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【代表インタビュー/前半】ロンドン五輪柔道メダリスト・西山将士が現役引退後ビジネス界に身を投じた理由

ーー選択肢を広げ・増やすことで、人生を豊かにしていく。
ーー人や企業・仕事との出会いから、キャリアの選択肢(可能性)を広げる。

Proverの企業理念にはこのような言葉がありますが、なぜキャリアの「選択肢」を広げることにこだわっているのでしょうか。
そこには、Prover株式会社 代表取締役・西山将士の強烈な原体験と、キャリアに対する問題意識が関係していました。

本記事では、弊社代表でオリンピックメダリストでもある西山の社会人としての歩みと、Prover創業の背景についてお伝えします。

少々ボリュームがある記事ですが、この内容を通して、弊社が叶えたい願いについて少しでもご共感いただけたら嬉しいです。


※2月27日追記:後半公開しました!

【代表インタビュー/後半】なぜ五輪メダリスト・西山将士は、若者のキャリアプラン構築に課題を感じるのか | Prover株式会社
先日公開した代表インタビューでは、Prover創業の背景でもある、五輪メダリスト/Prover代表・西山の社会人経験の振り返りを行いました。 ...
https://www.wantedly.com/companies/company_9207333/post_articles/484863


西山将士(Nishiyama Masashi)
1985年生まれ。山口県下関市出身。2012年ロンドンオリンピック・柔道銅メダリスト(-90kg級)
6歳の頃より柔道を始める。スカウトをきっかけに国士舘高校に進学し、高校3年生の時にインターハイ団体戦・個人戦100kg級で優勝。以降、全国レベルの活躍を見せる。
2008年、国士舘大学体育学部卒業後に 新日本製鐵株式会社(現:日本製鉄株式会社)に就職。
全国大会(講道館杯)4連覇やワールドマスターズ優勝などの快進撃を続け、2012年にロンドン五輪に出場。銅メダルを獲得した。
2016年1月の現役引退後は、約5年間日本製鉄で営業担当を務めた。
2020年12月にProver株式会社を創業。

▽主な戦績

  • 2008年 – 2011年 講道館杯 4連覇
  • 2009年 全日本選抜柔道体重別選手権 優勝
  • 2010年 – ワールドカップ・サルヴァドール 優勝 世界団体 優勝
  • 2010年 – 2011年 グランドスラム東京2連覇
  • 2012年 – ワールドマスターズ 優勝
  • 2012年 – ロンドンオリンピック 銅メダル

▽アスリート経験についてはこちら

西山 将士『自分が経験したからこそ考えられる、アスリートと20代若者のキャリア支援をしていきたい』
西山 将士 ...
https://sportcareer.jp/interview/rolemodel-masashi-nishiyama/


社会人としての”焦り”が、オリンピックを目指した原点

ーー大学卒業後は、大企業である新日本製鐵株式会社(旧社名 以下:日本製鉄と記載)の柔道部に所属し競技生活を続行されました。就職先を選んだ一番の決め手は何でしたか。

当時の同社柔道部監督から「ウチで競技に専念しないか?」と最初に声をかけていただいたことが一番の理由です。

ーー西山さんがオリンピック銅メダリストになったのは社会人になってからと伺いましたが、学生時代からオリンピックへの出場・メダル獲得を目指されていたのでしょうか。

いえ、実を言うと大学時代はオリンピックを目指すことができませんでした。

背景としては、高校3年生時に現役のオリンピックメダリストと練習をする機会があり、「この水準には生きてるうちには辿り着けない」と体感したためです。
高校3年生でインターハイで優勝した後、日本代表のジュニア強化選手に選出され、四半期に1回程度の頻度で実際にオリンピックの舞台で戦う選手とともに練習をする機会がありました。
日本一になると高校3年生なりに自信を持つ訳ですが、合宿がはじまって2日と経たないうちに圧倒的な実力差に触れて「自分は今まで何をしてきたんだろう」という虚無感を感じました。
世界を目指すことは自分にとって時間の浪費になってしまうという考えに至り、オリンピックを目指すことを諦めました。

ーー当初は目指していなかったにも関わらず、オリンピックを目指し始めたのはなぜでしょうか

企業の柔道部に所属することで生じた、焦燥感からです。

一般的に新入社員は、平日の9時から5時まで会社で仕事に取り組み、社会人として必要な多くの経験を身につけていきます。
一方で私のように企業の部活動に所属している社員は、平日は基本的に柔道に取り組み、会社への出社は例えば週に1度の午前中のみです。競技に専念する身からすると望外な労働環境ではあるのですが、社会人としては当然重要性の高い仕事を任される立場にありません。
会社の利益に貢献する2008年に入社した同期と、会社に特に利益はもたらさないが、「スポーツは感動を与える社会貢献だ」という如何にも綺麗でフワッとした立て付けにも関わらず他の社員同様に給与をもらっている自分。
この状況に申し訳なさやいたたまれなさを感じるようになりました。

ーー他の人にはできない挑戦をしているのですから、恥に思う必要は無いと感じますが……

実際に、他の社員の方々からは「あなたの本業は柔道なんだから(業務のことは)気にしなくていい」と励まされましたし、暖かい応援の声もいただきました。
しかし現実には、世界レベルではないアマチュアスポーツに対する世間からの注目は決して高いとは言えず、自分自身でも納得感がない。
そんな状態の自分達を皆は本業の合間を縫って応援してくれていて、その上自分達の練習に必要な光熱費や備品代は皆が稼いだお金で賄われている。
この「謎の固定費」としての居心地の悪さは、何とも言えないものがあります。

そこで、今後も柔道を続けるのであれば会社にとって意義が感じられるような活動をしようと決意し、オリンピックでのメダル獲得を目指すことを公言しました。



ーー目標を公言した後、西山さんの中で変化したこと、あるいは意図的に変えたことはありますか。

この場で話すには少し専門的になりすぎるかもしれませんが、以下のことを行いました。

  • 柔道以外の治療やトレーニングにも、各分野に特化した専門家を紹介してもらった
  • 自らアポイントをとって、他競技の選手と練習する機会を作った

1%でも自分が強くなれる確率が上がるように、時間を費やしました。
この時期から圧倒的に利己的に行動するようになったことを鮮明に覚えています。アスリートとしてはある種、正義と言えるかもしれませんが社会人としては大いに反省しています(笑)。

また、競技に向き合うスタンスでいうと、結果が出るまであらゆる情報や経験を得ることに徹しました。
練習のやり方を変えてから、成果が現れるようになるまでには一定の時間がかかります。
一方で、オリンピックを目指すことはすでに社内で宣言してましたから、目標を公言する前と後とで成績の変化がない時期も長く続きました。

オリンピック開催年の1年前くらいになると、この選手が五輪代表に選ばれるだろう、という予測が固まってくるのですが、その時期に私は日本国内で3〜4番目の位置にいました。
おそらく、当時応援してくれていた社員の方々は諦めの気持ちも感じていたはずです。それでも「最後まで諦めるな。絶対大丈夫だ」と声を掛けてくださった。これがまた苦しいですが、成果を出せないアスリートに弁明の余地はありません。
恥ずかしながら、私自身も諦めそうになりましたが目標を公言している以上諦めるべきではないと、弱音を吐くのを踏みとどまることができました。

ーーその後、見事にロンドン五輪代表に選出され、それだけでなく銅メダルを獲得されました。当時の社員の皆さんは、本当に嬉しかったことと思います。

日本柔道はオリンピックでの金メダルが至上命題であり、私個人としても金メダルを取れなかったことは大変落胆しましたが、少し時間が経ったあとに客観的に評価される最低限の成果は出せたかもしれない。次はどんなことに時間を使えばいいか?と冷静に考えられるようになりました。

ロンドン五輪メダリストから一転、30歳・未経験で営業の道へ

ーーこれだけの好成績を収めたのであれば、柔道の指導者になる道もあったと思います。それでも社会人として一から再始動しようと考えたのはなぜでしょうか。

柔道の経験しか無い自分の現状に虚しさを感じたからです。
もっともこの虚しさは、以前から折に触れて感じていました。
例えば大学進学や就職の前。私の周囲にいた柔道仲間のほとんどは、競技を辞めた後は「警察官」「消防士」「自衛官」「学校の教員」を生業にして柔道の指導者になるという進路を選んでいました。
ここで言いたいことは、その職業を否定しているのではなく、本当に納得してキャリア選択をしたのか?その選択をして、将来失敗したと感じた時に自分で責任を取れるのか?ということです。

本人が納得して選んでいるなら良いのですが、周りからの影響であったり、情報が少ないままそもそもそれしか道が無いと思い込んでいる人もいたと記憶しています。

私が本格的にキャリアに悩みや疑問を抱きはじめたのはロンドンオリンピック後の27~28歳頃。まだ私が柔道部に所属していたタイミングで、このことを周囲のコーチに相談したことがあります。返ってきた言葉は「柔道やスポーツを頑張っていれば、将来役に立つから。今は何も考えないで腹一杯柔道に打ち込めばいいんだ」というフィードバックでした。この言葉を聞いて、このまま時間を掛けるだけでは危ないと恐怖を感じました

柔道での努力や実績が、”具体的にどのように”ビジネスで役立つのか、その根拠を知りたかった私にとって、この返答は全く納得に至るものではありませんでした。
そこで、現役引退後は柔道の道ではなく完全に営業職に転向すること、ビジネスの世界を身をもって体感することを決めました。

とはいえ、30歳からの営業デビューは本当に大変でした。30歳の同期が当たり前にできることができないんです。当たり前に話している"仕事の言葉"が理解できないんです。
恥ずかしながら、仕事が辛くて柔道界に戻りたいと思った時期もありました。ただ、5年間の経験は絶対にすべきだった。良い経験ができたと今でも強く思っています。



ーー具体的にどのような点が”大変”でしたか?

大きく分けて2つあります。
第一に、扱う情報の量が何十倍にも増えた点です。
柔道部にいた時は、柔道のことさえやっていれば良かったのですが、営業部の仕事は、お客様・生産部門の社員・管理部門の社員……と、関わる人の領域が多岐に渡ります。
前任者から引き継いだお客様の情報のインプットが必要かと思えば、社内の決済フローやメールのルール、エクセルを用いた資料の使い方も覚えなくてはなりません。もちろん自社の事業内容を理解することも重要です。

社会人としては当たり前な環境ですが、当時の私にとって360度全方向から新しい情報や意思決定しなければならない出来事が矢継ぎ早に降ってくる状況は大変恐ろしいものでした。
何より恐怖を覚えたのは、それぞれの出来事がどれくらいの奥行があるのかわからず、どれくらい理解を深めるべきか判断がつかなかったことでした。
興味を持って自ら取り組んでいた柔道一色の日々から、突然これらのことを一気に覚えるのは、さながら情報の洪水に飲み込まれるようでした。

第二が、同期入社の社員との知識量の差です。
同期入社で営業配属になった社員は、30歳になる時点ですでに7年のキャリアがあります。
私の担当は既存顧客向けの営業だったので、前任者からお客様情報を引き継ぐ必要があったのですが、製鉄業界特有の専門用語に非常に苦戦しました。
鉄鋼製品の知識・商流・物流・鋼材の製造工程など、同期の話す内容の意味が全くわからず、語学留学に来たのかというレベルの”言語の違い”を痛感しました。
とは言え、30歳にもなって「わからないことがわからないんです」と無邪気に質問する訳にもいきません。皆さんが社会人1年目で経験しがちな出来事を"柔道だけ世界クラスの30歳のおじさん"が経験するのです(笑)。

ーー2つの苦労を乗り越えるにあたって、西山さんが行ったことはありますか。

周囲に追いつくには時間がかかると割り切って、ひたすらインプットに没頭しました。
それから、わからないことに対して100点満点中、10点でもいいからと、疑問や課題に対して自分の考えを乗せてとにかく人に聞いていました。
この辺りで社内の人間関係も大切なんだなと。これって今まであまり教えてもらってないけど、人のせいにしても何の意味もないよな。と一般的にはかなりの時間差で気付きます(笑)。

ーーメンタルを保ちながら最大限の努力をして時期を待つのは、オリンピックに向けた取り組みと共通するかもしれませんね。

そうですね。ただ、オリンピックや柔道の試合で緊張する経験が社会で活きるのか?という問いに対して、私はまだ自信を持って肯定できません。この件は今後事業活動を通して、私自身が裏を取っていきます。必ず。



”起業”と“人材業界への参入”、ビジネスマンとしての第二の岐路

ーー日本製鉄で5年間営業担当として勤めた後、転職ではなく起業という道を選んだのはなぜでしょうか。

ごく個人的なキャリア観が起点になっています。
営業職に転向して4年ほど経った頃、少しずつ仕事に慣れてきて周囲の方々から信頼を得られるようになってきました。
現役アスリートとして役目は果たした。サラリーマンも経験ができた。
これからどうするんだ?と考えた時に、ビジネスにおける幅や奥行きのある経験がまだできていない、次は自ら事業を創ってみたいと感じるようになってきました。

大企業でキャリアスタートした人には共感いただけるかもしれませんが、大企業はお給料は良いし、福利厚生も申し分ありません。しかしこのまま40代・50代と重ねた時に、このまま雇用される側であり続けるのか?あり続けられるのか?と思いました。
そう思ってから2年内に独立すると決め、2020年の12月にProver株式会社を創業しました。

ーー起業したい気持ちがまずあって、その後に事業領域を選んだということでしょうか。

そうですね。ただし起業するかどうかの決断とは別に、キャリアの描き方についてはずっと問題意識を持っていました。
なので、どんな事業を展開するかを考えた時に、自分自身もかつて悩んでいたキャリア開発・人材業に思い至ったのは、ごく自然なことでした。


Prover代表取締役・西山の、現役生活から独立・起業までの足取りをお届けしました。
来週公開予定の後半記事では、実際に人材業界で事業をしてみて感じたことや、西山自身も直面した”非”高学歴層のキャリア構築に関する課題についてお伝えします。
Proverの企業理念の根幹に関わるエピソードとなりますので、次回もぜひお読みください!

※2月27日追記:後半公開しました!

【代表インタビュー/後半】なぜ五輪メダリスト・西山将士は、若者のキャリアプラン構築に課題を感じるのか | Prover株式会社
先日公開した代表インタビューでは、Prover創業の背景でもある、五輪メダリスト/Prover代表・西山の社会人経験の振り返りを行いました。 ...
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