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【入社インタビュー Vol.13】事業と技術の両面を伸ばせる組織づくり。エンジニア出身の人事責任者の挑戦

2022年2月に、人事責任者で髙橋哲平さんが入社しました!

◆髙橋哲平(たかはし・てっぺい)
株式会社サイバーエージェントでエンジニア、合同会社DMMへ転職後はGeneral Engineering Managerや社長室に従事。技術負債解決のためには人・組織対応が必要な事が多く、エンジニアから人事ニア(人事+エンジニア)へ転身。近年は複数企業のVPoE、 CHRO職を歴任。2022年2月アダコテックに参画。

エンジニアから人事にキャリアチェンジし、フリーランスを経てアダコテックにジョインした髙橋さん。これまでとこれからのキャリアについて詳しく伺いました!

ーーー 本日はよろしくお願い致します。サイバーエージェントではエンジニアとして働いてたとのことですが、どの様なエンジニアリングをされていたのですか?

アメーバ事業本部というところで、主にITインフラを担当していました。自分自身は通信キャリアのネットワークやデータセンターネットワークが得意分野です。オンプレミス(自社保有のITインフラ)では複数のデータセンターを運用しつつ、新データセンター設計や構築、Amazon Web ServiceやGoogle Cloud Platform等のパブリッククラウドと組み合わせたハイブリッド環境で自社や子会社へITインフラを提供していました。 サービス障害で数日間データセンターに缶詰になったり、夜中に叩き起こされてダッシュで会社に向かったり、道玄坂で朝方まで飲んだり、楽しく充実した時間を過ごさせて頂いたのは覚えています。 結構昔なので細かい業務内容はうろ覚えですが、「恋するフォーチュンクッキー」を踊らされて恥ずかしかったのは鮮明に覚えています(笑)

ーーー DMMではどのようなお仕事をされていたのですか? 人事へのキャリアチェンジをされたのもちょうどこの頃だと伺っておりますが。

はい。代表の河邑と知り合ったのもこの頃なので、少し詳しくお話ししたいと思います。

友人からの誘いでDMMへ転職したのですが、最初の1年くらいはサイバーエージェント時代と近しい領域の業務をしていました。少しマネージメントの比重が重くなったくらい。数十名の面倒見ながら大量のサービストラフィックをさばいてました。 ピーク時間帯に100Gps超えたり200Gbps超えそうな時には、トラフィック捌ききれるかドキドキしながら仕事していました。

人事にキャリアチェンジをしたのは、技術系組織全体がグラつく事件が頻発している時期でした。今振り返っても、あんなに酷い組織状況は中々見ないな..というくらい荒れまくっていた時代です。(今はそんな状態では無いと聞いています) 経営側も何とか手を打とうと新社長の招聘や、優秀な外部コンサルを投入していました。 たまたま、外部コンサルの方と2人で食事してた時に「哲平さん、経営企画か人事やらない?」と言われた事がキャリアチェンジのきっかけです。

ずっとエンジニアとして生きて行こうと考えていたため、そんなキャリア考えた事もない…みたいな状態でした。ただ、社内の誰かがやらなければならない状態だったこと、当時のCTOや招聘された社長を助けたいと思っていたし、組織をまともな方向に少しでも進められることができれば、結果的に一緒に働いているエンジニア仲間も助かるはず。と、腹をくくって人事ニア(人事+エンジニア)へキャリアチェンジしました。

ーーー 人事ニアになられて、実際どのような仕事をされたのですか?

まずは当時のCTO, CDO直下に一時的な部を組成して、事業部門と開発部門の統合 、ミッション不明な組織の廃止、アジャイル開発の導入推進、評価制度の統合と刷新、IT購買機能の統合、技術系のハイレイヤー採用など様々なことに取り組みました。

他にも数億円の遡及対応や、油っこい案件を色々とやってました。

言うだけなら簡単なのですが、実際にやるとどれもヘビーで(笑)各本部バラっバラだったので、社内行脚しまくりです。組織変更時は、ポジション的に不利益を被る人も出るためコニュニケーションは結構意識していました。広範囲な思い切りよく行く部分と、個別コミュニケーションのバランス取りながらです。知識不足を補うため読める本は何十冊も読み、人事系で有名な方々にお時間を頂いて相談に乗ってもらったり。エンジニアリングをはじめた時のことを思い出して勉強しまくりの日々でした。

ーーー この頃、代表の河邑と知り合ったのですか?

そうですね。三井物産からキラキラ感のある人が来たな(笑)というのが第一印象でした。イケメンだし、爽やかだし、熱意もあるし、DMMにはもったいない人。って当時思ってました(DMM様すみませんmm 当時の感想です) 。同じ事業を担当した事はありませんでしたが、横断的な定例MTGで河邑さんを見て勇気づけられた記憶があります。地道に努力している姿は勇気もらえますよ、自分も頑張ろうかなって。 今思い出すと、その頃の印象が良かった事が、アダコテックにjoinしたいと思った理由の1つだと思います。

ーーー お話しの流れで、今回アダコテックに入社を決めた理由を伺っても良いですか?

大きく分けると3つあると思います。

まず1つ目に、アダコテックのディープテックに惹かれました。 自分の出自がエンジニアというのもありますが、骨太の技術力こそがデカい市場を作って行くと信じてまして(笑)ちょっと便利になるよね、くらいのWebサービスにはピンと来なくなっていました。障壁は高くともHLACをはじめとするアダコテックの技術力は、顧客の根深い課題を解決できる。そこは非常に魅力的に感じました。

2つ目に、フィードバックを歓迎する文化とスピード感が一番だったことです。当時は複数のスタートアップを支援させて頂いていたり、お誘いも色々ともらっていました。 その中で、アダコテックはダントツでスピード感がありました。アダコテックへは、当初エンジニア組織周りのアドバイザーとして週一くらいで支援に入っていたのですが、アドバイスした内容が翌週や翌々週には反映され、そのフィードバックがあった時に「伊藤さんもうやったの?w」みたいな。一緒に働くならこういう人たちがいいなと思いました。

3つ目に、代表の河邑さんが努力家で人格者であることです。スタートアップ組織はトップの色が濃く反映されるため、人格的に問題のある人の下で組織を作りたくないなあ、と。そこに問題があると「採用進める = 被害者予備軍量産」みたいな構図になりがちなのですが、アダコテックの場合そういう心配が無かったです。まだまだ少人数だけど、今のうちからアダコテックの事業や開発のための組織を作って行きたいなと、純粋に思えました。


ーーー 今後アダコテックでどの様な事を実現して行きたいと考えていますか?

人・組織でアダコテックの事業を勝たせる事が自分のミッションですので、そのフェーズ、そのタイミングで最も会社へプラスとなるだろう打ち手を続けて行きたいと考えています。 もう少し先の話になりますが、ある程度各組織体でPDCA回して自浄作用が働いてきたら、他の企業よりも部門に裁量を持たせる組織にしたいと考えています。

責任と裁量のバランスを見ながらにはなりますが、例えばリモートワークの判断も各部門毎に裁量もって判断してOKとか。より多くの責任を持ってくれた人や組織には、それに見合うだけの裁量がある状態を作り、事業と技術が両面で伸びやすい土壌にしたいと考えています。営業の会社、エンジニアの会社の様に、会社単位で一色に染めるよりは、各領域に適した文化を部門単位で醸成することで、次世代の事業責任者・技術責任者も社内から生まれ、次CxOも出てくると考えています。

でもまずは、ポジションが穴だらけの状態ですので大きな穴を閉じる作業が先ですね。アダコテックを良いと思ってくれた方の期待に応えられる組織にして、一人でも多くの方にjoinして頂けるように精進したいと思います。

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