1
/
5

エンジニアになるために進路を選んできた私が、ContractSでチームに尽力するワケ

ContractSを代表する社員が、半生を語るコラム『ContractS わたしの履歴書』。登場する社員は、セールス・エンジニア・デザイナー・バックオフィス等の多岐にわたります。それぞれの分野で後世に残る仕事を成し遂げようと日々奮闘するContractS社員。彼ら彼女らが自らの言葉で語る努力や想い。読めばきっとあなたに役立つ何かが得られるはずです。

■毛見 彰吾(けみ しょうご)
職種:エンジニア
趣味:映画鑑賞、ルービックキューブ


共働きの両親の背中を見て育った子供時代。手に職のついた仕事として「技術職」を進路に選んだのは自然な流れだった。

幼少期から長野県で育ちました。昔からインドア派だったので、家で映画を見たり小説を読んだりすることが好きでした。特に、洋画好きな母の影響で、小学校低学年からサスペンスやミステリーものを観ていました。周りからは驚かれましたね。一方で、適度に外にも遊びに行く子供でした。特に学校では周りを楽しませるのが好きで、ひょうきんなキャラクターだったので、よく先生には怒られていました(笑)

部活に選んだのは陸上部です。小学校高学年から始め、中学校から本格的に打ち込みました。当初は100mの短距離走やハードル走に力を入れていたのですが、私は個人戦よりもチーム戦の方が力を発揮できるということに気づき、途中からリレーに注力する様になりました。もちろん悔しい想いもしました。中学校の最後の県大会で、一歩手前でシード権を逃してしまったんです。とはいえ、厳しい練習の中で一緒に切磋琢磨したチームメンバーとの日々は、今でも大切な宝物です。今でも重視している「仲間意識」が芽生えたのはこの頃だったかもしれません。

私の家庭は両親が共働き。父は洋食のコック、母親は福祉関係の仕事に務めていました。日頃から二人の生き生きと働く姿を見ていたので、「手に職をつける仕事がしたい」と思うようになったのは自然な流れでした。ある時からエンジニアに憧れを持つようになり、中学生の時点から「自分は技術職で生きていくんだ」と決めていました。早く働きたいという想いから、高校の時点で技術専門の学校を選ぶことになりました。

幼少期に憧れた大会出場に向けて、自走ロボットづくりに奮闘。アイディア出しと試行錯誤の毎日を通して、開発プロジェクトの面白みを擬似体験。

高校で入った学科は、電気情報科です。ここでは、1年次で2進数や16進数、論理演算などの基礎的な数学知識を身に付けた上で、2年次以降はプログラミングを実践しながら学ぶ日々を過ごしました。

高校で入った部活は総合工学部。ここでは、幼少期にTVを通して憧れた”ロボットコンテスト”に出場すべく、自走ロボットづくりにほとんどの時間を費やしました。私の中の一番の青春と言ってもいいほどです。

この自走ロボットづくりは、奥深かったです。基本的には車体をベースにフレームとパーツを載せていくというシンプルな構造なのですが、各パートはいくつかの制作チームに分かれているので、横連携をしながら慎重に正確に組み立てていくことが不可欠です。また、毎年9月に大会が控えているので、新学期のチーム編成からロボットの完成まで猶予は半年もない。もちろん、仕上げは全てプログラミング。ロボットづくりの特徴を改めて振り返って気づきましたが、この頃から、大きな開発プロジェクトを擬似体験していたと言えるかもしれません。特定の完成品をイメージした上でコーディングをしていくので、授業をそのまま実践に活かす機会にもなりました。プログラミングの技術を磨くには最適な環境でしたね。

ここでの大きな学びは、なによりも「自分でアイディアを出して試行錯誤する」ことがどれだけ重要かということに気づけたことです。私がいた総合工学部は新設されて間もない部だったので、他校と比べて、ロボットコンテストのノウハウがほとんど貯まっていなかったんです。それもあって、毎年常に自分たちでコンセプト出しから技術の選定まで創意工夫し、あれも違うこれも違うと改善を繰り返すことが当たり前の日常でした。問題点を見つけ、どう改善するかを自分なりに考え、出たアイディアを実践し、また問題点を見つける。この改善サイクルを学生の頃から習慣化できたお陰で、スクラム開発のプロセスにも自然と馴染んでいる自分がいます。長野県で3位に入賞することもでき、今でもロボットコンテストに挑んだ日々は良い思い出です。


早くエンジニアとして働きたいという想いから、2年制の短大を選択。学習漬けのストイックな日々の中で、コードを書く作業が改めて大好きなのだと実感。

高校である程度プログラミングの基礎を身に付けたと自負していたので、早く社会人になりたかった私は、迷わず短大を選びました。とはいえ、決して楽な2年間ではありませんでした。

2年制と言えど、カリキュラムも学習量も4年制大学と同じ。半分の時間で2倍の多くのことを学ぶワケなので、当然ながら平日は講義がフルで埋まっていました。8時から16時までずっとコーディング漬けの毎日でしたね。今思えばなかなかストイックな日々でしたが、この2年間という短期間で一気に自身のプログラミング知識の幅が広がったことを実感。これはロボットづくりでも同じことが言えますが、私にとってのプログラミングの醍醐味は「思い通りの動作に持っていくために試行錯誤する」プロセスです。そのため、コードを書く作業は終始苦ではなく、改めて自分は両親の様に手に職をつける仕事が向いているのだなと気づきました。

ContractSに出会ったのは大学の企業説明会。「志」とそれに基づく「プロダクト設計思想」がひときわ印象的で、社会を変える本気度を感じた。


ContractSを知ったのは、大学の企業説明会でエンジニア・簾田に出会ったことがきっかけでした。今でも印象的だったのは、事業に関する説明から入っていた企業が多かったのに対し、ContractSだけ「志」というものを明確に打ち出していたことです。「世の中から紛争裁判をなくす」という言葉自体にとても社会的意義を感じましたし、プロダクトの設計思想がこの志に紐づいていたので、企業としての社会を変える本気度を感じました。

また、ロボットづくりの経験から、「自分でプロダクトを一から作りたい」ということにこだわりを持っていたので、受託開発ではなく、事業会社として自社プロダクトを育てていけるという側面にも惹かれました。

選考に進む中では、CTOの花井、エンジニアの簾田、採用責任者の増井と面接をしました。その誰しもが「ContractSに入ると必ず成長できるよ」と自信を持って言い切っていたことが大きな決め手となり、入社を決めました。

内定をいただいてから実際の入社まで約1年あったので、その間は卒業研究に没頭しました。それも、ContractSの入社後はWEBアプリケーションを作ることが決まっていたので、その仕事に関連するテーマ設定にしました。具体的には、人の出入りを検知するカメラを設置し、機械学習を元に、その部屋や建物にいる人数をWEB上で確認できるアプリです。

入社直前までプログラミングに没頭し続けたことに加え、エンジニアチームのウェルカムな雰囲気づくりのおかげで、入社後は思った以上に早くContractSの環境に馴染めました。また、驚くことに、入社早々、VPoE・守屋に新卒向けの教育プログラムを組んでもらったので、ContractSならではの開発プロセスや共通言語の理解にも早々に追いつくことができました。4年目のスタートアップできちんとした教育プログラムを敷いてくれる会社はそうそうないと聞いているので、これも入社後のオンボーディングが手厚いContractSならではの魅力だと感じています。

ContractSでは、当面の間は、今いるチームの目標達成に向けてひたすら尽力していき、自分の強みだと言える部分を探したいと思っています。毎日刺激的な環境に身を置いているので、止まることなく前進し続け、一人前のエンジニアを目指していきます。

ContractS株式会社では一緒に働く仲間を募集しています
同じタグの記事
今週のランキング