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塞翁が馬

Photo by Lianhao Qu on Unsplash

2025年3月卒向けの説明会や面接が始まった。

説明会は2月~4月の間で5、6回設定され、午前、午後の2回開催。例年、累計で数百名の学生さんとお会いしている。

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「社長と話せる説明会」とPRしてあることに今、気づいた。確かに弊社説明では、冒頭から私が登壇し、会社概要などをお話する。一昨年までは会社概要や将来ビジョンまで一気にお話ししてたが、これではお互いが飽きると気づく。(それでも居眠りする学生さんはほぼゼロだった)話している私も「自分に飽きる」のだ。同じ事を何度も話すって根気が要る。

そこで最初に簡単に会社概要をお話した後は、これまでに多く学生の皆さんから寄せられたご質問や私が伝えたいテーマを列記して、その中から学生さんが選び、それについて話すという形式に変えた。これでストレスが半減したし、お互いに良かったと思っている。

それでも質問は特定のテーマに集中しがちだ。ほぼ毎回リクエストされるのが

「塞翁が馬」

というお話。人生の幸・不幸は予測しがたく、幸運も喜ぶに足らず、不幸もまた悲しむにあたらないとのたとえた中国の故事ですが、伝えたいのは実際は私の学生時代から50歳までの体験だ。

30年以上も前の話。

大学4年の8月末の大学院の入学試験で不合格となり、止む無く9月から就活を開始することに。まさか自分が9月から就活するとは思ってもなかった。しかもバブル崩壊後だ。春には熱心に誘って頂いたすべての大手企業から「もう締め切った」と。その後、自力で活動を始めるも苦戦を強いられる。そこで出会った1社、デカデカと初任給27万円と謳っていた。新宿の高層ビルで開催された説明会では当時珍しい動画を観せられ、すっかり気に入ってしまい、筆記試験、2度の面接をクリアし内定を10月末に得た。当時、雨後の筍のごとく日本に進出していた外資系生保の1社だった。

4月に入社し、2か月間、新宿で研修を受けた後は、

「九州出身だから」

という理由で熊本に配属されることに。都落ちしたのは蒸し暑い6月のこと。

仕事は税理士事務所に保険の販売代理店になってもらい、顧問先企業に節税目的で生命保険に加入してもらうというもの。23歳のヒヨッコが海千山千の税理士先生や中小企業の経営者に節税を指南する、、、

どう考えても無理筋だ。

着任後、最初の仕事として税理士事務所のリストを渡され、そこに片っ端から飛び込み訪問することを指示された。当然、門前払いの連続。辛い日々だった。ひょっとしたら大学院で研究していたかも知れない自分が汗だくで飛び込み営業って、、、

朝早くから夜は9時か10時まで仕事。そこから上司と頻繁に飲みに行かなければならない。売上が悪かったら当然のように土曜も出社だ。予算達成しなかったら叱責もあるし、日々強いプレッシャーをかけられる。

人生失敗した

いや、終わったかも、、、頭を過ぎる。

休みの日に就職した同級生に電話してみると、彼らは理系だから大手メーカーに就職していて、まだまだ研修中。それも序盤。早い人でも9月まで、長い人は一年間はずっと研修とか。

それから私の苦難は続く、、早く抜け出そうと転職ばかりを考える毎日だったが、その当時の価値観では新卒から3年以内に会社を辞めると人生の落伍者と見做されてた。

なんとしても3年は生き延びよう、そう思ったものだ。

それから時は流れ27年後。50歳の時に東京で大学のミニ同窓会に誘われた。

その数年前には同級生の悲報に触れた。最も秀才だったT君。地方国立の大学院を首席卒業した後に、当時理系の人気就職ランキング1位のS社に就職するも、適応障害で休職。復帰できず、そのまま退職。その後も自宅療養が長かったが、40代半ばで病気で亡くなった。

その他、同窓会に集まった同級性も悲喜こもごもだ。彼らのほぼ100%が東証プライム上場企業に就職したはずだ。節目の50歳。もちろん入った会社で順調に出世した人もいない訳ではないが、、極少数だ。鳴かず飛ばずや思い通りの人生でない方が大半。それでも同窓会に来ている人はそれなりに幸せな方だ。リストラに遭った人、50歳にして就活や転職活動中も多いと聞く。業績不振でパナソニックに吸収された三洋電機にも数名就職したはずだ。一方で不本意な就職をしたにも関わらず、その会社で努力し、今や幹部職。しかもその会社も絶好調で東証プライムでも屈指の高収益企業という人も。

かくいう私も当時平均勤続年数2年の会社に約4年も在籍し、最後はベテラン扱いだった。温室育ちで「ひ弱」だった私を強く鍛えて頂いた。「節税」を売る会社だったので税務や会計には明るくなった。社会人として、営業としての基礎は教わった。

だから今がある。

この歳になって思うこと。「どこに就職するか」よりも「ご縁のあった会社でどう頑張るか」の方がずっと大切だということ。だから就活中の皆さんに伝えたいのは、

就活が上手く行っても、行かなくても、喜びすぎて安心してはダメだし、悲観して落ち込む必要もないよということだ。

それでも、思い通りに行くように残された期間、多くの企業を見て、自分のアピールし、後悔なく就活を終えて欲しい。









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