1
/
5

無責任な責任感

どうも。新井です。

いきなりですけど、

責任感

とか

リーダーシップ

といった言葉を自分に対して活用するの嫌いなんですよね。(コンサルティングという言葉も)

そんな話です。





僕も気づけば35歳。

大学では哲学書を読んで、20代前半の頃はビジネス書を沢山読んでいたあの日々が懐かしい限りです。

あの頃はキラキラしてたな~。良くも悪くも若かった。


さて、そんな当時の事を思い出すとビジネス関連の書籍や記事には「責任感」や「リーダーシップ」という言葉が沢山出てきたように記憶しています。


上記を体現している人に求心力が存在し人が集まりやすい場が形成されるというのは一定の事実のように見えますし、言葉自体は普通に良いと思っています。

でもなんだかチープな自己啓発本や胡散臭い人ほどこれらの言葉を1人称で使いがちな印象なんですよね。


それが次のような使い方。
例)

責任感を持って仕事をする。リーダーシップを発揮する。僕はコンサルだ。

等々。


個人的には凄く臭いますね~~

こういった言葉を乱発する人からは自己顕示欲パワハラ気質自分に都合の良い解釈をする人などを想像してしまいます。



だから、矢鱈にそういう使い方をする人には近づかないように心がけています。



何故そう感じるのか。


これらってあくまで他者が他者を評価するときの言葉だと思うんですよね。
・あの人は責任感があるよね~
とか
・彼女はリーダー気質の人だね。
とか
・彼に〇〇の事業をコンサルティングしてもらいたい。
とか。


あくまで他者が他者の言動を観察し、感じた事実を積み重ねた結果、主観的な意見として上記の表現が使われる。
という事であるべきだと思うのです。




ですので、他者からそういった評価を受けやすいように自分の行動軸を随時修正する。
というのはまだ理解できますが、自ら吹聴する人は信用ならん。という事です。


僕自身は大して行動軸すら修正していません。
基本的には自分の行動軸にそった言動を行うので、他人から上記の評価をされても
「どーも、ありがとごぜえやす。」
くらいの適当な返事になりますし、逆の評価で「テメ―には責任感が無えのか!?」と罵られても、「(ああ貴方の目線からはそう見えるのね)どーもすいやせんねぇ。適当で。」と返事します。
※それらの評価の積み重ねで徐々に潜在的な行動軸が変化する可能性はあるけれど、まあ微々たるもんでしょう。

無理に自己啓発本やセミナーとかで余計な情報に踊らされるんじゃなくて、これで良いんじゃないですかね。



なにか言いたいか解らなくなってきましたので端的に言いたかった事。

1人称で上記キーワードを矢鱈使う人。


ダサいっすよ

なので止めた方が良いですよ。というお話でした。


~補足~
タイトルの「無責任な責任感」についてです。

責任感なんてどこまで強く持とうが「責任」は負いきれません。人間はそんなに完成した生き物では無いのですから。

責任をとって辞任するとか、責任をとって報酬減とか、責任をとって肚を切る、とかダサい事例と限界をこれまでの歴史が証明しているではないですか。

他人の人生というのは外部環境の変化によってダイナミックに動的に変化しています。
もしかしたら自分の「俺に任せておけ!(ドヤアッ」という発言が相手を死に至らしめる事だってあるかもしれません。ここは複雑系でありカオス系でなんとも解らんのです。(シンボルキーワードとして複雑とかカオスとか使っているので本職の人のツッコミはご遠慮ください。)

たまにいますが「ワシが面倒を見てやったから彼は成功したのだ!ガハハ!!」とか止めましょうねホント。。。

「〇〇さんを雇用したからには後悔されないように責任感を持って仕事に取り組む!」とかも一々言わない方が良いと思います。

そう思われないに粛々と仕事すれば良いし、仮に思われても「スマンかったなあ…」と心の中で悲しめばそれで良いのです。

ですので僕は
「他人の人生に一丁噛みするのは好きだしお節介な性格かもしれないけど、趣味嗜好に沿った行動を勝手にしているだけなので、貴方の人生がその結果どう変化しようと僕は責任を負えません。希望的観測としてはお互いに良い変化が起これば良いですね」
というスタンスにしています。

こんなスタンスで接する事に違和感がない人との出会いが増えればいいですね。

おわり。

株式会社シンプルでは一緒に働く仲間を募集しています
今週のランキング