私が就活していた頃は、まだ「ガクチカ」という言葉があるかないかぐらいでした。
一応就活もしていた私は、ガクチカを聞かれると小さな声で「大学での研究です。」と答えていました。なぜなら、学業はガクチカの模範解答ではないと思い込んでいたからです。
ガクチカの模範解答は「サークル活動です」「バイトです」「ボランティア活動です」といった学業以外である。周りの学生はきちんと学業をこなしたうえで、それ以外の何かに力を入れているのに、私は…。(私だってもちろんサークルもバイトもしていたけれども、バイトは学費生活費のためだし、特別に情熱を傾けている訳ではなかった…)
学部から大学院にかけて、国語学も古典文学も近現代文学もけっこう真面目に勉強しました。当時は、本屋に行くと文学コーナーの全ての本が積読に見えていました。世界には読まねばならない作品のなんと多いことか…
それぐらい真面目に勉強していましたが、体調の都合や実家の事情もあり、本来2年で書くべき修士論文を休学して3年かけて書きました。M2の秋頃は具合が悪くて文字が読めなくなり、ひたすら焦燥感に襲われていました。それで今年は修論出せない、来年まで時間かけて納得いくものを仕上げようと決めたのです。
そのころの苦しみがトラウマなのか、今でも月1,2回は「修論が書けない!」という悪夢にうなされています。
こないだの12/31も「どうしよう、修論が書けない!」という夢を見て、起きてからも「修論出したんだっけ…?でも卒業はしている…?」と寝ぼけていました。
その日年内ぎりぎりで大学時代の恩師に年賀状を書き、こちらは元気に過ごしたこと、いまでもたまに修論の悪夢にうなされる旨を書いて報告しました。
さて真面目に勉強したおかげで、
・目の前の文章や作品を他の様々な文化・事象の中に関連付けて読むこと
・作品をおもしろく(≒意義深く)読むということ
ができるようになりました!
これは教員時代の仕事にも今の仕事にも直結しています。
試験問題になる前の素材は、いうなればたくさんの読解要素がちらばった満天の星空です。生徒・受験生へ満天の星空を見せて終わるのではなく、傍線部や問題文によって読解の補助線を引いてやり、何か意味のある星座を見せてやりたいのです。
国語の問題制作では、素材となる文章をどう読むか・読ませるかがポイントとなります。そこでは出題する側の「読みの深度」がものを言うと感じています。
(資料:頑張って星座をひねり出している図。過程は泥臭いです)
あとは仕事に関係なく、漫画とか映画とかの考察をたまに文章にまとめると友人や同僚に喜ばれるので、そうしたことにもガクチカが役立ってます!
小さい頃から本が好きで、小中学校でも国語が好きで、大学でも色々悩んだ末に結局文学をやり、教育業界で国語に携わり、そこだけは人生で一貫しているな~と思います。
仕事人となった今なら、学生時代の自分には「大学での文学研究がガクチカです」とデカい声で自信もって言え! とアドバイスしてあげたいですね。