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産業廃棄物業界の課題解決に挑む|ファンファーレ代表取締役 近藤志人【前編】

「社会課題をテクノロジーの力で解決する」というミッションを掲げ、事業開発を進めているファンファーレ。労働人口不足で立ち行かなくなる産業廃棄物業界の課題解決に取り組んでいます。そのはじまりは8年前、ファンファーレ代表取締役である近藤の学生時代まで遡ります。学生時代に出会った「ソーシャルビジネス」という言葉と、その取組みの中で体験した挫折。その経験をきっかけに社会課題に心から共感することの大切さを学んだそうです。現場に自分から入り、作業着を着て一緒にゴミ回収をするなど入念なリサーチを経て、ファンファーレは始まりました。

ファンファーレの創業ストーリーを代表取締役の近藤志人に語っていただきました。

プロフィール

近藤志人(ファンファーレ株式会社 代表取締役)
1991年生まれ。美大出身のUXデザイナー兼経営者。crewwにて大手企業の100件以上の新規事業創出に関わった後、リクルートにて組織開発・大規模プロダクト開発などを経験。その後、2019年ファンファーレを創業。AIを活用した廃棄物業者向けの業務支援サービス「配車頭」を提供。

世に送り出すことを讃える「ファンファーレ」

ファンファーレがどんな会社か教えてください。

近藤志人(以下、近藤):ファンファーレは、産業廃棄物業界の課題を解決するため、産業廃棄物を回収する際の配車ルート作成を、独自のAIアルゴリズムを使って一瞬で作れるサービス「配車頭」を開発・提供です。

社名「ファンファーレ」の由来を教えて下さい。

近藤:大学生のときから、自分が社会に貢献できる事業を何かしら立ち上げたいと思っていました。そして当時から、会社を作るなら「ファンファーレ」にしようと決めていました。

「ファンファーレ」って、何かを世の中に送り出すときに、それを讃える音だと思っています。私たちの会社も、社会に求められる何かを生み出し、それを自信を持って、声高らかに世に送り出すような存在でありたいなと考えて会社の名前にしました。

学生時代の挫折から8年間の準備期間を経てファンファーレを起業


■学生時代を経て、ファンファーレを起業するまでの経緯を教えていただけますか?

近藤:私は美術大学を卒業していまして、専門領域はグラフィックデザインです。同級生は広告代理店や制作会社などに就職するのが当たり前だったんですけども、私はデザインそのものというよりは、デザインを通じて、どういったメッセージを伝えたいのかといった点に非常に興味持っていました。

そんな思いを抱きながら、学生生活を送る中で出会ったのが「ソーシャルビジネス」という言葉で、社会貢献とビジネスの成立を一緒に考えるというものです。

学生時代から実際にビジネスをいくつかやっていました。本格的にやっていたのは2つで、1つ目が京都の伝統工芸品の後継者維持の課題を解決するためのもので、リデザインによって付加価値を付け、高単価の商品として販売していくことをしていました。もう1つは不登校児がスポーツで自己肯定感を高めて社会復帰をしていくというものです。

1つ目は商品が売れませんでした。2つ目は、商品は売れたんですがビジネスとしてなかなかスケールしませんでした。どちらもたくさんの人に応援していただいて進めていたのですが、社会の期待に応えられず、自己満足に終わったということが大きな挫折経験になりました。就職先は、デザイナー職の内定は全て辞退し、ビジネスが学べる環境を選択しました。自分が社会課題を見つけて、もう一度ソーシャルビジネスに挑戦しようとしたとき、十分な力が身についてる状態にしたいと思い、社会人経験を歩んできました。

社会人8年になりますが、会社員時代は6年間でした。1社目はcrewwという会社で「0→1」にあたる大手企業の新規事業開発の立ち上げや、スタートアップ支援を経験しました。

2社目ではリクルートという会社で全社の組織開発をやったり、大規模プロダクトのUXの改善や商品開発を行っていました。こちらはすでにあるものを改善して更に大きくしていくというところで、「0→1」「1→100」のところを両方経験できました。今ならソーシャルビジネスに挑戦できるんじゃないか、と覚悟を決めて退職し、起業しました。

■挫折を経験しながらも、社会課題の解決に携わりたいと思い続ける理由は何でしょうか?

近藤:学生時代に取り組んだイベントの成功体験がモチベーションになっています。

学生時代に町家のライトアップイベントの学生団体の代表をやっていて、100軒くらいの町家をライトアップして2000人くらいのお客さんが来てくれるようなイベントを作ることができました。

京都は町家がたくさんあるイメージだと思うんですけど、5軒に1軒が空き家になっていてどんどんその景観が損なわれていっていました。

この団体は、そうした社会課題を解決することを目的に始めたんのですが、活動を始めた当初、私たちが町を助けたいと言ってもそこに暮らす方たちに簡単に信頼してもらえるわけではないという事を痛感しました。徐々に話し合いを続けていく中で信頼関係が構築できて、終わった後に「やってよかったね」って言ってもらえる、当時の自分としてはとても充実感のある体験ができました。

自分が主体的に動いて何らか社会に変化をもたらす、という成功体験を得て、今でもモチベーションになっています。

現場を知るほど当事者になる廃棄物産業業界

■廃棄物産業に参入しようと思ったきっかけは何でしょうか?

近藤:UXという専門職種を6年間くらいやってきていて、いろんな会社で副業としてUXコンサルに入っていたとき、その中で偶然、産廃大手の基幹システムの改善のお仕事をいただいたというのが廃棄物業界との出会いになります。

そこであまりにもIT化が遅れていて労働環境が酷いというのを目の当たりにして、外から来たIT屋としては解決できるところがたくさんあると実感しました。

■創業に向けて強い熱量を持てた理由は何でしょうか?

近藤:事業を作るうえでは実際の現場をどれだけ知れるかというのが大事だと考えています。コンサルタント的に課題をうまく整理できたとしても、その人たちの課題に心から共感していないと自分が会社を作って挫けそうになったときに当事者ではないのですぐに諦めてしまうのではないかと思っているからです。

実際リサーチするだけであればそれほど時間をかけなくてもいいんですけども、自分がその業界の当事者にどれだけ近づけるかという意味で大事な1年だったなと思います。

学生の頃に始めた活動から、実際に自分のビジネスを作るまでかかった年数はだいたい8年くらいです。このリサーチの1年間よりも前から積み上げてきたことを考えると、ちょっとリサーチ行くの大変だな、めんどくさいなというので挫けるようなマインドではなかったですね。

お話ありがとうございました!
創業に至るまでの経緯、そして熱い想いを前編ではインタビューしました。後編では現場での評価や苦悩、そしてファンファーレでの働き方をお聞きしています。

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