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オタクの称賛とパリピの排斥について考える。

偉そうに書いていますが、大した記事ではなくただの雑感・日記の類です。
なんか無駄に攻撃的なテーマになってしまった。 悪しからず。


先に結論から言っておきますとこんな日記を書くきっかけは

「パリピの政治能力はもっと有効に活用した方がお互いのため。」

と思った事です。

特に大手企業に属している技術力に自信のある方々の不満投稿などを見ているうちにその思いが強くなりました。

もう少し補足するとお互いを認め合った方が結果的に両方が得するんじゃない。という事です。




パリピの人々は「オタクの専門性は凄い!頼りになるー。」
オタクの人々は「パリピの適応力凄すぎww 真似できねえよ!」
と認めあう。


一方で双方が内心では「とは言いつつヤツらに出来ないことをやってのける俺は凄い!」

と自己承認欲求を満たす考えをした方がみんな平和で良いんじゃない。と思った次第。

そんな事をつらつら書いてみます。


さて、
僕は基本的に一部の限界突破した人を除いて人間の能力はステータス値の割り振りにすぎないと考えており、値の先天的基礎容量に膨大な差は無いと考えています。


ドラクエ3をプレイ済みの方はイメージできると思いますが、このゲームでは仲間を集めるときに、それぞれの能力をアップさせる種を強制的に一気飲みさせて性格を決めるという非常にサド要素の強いスタートを切ります。

その結果、力自慢の戦士 とか 回復に長けた僧侶 とか 穴を掘ったらお金を生み出せる(!?)商人 とかを生成できるわけです。



(商人すげえ)

彼らは成長に伴ってある程度は万能成長をさせる事は可能ですが、仲間になった当初(青年期を過ぎたくらい)の初期段階では体力・筋力・知力・専門能力・政治力などに偏りがあります。


この偏りがあって当たり前。というのを万遍なく受け入れる必要性を感じています。



ちょっとステレオタイプが混じりますが、
オタク=特定の物事に没頭して専門性を高めた人たち。
という風に考えると専門家(絵描・芸術家・職人・技術者・学者)が生まれやすい。

というのも理解できますし、こうした事実は過去の実績からも概ね正しいのでしょう。


そしておそらくこの発想から

オタク=プログラマー適性あり

という事が(謎に)社会にじんわり認知されているような気がします。


(本当にプログラマーとオタクが相性良いかどうかはさておき…)


「個性を認める時代。」

「IT企業創業者にそうした特性を持った若い世代が増えてきた」

「IT技術への期待」

という現実からオタクがIT技術者を目指す事が称賛されやすい社会になってきたのではないでしょうか。


それ自体は全くもって素晴らしい事だと思っています。


私自身も個性を主張して失敗した経験が多数あるので「生きやすい世の中になったな~」と日々痛感しています。



一方でちょっとしたオタク至上主義というか、そこまではいかなくともパリピ排斥の傾向が多少見受けられる気がしています。(排斥とまでは言いませんが少し下に見ているというか。)


上にも書いた通り、僕の考え方としては単なる偏りと捉えています。


ですから、オタクではなくパリピの偏りも考えてみましょう。


パリピ=常に集団に馴染む能力を磨いて交友を拡大した人たち。


と考える事ができるかもしれません。(ただのオッサンの雑感なので深くは考えないように)


思い出してみてください、

あのスクールカースト燦然輝き続けるパリピたちの異常なまで社交性政治力を!

小中高大と燦然と輝き続ける事が出来た人間は、社交性政治力を常に磨き続けて負けなしの実績を有している「その世界のエリート」とみなすことが出来ないでしょうか。(偏りと言いつつ当時の嫌みを多少ぶつけていますw)


でも彼らも「その世界ではない」アカデミックな世界やIT技術に関しては凡人でしょう。
IT技術者や学者が「その世界」では凡人的な能力になってしまうのと同様に。

ただただ得手不得手が違う。それだけなのでは無いでしょうか。


人が集団で何かを行う時には必ずそこに人間関係がうまれ、政治力がものをいう可能性が生じます。


お互いの偏りを認め合いつつ、双方が苦手を補って前に進む。
そんな社会・会社になれば良いですね。そんな風に思ったのです。




ちなみに僕は技術も政治も弱い中途半端な人間になってしまいました…


マジで自己承認どうしましょうかね。


とりあえず「ワン」とか「メー」とか鳴いて周囲を和ますように生きていきます。
おわり。

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