今回は、2年半ぶりに登場する佐藤奈菜さん。新卒で海士町にやってきた彼女は、現在株式会社海士の経営企画室で「未来を描きながら、日常を整える」仕事に取り組んでいます。会社の文化づくりにも携わる奈菜さんに、仕事や暮らしの変化、そして島で見つけた“豊かさ”について伺いました。
プロフィール:佐藤 奈菜(さとう なな)
北海道札幌市出身。新卒で海士町へ移住。Entôのフロント業務やSNS運用、マーケティングを経て、現在は経営企画室に所属。経営補佐として株式会社海士全体の未来構想や社内文化づくりに携わるほか、ユネスコ世界ジオパーク国際会議への参加など、地域の発信活動にも積極的に関わっている。
ユネスコ世界ジオパーク国際会議で訪れたチリにて
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役割を行き来しながら、未来を描く
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ー前回の取材から2年半。現在はどんな仕事に携わっていますか?
今年の春から「経営企画室」という部署で、経営補佐をしています。
入社当時はEntôのフロントに配属され、並行してSNSの運用も担当していました。2年目からはそのSNS運用を引き継ぎつつ、Entôの販売強化を図るためマーケティング室に配属され、3年目も現場に入りながらマーケティング室でプラン企画から広報、販売管理全般を担っていました。 今年の春からはそれらを引き継ぎつつ、経営企画室で経営補佐を務めています。
ー現場から経営企画へと役割が広がる中、ゲストやスタッフとの関わりで大切にしている姿勢はありますか?
特に今はAIが普及してきた時代だからこそ、人にしかできないことは“対話を通じた価値の創造”だと思うんです。それはまさにフロントスタッフに求められていることだと思います。今は経営企画室がメインなので現場に入る機会は少ないけれど、“どうしたら現場が、ゲストとの対話から価値を生み出せる環境になるか”、“スタッフの「こうしたい」をどう引き出せるか”を考えています。現場を知らないと何も始まらないし、でも経営企画がなければ5年後のEntôはないと思います。だからこそ今の自分の役割があると感じています。
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暮らしに触れながら、文化は育っていく
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ー現場の環境づくりを進める中で、意識して取り組んでいることはありますか?
今年は特に「文化をつくる」というテーマを意識していて、どうやったら文化をつくれるのかを常に考えています。
文化って、言葉や数字で表せるものではなくて、私たちの間に自然と生まれていく“価値”のようなもの。休館日には、フロントとダイニングチームが3つのグループに分かれて、畑作業や苗箱洗いをしたり、漁師さんのもとでウニの身を取る作業を手伝わせてもらいました。島の食や一次産業に直接触れて、体を動かしながら「これいいよね」と感じられる場をつくれたのが良かったです。普段はパソコンの前で働くことが多いスタッフも、一緒に過ごす中で、自分が大切にしたい暮らし方や、生産者とのつながりを改めて感じられたと思います。スタッフ一人ひとりの中にある「大切にしたいこと」と、「Entôとして大切にしたい文化」が重なった時間でした。
最近、大阪に住む海士町出身の若い方が、帰省の際に「いつか(株)海士で働きたい」と話してくれたことが、とても嬉しかったです。島の高校生たちが島を出て、いつか帰ってきて、株式会社海士で働きたいと思えるような会社にしたいですね。
だからこそ、文化が必要だと思っています。人が変わっても、時代や事業が変わっても、ミッションや価値観が自然と受け継がれていくような会社にしたいです。仕組みや制度だけでなく、言葉にできない心に流れるものや、誰かの言葉や想いで会社を語り継いでいけるような、そんな場にしていきたいです。
ーこれまで様々なポジションに幅広く携わってきた中で、特に印象に残っている仕事はありますか?
今年5月に、ギリシャの新聞に海士町の記事が掲載されました。
朝ドラ「ばけばけ」で話題の小泉八雲の視点で見た「隠岐と島根」を紹介する内容の取材で、ギリシャ出身の写真家の方をご案内をしました。
彼女は東京在住で、100年前に八雲がこの地を訪れた際に残した「文明から離れて自己を知る喜びをこの島で知った」という言葉を手がかりに、松江・出雲・海士町を巡ったんです。彼女の「漁師さんに会いたい」というリクエストに応えて朝の港を案内しました。実際に定置網漁の水揚げ風景を間近で見ていただき、そこで撮影した写真が新聞にも掲載されました。
滞在中、Entôに2泊され、島を自転車でまわりながらこの島の穏やかさや、そこで生きる人々の暮らしに触れて、八雲が書いた通りの体験と重なった時間を過ごせたと書いてくれていました。
ギリシャの写真家・アンドロニキさん
ー海外の視点から海士町の価値が伝わるのは、すごく特別ですね。
「時を超えてもこの島の価値は変わらずにあり続ける」ということが海外からも評価されたことが本当に嬉しかったです。一つのホテルの枠を超えて、土地の物語と人の営みが広がっていく。その瞬間に立ち会えたことが、今でも心に残っています。
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島の暮らしから生まれる、新たな挑戦
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ー今、仕事やプライベートで新しく挑戦したいことはありますか?
常に挑戦したいことが2つあって、ひとつは「採って食べること」です。
生きるために体を動かし、食べ続けること。昔はそれが生活の一部だったけれど、今は“買って食べる”が当たり前になってきている。でも、自分の手で採って食べることって、すごく喜びがあるなって思います。
ー海も山もある海士町にいるからこそ挑戦したいものですね。
そうなんです。都会だとなかなかハードルが高くて。もうひとつ挑戦したいことは、海外で仕事をすることです。アメリカで大学4年間を過ごしたものの、社会人として何か社会に貢献する経験がなかったことが心残りで。だから今度は一社会人として、世界の場で自分が挑戦したいと思っています。それが株式会社海士の一員としてできたら嬉しいですね。
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この島が教えてくれた“豊かさ”と暮らしの学び
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ー4年間暮らしてみて、改めてこの島の豊かさをどう捉えますか?
もうこの眺め!
海士町の景色を眺めている瞬間は本当に豊かだなと思います。今年7月に会社として出版した本のテーマも“豊かさ”だったのですが、それは私たちのミッション「旅をきっかけに、豊かさを巡らせる。」を形にするための一つの取り組みでした。
その本制作のミーティングでは、“豊かさって何だろう?”と議論してましたが、仲間と対話する時間そのものがすでに豊かで。どんな風景に心が動くのかを語り合ったり、感じたことをシェアしたり。
そんなやり取りをしている瞬間、「これ自体が豊かさじゃない?」って笑い合っていました。
ーたしかに、都会で働く中で“豊かさとは何か”と考えることはなかなかないかもしれませんね。
そうですね。豊かさって、“今この状態”なのかもしれません。
「豊かさとは」と問えること自体が、すでに豊かであるというか。
明日どうなるかわからない人たちも世界にはたくさんいる中で、こうして考えたり語り合えたりする。その余裕を持てている今の環境こそが、ありがたいことだと思います。
ー海士町に移住して働く魅力とは、どんなところにあると思いますか?
この島では、都会では考えなくてよかったことを考えなければなりません。
たとえば「明日、船が止まる」とか「移動できない」とか。どうにもならない状況の中でじゃあどうするか、どう楽しめるかを考える。その“考えることができる”ということ自体が、この島で働く魅力だと感じています。
考えるからこそ、自分が何を好きで、何をやりたいのかが見えてきます。嫌な自分も出会ったことのない自分も見るけれど、それも喜びだと思います。
この夏、盆踊りの実行委員会に関わったとき、「盆踊りって“作っている人”がいるんだ」と初めて気づきました。みんなお金をもらわず、暑い中やぐらを立て準備していて、その中で聞いた「辛いからな、楽しまないと」という言葉がすごく印象的でした。
楽しいは自然発生しなくて、楽しむってことをしている人がいるからこそ楽しくなる。
消費するだけの暮らしでは気づけなかったけれど、当たり前を当たり前と思わずにいられるありがたさが、この島にはあります。
隠岐神社で開催された海士町盆踊り大会
ー“海士町で暮らすこと”を考えるうえで、意識しておくと良いことはありますか?
あまり“考えすぎない”ことかもしれません。さっき考えられるって話したんだけど(笑)。
海士町に来たら何が得られるとか、そういうものじゃない気がしています。理屈じゃなく、来てみないとわからない良さがたくさんあるので、まずは気軽に来てほしいですね。
それに、この島では役割が自然と増えていきます。だから「これは自分の仕事じゃない」と決めつけないことが、ここでの暮らしを楽しむ秘訣です。
楽しむのは自分次第なのだと島の方々を見ていてつくづく思っています。
ー “楽しむのは自分次第”。その言葉に、海士町での暮らしの温かさをあらためて感じました。奈菜さん、今回も素敵なお話をありがとうございました!
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執筆:岩﨑/編集:小山