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EgoDiva社長インタビュー【「何者でもなかった」私が、“経営者”という仕事を選んだ話】~サイバーエージェントにできて、EgoDivaに出来ないことがあるのか?~


EgoDiva代表取締役社長「臼杵銀次(うすきぎんじ)」です。

大学生の皆さん、就職活動中の皆さんはじめまして、EgoDiva代表取締役社長「臼杵銀次(ウスキギンジ)」です。皆さんは今、自分の将来と向き合い、時には悩み葛藤しながら「自分が何者なのか?」を探してるのではないでしょうか?

私も、若い頃は皆さんと同じ「まだ何者でもない」1人の若者でした。私は、ビジネス経済紙に載っているような若手実業家のように、一流大学を卒業したわけでもありませんし、どっかの大手企業の役員のようなエリートコースを歩んできたわけでもありません。私の経験が、皆さんの今後のキャリアの参考になれればと思いインタビュー記事を出させて頂きます。


学生時代はどんな学生子供だったんですか?

「社長になりたい」

小学生のときの将来の夢です。
何故、この時社長になりたかったのかわかりません。
「社長」というものが何なのかもよくわかっていませんでした。

ただ、幼いながらに「正義のヒーローになって、世界にインパクトを与えてみたい!!」
そんな小さな野望が、この「社長」という言葉のイメージに込められていたような気がします。

私は、千葉の田舎で生まれ育ちました。幼い頃に両親が離婚し、女手一つで母が私を育ててくれました。そんな私は、小学校一年生の時すでにクラスのガキ大将でした。

自分のクラスの友達が、他のクラスの子に泣かされたと聞いたら、頭に血が登ってカッとなってしまい乗り込みに行く。そんな正義感と負けん気の強さがある子供でした(笑)小さな頃から先輩からも同級生からも、お母さん達からも何故か人気だけはあり、皆私を慕ってくれました。

このクラスのリーダー的な気質は中学生になっても、高校生になっても変わりませんでした。高校生になり、初めて付き合った彼女ができたのですが、ある日同じ学校の男子生徒と彼女がたまたま事故に遭ってしまい、指をケガするという出来事がありました。やはり私は、彼女がケガをさせられたことにカッとなってしまい、彼と大喧嘩をしてしまいました(笑)あの時は本当にごめんなさい。

その頃には、この喧嘩っ早い性格と正義感を柔道へも注いでおり、県で2位の成績を納めていました。一方で勉学は全くでしたね(笑)その為高校をギリギリで卒業する始末、、、


ファーストキャリアは?

ギリギリで何とか卒業した高校。母がドラ息子の私をとても心配して、知り合いに必死に頼み込んで建設会社での就職を取り付けてくれました。私が卒業した高校は土木工学系の高校で、私は測量士補の資格を持っていたのです。母のサポートと高校で得た資格のおかげで、私は何とか社会人への第一歩を踏み出すことができることになりました。

母の想いも背負い、気持ち新たに決心をした社会人1年目がスタートしました。

私の社会人一年目。私は建設会社の職人のおじちゃんたちにも人気があり、とても可愛がって貰っていました(※相変わらず、なぜかここでも人気者でした)そんな環境だったから、居心地が良くとても良い職場でした。





「自分は何者なのか?」初めて考えてみる


20代にさしかかろうとしていたとき私はこんなことをふと考えるようになりました。

「自分って何者なのだろう?」
「何故、仕事をしているのだろう?」
「何のために働くのだろう」

自分の人生やキャリアに関して、初めて本気で考えたのです。このままこの居心地の良い環境に身を置くことも可能ではありましたが、自分には何かを成し遂げた経験、成功する体験をしたことがないことに気づきました。

「自分の手で世界にインパクトを与えたい」

幼いときに思い描いていた夢をぼんやりと思い出していました。そこから、自分って何ができる人間なのだろうか?お金ってどうやって稼ぐのだろうか?自己分析とビジネス書を読み漁るようになりました。



初めて訪れた転機~マーケティングとの出会い~

そんな私が23歳のとき、転機が訪れます。知り合いの先輩に「東京のマーケティング企業」を紹介してもらえることになったのです。勿論マーケティングにも興味があったその当時の私は、即答で面接を受けたい!!とお願いをしました。

「2週間時間をあげるから、選考で役員陣に向けて資料をつくって業界分析のプレゼンをしてみてくれる?」

プレゼンに向け、寝ないで必要なマーケティング知識を頭に詰め込みました。何とか理解はできましたが、私はPCを使用したことがありませんでした。大手通信会社で働いていた友達にパワーポイントの使い方を一から教わりました。そして、迎えたプレゼン当日

緊張しまくってしまい、額からだらだら汗をかいていました。プレゼン後取締役、役員、先輩からフィードバックを貰いました。

「指摘したい部分はあるけど、概ねすばらしいね。よく調べてある。いつから働ける?」
そうして、私はすぐに採用してもらいました。

東京の大手企業。自分とは違い、周りは高学歴で頭もきれる、かつ未経験の自分とは違い豊富な経験があるエリートばかり。学歴も経験もない私にできることは

「誰よりも努力をすること」
「何でもがむしゃらに、ひたすらにやってみること」

これだけしかなかったのです。

皆が定時で仕事を終えるところを、私は日付が変わっても、家に帰ってもひたすら業務を行ってました。でも大変だと思ったことは一度もありませんでした。努力を努力だと思っていなかったのでしょう。それくらい、ひたすらに夢中になって仕事をしていました。私の人生でこれほど、夢中になって時間を費やしたのは初めてかもしれません。




それから臼杵社長はどうなったんですか?


長くなってしまうので、色々割愛しますがその後も血のにじむような思いをし、努力の甲斐もあり、数年間デジタル広告業のテクノロジー領域を幅広く経験しました。最終的には事業責任者としてマネジメントもさせて貰いました。EgoDiva創業前となる個人事業主時代は1年足らずで億越えの売上を達成しました。

そんなに売上があったら十分お金には困らないですよね!?
なぜ法人を立ち上げたんですか??

はい、全くお金には困りませんでしたね(笑)確かに自分の利益だけを追求するのであれば、個人で稼ぐだけで十分です。あの当時、欲しいものや食べたいもの好きなものは殆ど買いましたね。そのうち値札を見ないで買い物するようになってしまいました(笑)

むしろ今の方が年収は減ってますよ。でもフリーランスになって気づいたんです。“自分自身の利益のみ”を追求することは、私にとっては面白いことでもなんでもなかったんです。やはり、幼い頃の臼杵銀次少年がまだ自分の中にいて、

「自分の手で世界にインパクトを与えたい」

そんな夢絵空事みたいなことを、本気で追いかけてる方がずっと楽しいんですよ。私も大人になったので、もう少し具体的な夢が今ではありますけどね。それは「サイバーエージェントの様な業界のゲームチェンジャーとなる“組織”を作る事」です。

あと、世界を変えるのって私一人の力だけでは限界があると思ってます。そうなると私にはない色んな「発想」や「経験」を持った“仲間”が必要になりますよね。だから私は、EgoDivaという組織を創りました。

Web広告の最大手であるサイバーエージェントは1998年の創業当時、「ベンチャー企業に大手広告代理店の牙城を切り崩せるわけがない」と思われていました。しかしいまや、その広告業界の常識を覆すメガベンチャーに成長したんですよ。めちゃくちゃ凄いことだと思います。でもサイバーエージェントにできて、EgoDivaにはできない、そんなわけあるわけないじゃないですか。私たちは何でもできるし、何にでもなれるんですよ。

私と同じ夢に共感し、EgoDivaの仲間になりたいと思って選考を受けに来てくれる熱量のある皆さんとお会いすることが私の何よりの楽しみです。私が経営において一番力を入れているのは「人事」です。なので、私は一次選考で面接に参加するようにしています。

就活生の皆さんへ一言

もし、皆さんが「熱中できる仕事をしたい」「自分の夢や目標に夢中になれる仕事をしたい」「web業界に変革をもたらし、その核を担う中心人物として活躍したい」そんな方は是非、EgoDivaの面談でお会いしましょう!皆さんにお会いできることを楽しみにしてます。


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