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「生みの親」葛󠄀巻清吾さんに聞く、DMPの原点とは?

私たちダイナミックマッププラットフォーム(DMP)にとってのキーパーソンに、かつて新聞記者だった人事部長がユル~く迫る企画「あの人に聞きたい!」。

記念すべき第1弾は、昨年7月1日に当社のエグゼクティブアドバイザーに就任された、葛󠄀巻清吾さんです。

葛󠄀巻さんは、トヨタ自動車在職中の2014年に内閣府の産官学連携プロジェクト・戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)の「自動走行システム」のサブ・プログラムディレクター(SPD)に就任され、高精度3次元マップの必要性を訴え、そこからDMPが生まれたという、まさに当社の生みの親とも言える存在です。

そんな葛󠄀巻さんに、これまでのお仕事のことなど、いろいろと話を聞かせてもらいました。

---まず、ご自身が設立にも関わったこのDMPで、エグゼクティブアドバイザーに就任されて数か月が経ちました。いまの率直な思いをお聞かせください。

2014年に始まったSIP第一期の中で、「高精度3次元マップの会社を設立する」ことになったわけですが、多くの会社が協調して取り組むという点で、非常に難しいところがありました。とはいえ、まさにオールジャパンの強みを活かす形で実現できたのではないかと思います。

ただ、私はプログラムディレクター(PD)という立場上、DMP設立後は直接には応援できず、外から応援する形を取らざるを得なかったのが気になっていました。今回、自分も当事者として、DMPの発展に寄与できる機会をいただけることになりましたので、今後は少しでもDMPの皆さんをサポートできたらと思っています。

---エグゼクティブアドバイザーに就任される前と後で、当社に対する考えや印象で変わった点はありますか?

思っていたより幅広く活動されているなあという思いを持ちましたね。海外も含めて、いろんなところに積極的にビジネスを広げようとされているところに感心しました。外から応援していた間には分からなかったことですが、まさに、「想像以上に頑張っている」という印象です。

---そうおっしゃっていただけると嬉しいです。ところで、DMPのエグゼクティブアドバイザーに就任される前に、長年お勤めだったトヨタ自動車を退職されました。葛󠄀巻さんのトヨタ時代のお仕事の話を聞かせていただけますか。

私はもともとボデー設計という車体の設計の部署で入社し、それから17年ほど、いろんな車種の設計に関わりました。ボデー設計で良かったのは、まさに車の全体をとりまとめるような仕事だったので、社内のあらゆる部署と関わって連携しながら仕事ができたことでした。

その後、2003年から車両安全の担当になりましたが、最後の9年間は、自動運転のプロジェクトに関わりました。SIPで初代PDになられた、トヨタの大先輩の渡邉浩之さん(故人)から、「自動運転は安全のためにやるものなんだから一緒にやってくれ」と声をかけられたのです。

今になって思うのは、人と人の繋がりって、本当に大事だなということですね。その渡邉さんは、私をSIPに誘う20年くらい前に、クラウンのチーフエンジニアをやられていました。ちょうどその頃、クラウンからフレームを外すというプロジェクトがあり、ボデー設計にいた私は一担当者として一緒に仕事をさせてもらった時期があったんです。他にも、入社してすぐの頃の上司は、その後トヨタを辞められてGMに行かれるなど、さまざまな経験をされた方なんですが、SIPをやっているときにまた再会して、今でも交流があります。そういった人との繋がりで、自分の仕事が広がっていったというのは感じますね。

(写真)2018年11月に開かれたSIPのワークショップで登壇した葛󠄀巻さん。

---ところで、私たち外部の人間としては、トヨタ自動車と言えば「カンバン方式」「カイゼン」などの言葉を思い浮かべるのですが、実際に中で仕事をされてきて「トヨタのやり方って本当はこうだ」というようなことはありますか。

私がトヨタで若い時によく言われたのは、「現地現物」ですね。設計の仕事であっても、とにかく現場で実際のモノを見て改善する。机上で議論するのではなく、とにかく現場・現物を大事にするという文化が、トヨタにはありました。

ダイナミックマップを作るときも、その精神が生きたと思います。「議論だけしていても仕方ない。とにかくモノを作ってみようじゃないか」ということで、最初に20kmくらいの3Dマップを作って、それを叩き台として話をしていこう、と。

---その20㎞のデータは、まさに当社の原点とも言えるものですよね。

その通りですね。各企業の技術者は、「他社よりもいいものを作ろう」と頑張って、競争しているわけです。そんな中で、「この分野では協調してやりましょう」というのは、頭では分かっていても、なかなか踏み出すのが難しい。でも、実際にモノがあれば、技術者たちは「いい」「悪い」の判断をして、前に進んでいける。その点で、この20kmは大きかったですね。そういう取り組みができたのは、トヨタの「現地現物」の考えのおかげだと思っています。

---ところで葛󠄀巻さんは、学生時代は航空工学を専攻されていたとのことですが、なぜトヨタ自動車に入社しようと思ったのですか。

もともと、「プロジェクト」というものに興味があったんです。トヨタでは「主査制度」といって、主査と呼ばれる人が設計から生産、さらに宣伝広報まで、一つのクルマに関する全てのことをまとめ上げていくという制度があって、これは面白そうだな、と強く関心を持ったのがきっかけです。

とはいえ、実際に入社してみると、主査になって車両をまとめていく以外にも様々なプロジェクトがあり、私も色々な経験をさせてもらいました。そんな中、2003年に突然、安全の分野に行くことになりました。昔は安全と言えば「衝突安全」が中心でしたが、それから「予防安全」が注目されるようになり、プリクラッシュセーフティと呼ばれる自動ブレーキの初期型が導入されるのが2003年です。私はちょうどその年に「安全全体をまとめるように」と言われたのです。

車両安全担当のモチベーションとしては、「人の命を救うための仕事をしているんだ」というのがありました。かつて「安全」は売り物にならないと言われた時期もありましたが、その後、安全を積極的にアピールする時代になり、トヨタの車両の安全性を対外発信したりするようなこともできて、面白かったですね。こうして振り返ると、やはりトヨタに入って良かったと思っています。

(写真)トヨタ自動車で車両安全の機能主査を務めていた2007年、ESV(Enhanced Safety Vehicle)という米国NHTSAの主催する会議がフランスのリヨンで開かれ、葛󠄀巻さんが「Special Award of Appreciation」を受賞したときの様子。

---トヨタの退職後には、地元の三重県で、コンサル事務所「株式会社サムズオフィス」を立ち上げられましたね。

はい、自宅は名古屋市内ですが、やっぱり生まれ故郷が好きなので、事務所は三重県いなべ市に置きました。事務所名の「サムズオフィス」というのは、私がかつて一緒に仕事をしていたアメリカ人から名付けられたニックネーム「サム」が由来です。私のことを「セイゴ」と呼ぶのが難しくて、誰かが「サム(Sam)」と呼び始めたところ、みんな私のことを「サム」と呼ぶようになりました。頭文字の「S」だけしか合ってないのに、ニックネームってこうやって生まれるものなのかと思いましたよ(笑)。

ちなみに、事務所の英語表記は「Sams' Office」と、アポストロフィを後ろにつけています。実は、私には戦死した伯父がいて、父の兄なんですが、彼と同じ誕生日に私が生まれたので、祖母が「あの子の生まれ変わりだ!」と。それで名前も伯父とまったく同じ「清吾」と名付けられたんです。そんな訳で祖母から「あの清吾の生まれ変わり」と刷り込まれて育ちました。そういう経緯があり、20歳そこそこで戦死した伯父と、二人分の人生を歩んでいる気がするのです。それで、二人のサムのオフィスということで「Sams' Office」としました。

---そうだったんですか、その表記には気づきませんでした。

そういった地元との縁も大事にしていきたいですし、残りの人生、地域密着でいければいいなと思っているところです。私は休日には山登りやゴルフをよくやるんですが、いなべ市からは鈴鹿の山々も近いですし、ゴルフ場も近くにたくさんあります。本当にいい所ですよ。

---今回は貴重なお話を聞かせていただき、どうもありがとうございました!

【葛󠄀巻清吾さん 略歴】1985年京都大学工学部航空工学専攻修士課程を卒業。同年トヨタ自動車に入社し、ボデー設計部に配属。2003年から車両安全の機能主査として技術企画、技術開発を担当。2017年常務理事。2016年から内閣府の進めるSIP「自動走行システム」PD(Program Director)、2018年からはSIP第2期「自動運転」のPDとして、プロジェクトを推進。2019年トヨタ自動車 先進技術開発カンパニー フェロー。2023年6月トヨタ自動車を退社し、株式会社サムズオフィスを設立。代表取締役社長。


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