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絶対に100個の新規事業作りにチャレンジし続ける

初めまして、浅野です。

thisis株式会社の代表取締役という肩書きの一方でIputの取締役の兼務している。

私のキラキラなキャリアをご紹介

生まれてから高校卒業までアメリカ合衆国で過ごす。海外転勤族と言う超レア職種を持つ父親のお陰で他人とは違う経験ばかり。

高速道路で巻き込まれた銃撃戦、授業中に巻き込まれた麻薬取引、私自身の日本語検定の失敗(日本語が第二外国語と判定を受けた)、更に英語試験の失敗(英語も第二外国語と判定を受けた)。

話せばエンドレスと続く経験から生まれた私の奇抜な言動から“神童”と呼ばれるように。

高校卒業後に神童の名前をほしいままに慶應大学に入学。1年目に0単位取得と言う驚異的な学力で留年。(後からもう一回留年してるのでツーストライク)

就職活動時は面接官からも「なぜ留年したの?」としか聞かれないので、その説明だけを練習し某大手IT企業就職。

就職してすぐに新規事業で水の販売を任され、1万“個”の水の発注と1万“ケース”の発注を間違え48万個の水を倉庫で埋め尽くす。10tトラック10台以上が倉庫の前で立ち往生すると言う事態に。直後に震災の影響で水不足となり、すべて完売となり社内表彰。

私の壮大なる実績と先見の目が買われ、新卒4年後に、とある会社(従業員100人程のベンチャー)に海外事業責任者兼取締役としての入社オファーがあり2秒で即決。直後にインド赴任となりインド映画の日本語・英語翻訳の仕事中に監督に気に入られBollywood映画に出演。

しかし、半年のミッションを終え日本に帰国した際に、会社の会長が1億円を持ち逃げして、会社が事実上の倒産状態ということを知る。半年間もの間、給料を払ってもらえてないことに気が付かずにインド映画出演して踊っていたことを後悔。

このことから、自分の給料は自分で払うことが確実と言うことを学び、起業を決断。「売れないアーティストの絵を売る!」と言う斬新かつ革命的なビジネスを思いつき、thisis株式会社を設立。

VCからの資金調達が方向性の違いから困難だったため、ア●ムやプ●ミスと言った大手銀行からの資金調達を試みたが、オファー金額が100万円。

売上が伸び悩み、オフィスレス・ホームレスを兼務している際に知り合いから「売れない物を売ろうとしてるから売れないのではないか?」と言うビジネスの極意を学ぶ。

Googleが無料で需要のデータを配布していることに気がつき、そのデータ元にメディア事業を開始。

直後に現在Iput代表取締役のYukiさんと伊達眼鏡パーティーで出会い事業にジョインするようにオファー。

伊達眼鏡パーティー@YUKI社長

恵比寿駅のカフェで提示した給料はYukiさんも即決の額面月5万円。数ヶ月後にはYukiさんの記事が爆発的に伸びて西麻布でトイレが壊れているオフィスをゲット。

(前オフィス、一緒に借りてた高柳社長と節約お引越し後)

この5万円の話が2年前の話で、気がつけば2人で始めた会社は、日本(トイレが綺麗バージョンに引っ越し)とベトナムに拠点を持ち、取引している国は韓国、中国、マレーシアとなり正社員も15人と無数のアルバイト等の協力者に成長した。

非常に長い私の説明となったが、上の話を読んだだけで私が凄い人であることが理解頂けたと思う。

売れない物を売ろうとすることがまだやりたい

なぜ私は100個の事業を作り続けているのかを話したい。これは持論ではあるが、起業家が起業する理由は、決して守るべき給料ではなく「世に存在しないものを作り出し、世界に新しい価値観を与える」に限ると考える。

しかしながら、その価値観は私自身の優れすぎた先見の目から需要とコンセンサスが取れないケースがほとんど。だからこそ、“当たる”まで世に新しい価値観を提供したいと考えている。

今まで50個の新規事業を始めて、5つの黒字ギリギリ事業を生み出すことができた。しがないベンチャーの我々が食べて生きていく上で、決断して一生懸命作った50個の新規事業で得たものは、お金以外の大きなものだった。

Iputは私のようなバグった取締役が3人もいるお陰で、色んなチャレンジと言う名の失敗を経験してきた。

(バグってる役員3人組が揃ってるレア写真)

自業自得ではあるが、3人はその失敗を一回も目からそらすことはなく、実直に取り組んだ。その結果、失敗の連続だったのにも関わらず、社内・社外から大きな信頼を得て今日までビジネスをさせて頂いているのだと思う。

おおよそ私から発生した問題だが、事態をアップルパイのように包み隠すことなく、経営陣・社員・アルバイト関係なく日夜議論を続けた。

Iputは実際の会社名から会社の給料体系、更には新規事業の人事まで皆なで力を合わせて決めてきた。1つの問題点を乗り越えると、その内容が弱点から我々の強みとへと変わった。

つまり、50の事業から得た最大の産物は、全員で問題に立ち向かうことで弱みを強みに変えてしまう社内カルチャーだ。

そろそろ俺らの出番だと思う

(サイパン合宿の際の男性メンバー)

起業して5年、私は50の事業からしっかりとロケット発射台の骨組みを作ることができたことを確信している。

まだ、MZさん同様にどんな事業を行うかは未公表だし考案段階である。

例えホリエモンのように一回で飛ばなくても、50回の飛行に付き合ってくれるメンバーを募集している。

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