1
/
5

【事業責任者に迫る】「活躍」という光の裏側には影がある、人生の指針がRoadだった


本日は事業責任者の柴田大樹さんにインタビューをしました!
柴田さんは株式会社Roadの創業メンバーです。

突然ですが、皆さんこれまでの人生で、何か打ち込めるものを見つけたことがありますか?

仕事でしょうか?
部活でしょうか?
はたまた、、趣味でしょうか?

誰しもが「時間を忘れるほど楽しい!」と思えるものに、一度は出会ったことがあると思います。
現在、事業責任者として会社を牽引している柴田さんも、そんな想いを抱いていた方でした。

ただ、「楽しい!」という感情だけでは物事は続きません。
どうしても将来のことを考えてしまうものです。

「今やっていることに自信がない」「将来につながっているか不安」

という思いなど抱いている方はぜひ、最後までご覧ください!!


宮城:柴田さん、本日はよろしくお願いします!
まずは柴田さんの少年時代を簡単に教えて頂きたいです!

柴田:小中高は野球に打ち込む日々でした。
大会成績こそ良かったものの、努力をしたからというよりは、単純に運が良かったですね。
チーム自体は特別強いわけではなかったです。

勉強は、中学まではよくできました(1000人中1位)。
ただ、高校に入ってからは机に向かうことが無くなり、成績はずっとビリになりました。
当然、大学受験に対しても気持ちが入りませんでした。
私の地元は青森の田舎町でしたから、大学に入学し垢ぬけた先輩を見ると都会への憧れを抱くものです。ただ当時、東京は怖いという固定観念があったため、仙台の大学へ進学しようと決めました。

仙台での一人暮らしが始まりました。
毎日が自由で、本当に楽しかった記憶があります。
しかしそんな自由な生活も半年を過ぎたころになると「俺、何やっているんだろう」と思うようになります。私には何か打ち込めるものが必要だったのです。

結局、大学は1年で辞めました。
そして当時働いていたバーに全力を注ぐことになります。
その後店長になり、店を常時満席になるレベルまで育てました。
当時のオーナーさんも家族のように接してくれたので、本当に楽しかったです。
ただ同時に「今のバーでの仕事では、将来が見えない」ということも分かっていました。
何かを変えないといけない、という気持ちが強くなっていきました。


宮城:そのタイミングで上京されたんですね?

柴田:そうです。スカウトされて、東京でホストになると決めました。
3か月目で1位を取り、その後は店舗経営も経験しました。

ただこの時も「何か違う」と思うようになっていました。
すでに23歳になっていたので、周りの同級生は一般企業に就職して、サラリーマンになっていました。
正直、比較した時の疎外感は強かったです。
そして夜職には先がない、と気づきました。

きっかけは自体は異なりますが、
大学もバーもホストも総じて「やっていて先が見えない」という理由から、最終的には辞める決断をしました。

その後、静岡での工場勤務を経て、再び就職活動をすることにしました。
当時はよくひとりで海に行って、自分の人生を振り返っていました。

どうすれば良いか分からず、もがく日々でした。

そのタイミングで偶然、片江さんと出会いました。
私は当時27歳で、片江さんは当時23歳でした。

片江さんは、私がこれまで感じてきたことをロジカルに説明してくれました。
「あのとき私が感じていたものの正体は、これだったのか!」と納得できましたね。
感覚的な部分を言語化してくれたんです。


宮城:その後、片江さんのもとで働かれたのですね!
前職でのご経験を教えてください!

前職では採用がメインの仕事でした。
リファラル採用という採用方法で、説明会や研修、配属まで私がやる形でした。
採用人数は月間約30人だったので、かなり大規模だったと思います。

私を指導してくれたのは宮城(直之)さんでした。
当時はとても厳しいと感じていましたが、今思えば自分のレベルが低かっただけですね。
本質的な部分が見えてなかったです。

前職を辞めたのち、片江さんや宮城さんとともにRoadの創業メンバーとして、会社の立ち上げに携わりました。


              宮城直之さん(左)と柴田大樹さん(右)


宮城:Road創業当初と比べて、自分の中での変化はありましたか?

柴田:スキルや能力だけではダメで、人格的な部分も追いついていなければならないことに気づきました。それこそ創業当初の、31~32歳の自分はまだ子供で、人格的に未熟だったなと思います。

一般的なマネジメントは「管理する」ことです。
極端な話、ロジックさえしっかりしていれば良いわけです。
しかし、Roadは「人」を大切にしています。
なので人格面に対する教育も大切なマネジメントの要素のひとつです。
当然、優しさだけが全てではないので、時には厳しく指導をすることもありました。
なので当時は心の痛む瞬間がよくありました。
「ここまで言う必要はないかな」
「さすがに言い過ぎたかな」
そう思うときが何度もありました。

その人の人格的な部分に触れることは、かなり勇気のいることです。
一般的な会社であれば、誰もがあえて触れようとしない部分だと思っています。
でもそこから目を逸らしてしまっては、本当に「向き合っている」とは言えないと思うんです。

人生を変える…

Roadの見ているところは人の「本質」なんです。
真に向き合わなければ、人の成長をサポートすることはできません。

そして、人格面に対する教育を通じて、私自身も人間的に成長できました。


加えて、感情的な変化もありました。
創業当初は「打ち込めるものを見つけた!これで人生楽しくなる!」という思いでした。
バーやホストを始めた時と同じ感情です。
正直、結果が出なくても満足していた自分がいました。

ただ、今は、自分のやっていることに対する将来への不安がなくなりました。
社会で通用する力がついていると確信しています。
その確信の根拠を作ってくれたのは、現経営陣の片江さん、宮城さん、大山さんです。


              会社を牽引し続ける柴田大樹さん


宮城:柴田さんの将来ビジョンを教えてください!

柴田:まずはRoadの役員になることです。
とりわけ立場が欲しいわけではありませんが、


私自身が「人生は変えられる」ということを体現し、希望の存在になるためには必要なことだと思っています。
そしてRoadの価値を社会に波及させていきたいです。

Roadのバランサーにもなりたいですね。
今後、会社が大きくなっていく中で、私がRoadの全体のバランスを調整できるような存在になりたいです。

個人的には、地方創生も今後やっていきたいです。
特に地元の青森県ですね。本来、地方では仕事なんていくらでもあります。
なのに地方がいま衰退している理由は、「人」を見ていないからだと思います。

Roadが大切にしている「人」の部分を活かすことが出来れば、希望や向上心が溢れる地方を実現できると思います。今まで会ってきた色々な人と協力して、新たなシナジーを生んでいきたいです。


宮城:柴田さんにとってRoadとはどんな存在ですか?

私の人生の、進むべき道を作ってくれた存在です。

今でも、私の人生の指針です。

そして今度は私が、その道を与える側になりたいと思っています。

私と一緒に人生を変えていきましょう!!


柴田さん、ありがとうございました!
様々な経験をされてきたからこそ、「Roadへの確信」に説得力がありますよね。

「人生は変えられる」ということを体現しているCrewが多いのが誇りです!

柴田さんの背中を見ながら、私たちも、そしてこれをみているみなさんも、一緒に成長しましょう!🔥

株式会社RUHでは一緒に働く仲間を募集しています
29 いいね!
29 いいね!
同じタグの記事
今週のランキング
株式会社RUHからお誘い
この話題に共感したら、メンバーと話してみませんか?