感音性難聴を抱えながら、幼少期からサッカーに打ち込んできた瀧澤諒斗選手。ドリブル突破と泥臭いプレーでチームをけん引し、2023年には最年少でデフサッカー日本代表に選出、ワールドカップ準優勝に貢献した。現在は、東京2025デフリンピックでの活躍を目指して鍛錬を重ねている。2026年4月には東京パワーテクノロジーへ入社予定だ。自身のプレーを通して、障がいやマイノリティーの人々に「勇気を届けたい」。その想いを胸に、今日もピッチに立ち続けている。
走って、蹴って、鍛えた中学時代が今の糧に
――サッカーを始めたきっかけを教えてください。
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兄がサッカーをしていた影響で、5歳のとき遊び感覚で始めました。小学校3年生からクラブチームに所属し、本格的にサッカーと向き合うようになりました。サッカー歴は16年以上になりますが、特に印象に残っているのは中学時代です。クラブチームでサッカーを続ける一方、学校の部活は陸上部、駅伝部にも所属していました。放課後は部活で走ったあとにサッカーというハードなスケジュールを3年間続けた経験が、今の自分のプレースタイルである“泥臭さ”や“スタミナ”につながっていると感じています。
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聴こえにくさと向き合った大学サッカー
亜細亜大学に進学してからもサッカー漬けの日々でした。正直、大学に入る前は聴覚障がいに対して強いコンプレックスを抱いていました。でも、大学にはいろいろな人がいて、さまざまな価値観があった。同じように耳が聞こえない人、車いすを使っている人など障がいを持つ方たちと出会って、関わっていくなかで「自分と同じ経験をしている人がたくさんいる」「苦しかったのは自分だけじゃないんだ」と思えるようになり、少しずつ前向きな変化が生まれた気がします。
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その変化は、サッカーをするうえでの自信につながりました。試合中、自分からチームメイトに「こうしてほしい」と伝えるようになったのが特に大きかったと思います。デフサッカーでは、アイコンタクトやジェスチャーでスムーズにコミュニケーションが取れますが、大学でのサッカーは“声”が中心です。僕のポジションはフォワードなので、後ろから声をかけられることが多いです。でも、その声が聞こえないことで、守備のときに動きがズレてしまい、そこからピンチを招くこともありました。
サッカーは、チームで守って、チーム攻めるスポーツ。何よりもコミュニケーションが大切です。だからこそ「こういうときは聞こえないから、身振りで教えてほしい」と自分からお願いできるようになったことは、自分にとって大きな成長でした。「自分の声を届けることの大切さ」を、身をもって実感した大学時代だったと思います。振り返れば、自主性が大きく育った時間でした。
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“声を届ける”アスリートとしてのこれから
今年2月の大怪我でしばらくチームの活動から離れリハビリをしていましたが、今は完全復帰して練習に取り組んでいます。大学4年生なので、卒業論文にも力を入れています。スポーツ心理学のゼミに所属していることもあり「健常者とともにサッカーをする聴覚障がいアスリートの心理的影響」というものをテーマに研究しています。自身の経験をもとに、試合中の声かけや日常のコミュニケーションがアスリートにどのように影響するのか、客観的に調べ、整理したいと考えています。
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2026年4月には、東京パワーテクノロジーに入社予定です。入社のきっかけは、サッカー部の先輩が陸上のデフアスリート・門脇翠選手を紹介してくださったことでした。それまで僕の知り合いのデフアスリートはサッカー関係の人が多かったので、他競技の方々と交流できるチャンスがあること、そして門脇選手のお人柄にも惹かれました。「こんな素敵な人たちがいる職場で働きたい」と思い、面談を経て、無事に内定をいただくことができました。
今は、僕に可能性を感じてくれた東京パワーテクノロジーの皆さんの期待に応えたい気持ちでいっぱいです。アスリートとして僕ができる恩返しは、やはり“結果を出すこと”だと思っています。少しでも貢献できるよう、これからも全力で頑張ります。
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