまでの自分には無かった、
前向きで、ポジティブなエネルギー。

「自分が本気でやりたいこと」に出会えたからこそ、僕は夢中になり、走り続けることができた。

自分の中でエネルギーの源泉が、
移り変わっていくことを感じた。

◎大学3年生、仲間と一緒に起業する

大学3年生の進路選択で、僕はこの三田キャンパスで出会った仲間たちと一緒に、「学生起業」するという道を選んだ。

思えば、僕は昔から「納得感」を得られない物事に対しては、モチベーションが低く、あまり成果を発揮できないタイプだった。

勉強が嫌いではなかったけれど、少しでも「これ、学ぶ意味ある?」と思ってしまったら最後。モチベーションがなかなか上がらない。

今になって思えば、努力しているつもりだった部活も、心のどこかで「やらされている感」があったのかもしれない。野球が大好きで、夢中で没頭している人に、僕が勝てないのは必然だった。

当時は、「部活に入って当然」という風潮や常識があったから、野球部に入った。

「部活に入っているから、かっこいい」
「部活に入っていないなんて、かっこ悪い」
「部活を辞めたヤツに、なりたくない」

とことん、他人の軸で判断していた。

チームが試合で勝利するのは嬉しいけれど、そこに自分が貢献できないことが、もどかしい。

最終的には「センスがないから」なんて、言い訳をして、野球に全力を発揮できない自分がいた。




就職活動を控えた大学3年生の秋。
いわゆる自己分析をしてみた。

「やりたくないことでも、しっかりやっていくこと」が求められる社会において、僕はとことん適さない人材なのだと痛感した。

会社員になっても、「これは納得できる」「でも、これはなぜ?」と悶々と思い悩み、精神的に参ってしまう自分が、容易に想像できた。

◎自分で決めれば、納得感がある。

その一方で、「自分がやりたい!」「自分がやるべきだ!」と思ったことに対する集中力は、誰にも負けない自信があった。

自分で決めれば、全てに納得感を持てる。その先には責任や困難、試練が待っている。それでも、絶対に乗り越えられる自信があった。

そんな、極端で偏った性格だったからこそ、「起業」という道に迷いはなかった。言い換えれば、そうせざるを得なかったのだ。

あとは、自分や仲間を食べさせていくことができるか、できないか。そこに対する戦いでした。

就職活動を進めながら、起業する。

収益が上がらなければ、潔く諦めて、就職するつもりだった。就職して、たくさん修行して、成長して、また起業にチャレンジする。

そんな覚悟を決めていた。

◎浮き沈みの激しさ

起業から2年が経った今。

心から納得できる道を進んだが、
苦労や悩みが無いわけではない。

若くして起業した分、立ち向かわなければいけない課題も多い。知らないことも多かった。

ところが、なにかに切羽詰まったり、突然のピンチやトラブルが起こると、僕は分かりやすい程、心と体に影響が出てしまう。

分かりやすく言うと、落ち込みやすい。

心情の浮き沈みが激しい、この性格は昔からコンプレックスで、いまだに治っていない。

誰かに相談することも少ないから、
一人で悶々としていることも多い。

ドラマを一気に見たり、湯船にゆっくりつかってみても、心が満たされるのは一瞬だけで、残念ながら根本的な解決にはならない。

だからこそ、自分の至らなさに目を背けず、ストレスの原因と向き合うことにしている。

目を背けても、状況は好転しない。どれだけ困難な状況でも、「これからどうするのか」「自分に何ができるのか」を考えて、行動するしかない。

きっと、そのストレスを乗り越えた先に、自分の成長を実感できると思うから。

◎ストレスを飼い慣らす

成長には、必ずストレスを伴います。

中学受験、苦しかった野球部時代 、、、。これまでの人生で、全くストレスが無いのに、成長できたことが、一度でもあっただろうか?

自分の現在地(出来ないことや失敗)を認め、目標までの方向と距離を正しく理解すること。そして、目標に向かって、努力を続ける。

初めてとなる、大きな目標に挑戦すれば、大なり小なり、失敗や挫折が付きまとい、上手くいかないストレスを感じるでしょう。

しかし、これに負けず努力を重ねて、乗り越えていくことで、出来ないことが出来るようになる、つまり、成長していくのだと思います。

実は「ストレスがない」ということは、「何も成長しない」ということ、つまり成長には、適度なストレスが必要なのです。

もちろん、パワハラやセクハラなど、耐えがたいストレスからは、今すぐに逃げるべきた。

例えば、意見や考え方の相違、誤解、錯覚といった人間関係のストレスも不要です。

さらに、「いま何をすれば良いか分からない」「どこに向かうべきか分からない」そんな「迷い」によるストレスも不要です。

「これは自分を成長させるストレスなんだ。正しく、適切なストレスがかかっている。」

浮き沈みが激しい性格だからこそ、こんな風に自分を客観的に分析しながら、全てのストレスを真っ向から、受け止めすぎないよう心がけている。

その甲斐もあって、最近は少しずつ、ストレスを飼い慣らせるようになってきた。

コンプレックスは無理に埋めなくていい

いま中学生だった僕に、
何か伝えられるのだとすれば

「コンプレックスも、劣等感も無理に埋めなくていい」「周りの目を気にしすぎなくてもいい」

そう言ってあげたい。

毎日学校に通っていると、学校やクラスで起きる全ての物事や評価、人間関係が、自分の全てのように思えてくるかもしれない。

だけど、それは違う。

教室から一歩外に踏み出せば、色々な生き方をする人達がいる。何かに挑戦する人だって、クラスにいないだけで、世の中にはたくさん存在する。

そして、なにかに挑戦しようと思った時、初めから「完璧」を目指す必要なんてない。


23歳の僕も「完璧」とは程遠い姿でいる。

相変わらず浮き沈みは激しいし、
部屋は全く片付けられない。

好奇心が止まらなくなると、質問攻めにして、相手をビックリさせることも日常茶飯事だ。

それから、1年に3回は財布をなくす。

そのたびに「何で、俺はこんなに注意力散漫なんや、、、!!」と、自己嫌悪に陥りながらも、必死に探して、毎回なんとか見つけ出す。‥‥そんな日々を繰り返している。

会社の掃除当番もうっかり忘れてしまうし、AirPodsが欲しいけど、絶対に片方失くしてしまうから、音楽にはヘッドフォンが手放せない。

でも、不思議と、
そんな自分が昔ほど嫌いじゃない。

「過去は変えられない?」

ぼくは自分の過去を否定したり、
後悔しているつもりは全くない。

思い悩んだ時代も、自分にとっては大切な時間で、今の自分を確実にカタチ作っている。

あの時、強烈な劣等感に突き動かされたおかげで、今も僕はこうして、挑戦を続けられている。

よく「過去は変えられないけれど、未来は変えられる」と言われる。でも、僕はそうは思わない。

過去こそ、変えられる。

散々な過去に対して、悔いることもできるけれど、数年後に思い出して「あの日々があったから今がある」そんな風に思うことだってできる。

過去に対する意味づけや解釈は、
今の僕に与えられた自由だから。

コンプレックスは誰かの役割になる

大学生になると、そんなコンプレックスだらけの自分を面白がってくれる大人に出会えた。

どんどん質問しても、可愛がってくれて、丁寧に教えてくれる経営者の先輩がいる。

失くしものが絶えない僕を見計って、書類を上手に整理できるよう工夫してくれる仲間がいる。


本音を話すと、
今でも完璧な人に憧れる気持ちはある。

だけど、僕が本当に尊敬している大人たちは、みんな、どこか親しみやすくて、自分の弱さや苦悩をストレートに表現できる人だった。

僕が大好きな、ONE PIECEのルフィだって、泳げないし、空気は読めないし、楽観的で子どもっぽい。それでも、仲間に愛されている。

国内最大のクラウドファンディング「CAMPFIRE」の代表である家入一真さんも、
10代の頃に引きこもりも経験して、その後、20歳で働きはじめたものの、何度も会社をクビになったと言われている。

「誰にも会わずに仕事ができる」そんな、ある種後ろ向きなエネルギーから、インターネットで起業して、いつしか「CAMPFIRE」は、社会を一変するサービスに成長した。

家入さんの「完璧すぎない人柄」も、多くの人に夢や希望を与えるキッカケになっている。

完璧じゃない、どこかに弱さや欠点がある。そんな人に惹かれるのは、何故だろう?

それは、きっと人は心のどこかで「誰かの役に立ちたい」と願っているからだ。

完璧な人間なんていない。

誰もが短所や弱さを抱えているからこそ、誰かに助けられたり、同時に自分が誰かを助けられる。

時に誰かに感謝されて、時に誰かに感謝する。そうして、自分自身の役割や存在を肯定する。

支え合うっていうのは、
そういうことなんじゃないだろうか?

だとすれば、僕の弱さや欠点も、誰かの役割をつくり、僕に親しみやすさを生んでくれている。

コンプレックスは飼い慣らせない

「‥‥‥あれ、さっきまでiPhone、ここに置いてたはずやのになー?」




こんな真面目なことを考えながらも、今日も自分のスマホを探し続ける僕は、やっぱり完璧なリーダーとは程遠いのだろう。

それでも、いい。
それで、いい。
僕は自分の弱さや欠点と共に生きていく。

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