1か月半働いてわかった、準備・お金・時差・生活のリアル
朝5時、パリ。
窓の外は暗い。鳥すらまだ本気を出していない。そんな時間にMacを開くと、画面の向こうの日本は昼の12時で、同僚たちはハリのある声で「お疲れさまです!」と挨拶してくれる。
元気である。こっちは寝起きで、顔面も頭もまだ半分しか起動していないのに。
僕は福岡で、フルリモートの会社に勤めるUIデザイナーをしている。
ただ、入社してから突然「これ、別に福岡の自分の部屋でやらなくてもよくない?」と思いついたわけではない。パリで暮らしてみたいという種は、その前からあった。
以前、銀行に勤めていた頃、昔の職場の同僚と飲む機会があった。そこで「クロスログで働かないか」と誘われた。ありがたい話ではあったが、僕には前々からやってみたいことがあったので、酒の席で軽い調子のまま話してみた。
「僕、パリでしばらく暮らしてみたいんよね」
普通なら「へえ、いいねえ」で終わる話である。酔っ払いの夢など、翌朝には焼酎と一緒におしっこになって流れていく。
ところがどっこい返ってきたのは、思いがけないひと言だった。
「うちならできるよ!」
そんな会社あるんかい、と思った。
もちろん、このひと言だけで転職を決めたわけではない。仕事内容や、一緒に働く人たち、自分がそこで何をできそうか。考えることはほかにもたくさんあった。
ただ、この会話は、その会社の働き方や柔軟さをとてもよく表していた。パリのために転職したというより、やってみたいことを笑わずに「できるよ」と言ってくれる環境に、素直に惹かれたのだと思う。いくつもあった判断材料の中で、今もよく覚えている会話のひとつである。
では、なぜパリだったのか。
最初に訪れたのは20年ほど前。凱旋門の近くで同行者と喧嘩をしたことまで含めて、よく覚えている。そんなことがあったにも関わらず、さらに何度か足を運び、今回で4回目。美術館も建築も街並みも好きだが、それだけなら旅行でいい。何度か訪れるうちに、観光名所を回るのではなく、この妙に体に馴染む街で働き、スーパーへ行き、食事を作り、何でもない平日を過ごしてみたくなった。パリをもっと見たかったというより、一度、パリを背景に普通の生活をしてみたかったのだと思う。
もうひとつ、踏ん切りをつけられた理由がある。僕はアラフォーの独り身で、配偶者も子どももいない。2か月ほど家を空けるにあたって、家族会議を開く必要もなければ、誰かの学校行事と日程を調整する必要もない。
そう書くと少し寂しいが、見方を変えれば、かなり身軽である。体重は年々重くなっているのに、立場だけは軽い。せっかくなら、この身軽さをふてくされる材料ではなく、自由として使ってやろうと思った。
こうして2026年の初夏、パリに1か月半滞在し、日本の仕事を続けながら暮らしてみた。
この言い方だけなら、たいへん洒落くさい。
「朝はカフェでクロワッサンをかじり、午後はセーヌを眺めながらクリエイティヴにトラヴァイユざますのよ。あらやだ!フランス語でちゃった!」みたいな、意識の高い、くさい湯気が立ちのぼってくる。しかし実態は、朝5時に寝ぼけ眼で会議に入り、昼すぎに力尽き、スーパーの値札にビビり、プルタブのないツナ缶に絶望してハサミでこじ開ける生活だった。
それでも、いや、たぶんそれだからこそ、面白かった。
なお、この旅には後半戦があって、パリのあとはそのままサンフランシスコへ渡り、デザインツールFigmaのカンファレンス「Config」に参加した。福岡から西へ進み続けて日本へ戻る、全体で約2か月の世界一周である。この記事ではその前半、パリで働きながら暮らした部分を書く。名所案内ではなく、日本の会社で働きながらパリに長期滞在するために何を準備し、実際どんな毎日になったのか。キラキラした写真の外側にある、書類、時差、家賃、食事、疲労、Wi-Fiの話である。
「うちならできる」と、実際にやるまでの話
とはいえ、飲み屋での「できるよ!」だけを握りしめてウキウキとシャルル・ド・ゴール空港へ向かうわけにはいかない。それだとただの浮かれたお調子者である。
航空券やアパートを取る前に、会社との正式な合意が必要だった。
フルリモートだからといって、パスポートを握りしめて勝手に国外へ逃亡してよいわけではない。勤務場所、労務管理、時差、滞在期間。会社側が確認したいことは当然ある。
僕の場合はバックオフィスと相談し、勤務時間を次のようにした。
- パリ時間:5時〜14時
- 日本時間:12時〜21時
- 日本側の通常業務やミーティングに参加する
- 日本時間22時以降の勤務を避ける
さらに、滞在先との契約に必要だったため、会社には海外からのリモートワークを承認する英文レターも発行してもらった。
海外ワークの最初の難関は、フランス語でもスリでもなく、社内調整である。「やりたい」と言ったときに面白がってくれる会社であることと、それを実務として成立させること。その両方が揃って、ようやくパリ行きは酔っ払いの夢から予定表の項目になった。
朝5時勤務は、意外と成立した
朝5時から14時まで働く生活は、文字で見ると過酷に思える。
実際、最初の会議では日本側と自分のテンションがまるで違った。向こうは昼、自分は起床直後。カメラに映る顔から生命の気配を探すほうが難しい。ゾンビ in Parisである。
それでも数日で慣れた。何より、14時に仕事が終わるのがよかった。
そこからグラン・パレを見に行く日もあれば、シャンゼリゼまで散歩する日もある。図書館で作業しようとして満席で追い返される日もある。疲れた日は近所のスーパーへ行き、自炊して寝る。
といっても、早朝から働いた中年が、若干むくんだ顔で街をウロウロしているだけなのだが。
大事だったのは、毎日観光しようとしないことだった。
1週間の旅行なら、疲れていても「せっかく来たんだもの!」と予定を詰め込む。1か月半では、それをやると身体が先にヘタる。デスクワークで体力ゼロのアラフォーならなおのこと。観光客ではなく生活者になるには、何もしない日を許す必要がある。
長期滞在の贅沢は、名所をたくさん回ることではない。「今日は疲れたから、スーパーだけ行って寝よ」とパリで言えることなのだと思う。
滞在した部屋
住まい探しは、ロマンより机とWi-Fi
僕が借りたのは、17区バティニョールのワンルームだった。観光地のど真ん中ではないが、暮らすにはちょうどよかった。
1か月を超える滞在では、僕はAirbnb経由で Bail mobilité(モビリティリース)という短期賃貸契約を利用した。対象や必要書類には条件があるため、予約時点で貸主と確認したほうがいい。僕の場合は、会社のリモートワーク承認レター、仕事上の滞在目的を示す資料などを準備した。
部屋選びで優先したのは、次のようなことだった。
- 安定したWi-Fiがある
- Macを長時間置ける机と椅子がある
- 早朝勤務でも周囲に迷惑をかけにくい
- 自炊できる
- スーパーとメトロが近い
- 1か月半、自分のお尻と腰が耐えられる椅子または忍耐力
最後の項目は不動産サイトにあまり書かれていない。しかし重要である。洒落た丸テーブルと華奢な椅子は写真映えするが、そこで毎日8時間働くと腰が終わる。腰とともにパリも終わる。ちなみに自分の場合は終わりかけた。
眺望もバルコニーもなかったが、暮らすには居心地のよい部屋だった。窓からエッフェル塔が見えるかより、Wi-Fiが切れず、スーパーから重い水を持って帰れる距離かどうか。長期滞在ではロマンの優先順位が容赦なく下がる。
予算は、出発前からすでに可愛くない
出発前の最終計画では、パリ滞在と、その後のサンフランシスコまでを含む全旅程を、おおむね100万円前後で見積もっていた。内訳の大物は次のとおりだった。
- 3区間の航空券:約36万3,000円
- パリの宿泊費:約32万円
- これに食費、交通、通信、保険、現地での買い物など
- アメリカの滞在費。
これは「実際の最終精算額」ではなく、出発前の予算である。しかも折しも世は円安・ユーロ高。両替するたびに、自分の日本円が異国の通貨に食われて小さくなっていく。為替画面を見る顔は、だいたい便秘のときと同じだった。
現地では、外食の破壊力が特にすごかった。
ある日、たまにはフランスらしいものを食べようと店に入った。狙っていたランチメニューは「今日はない」と言われ、結果、昼食は44ユーロ。日本円にして約8,000円である。
昼食で8,000円てあーた。
うまかった。うまかったが、支払い金額を見た瞬間、お腹が痛くなりそうだった。
だから普段はかなり自炊した。にんじんとソーセージをバターで炒め、日本から持ってきた万能だしで味を整え、クスクスに添える。卓上コンロ一台でも、ビールがあれば立派な夕食になる。
スーパーだけでなくマルシェも使った。野菜や果物は、近所のスーパーより新鮮で安かった。自炊なら一食3〜5ユーロ程度を狙える。長期滞在で自炊は「丁寧な暮らし」ではない。財布の止血である。
支払いまわりでは、Revolutがかなり便利だった。僕の使い方では、両替やカード決済のたびに余計な為替手数料をほとんど意識せずに済んだことが大きかった。
必要なぶんだけ日本円から都度入金していたので、「いま円でいくら使ってしまったのか」も把握しやすい。普通のクレジットカードだと、海外旅行先でついつい気持ちよくカードを切り続け、帰国して日焼けが薄くなった頃に請求額を見て青ざめることがある。Revolutなら使ったぶんがその場で減る。帰国後、忘れた頃にカード請求から旅の第二部が始まらないのは、精神衛生上かなりよかった。
ちなみに、パリとサンフランシスコを含む旅全体の出費は、最終的に120万円を超えた。100万円の予定は未定であり決定ではなかった。
パリのノマド生活は、カフェより自宅が強かった
出発前には、パリの美しい図書館やスタートアップ施設で働く自分を多少は想像していた。
現実はそう簡単ではない。
美しい国立図書館へMacBookを持って行ったら満席。終了。人気施設には行列もある。Station Fのフードコートは開放的で洒落てて作業しやすかったが、17区の部屋から13区まで行けば往復の交通費と時間がかかる。無料の席を求めて移動し、途中で飲み物でも頼めば、何を節約しているのか急にわからなくなる。
もちろん気分転換にはいい。しかし毎日の仕事場として最強だったのは、結局、自分の部屋だった。
- 確実に座れる
- 電源がある
- トイレの場所を知っている
- 食事を作れる
- 会議で日本語を話しても不審者にならない
ノマドワークは、きれいな場所を転々とすることばかりではない。仕事を止めない場所を確保することが最重要である。
通信はデータ専用eSIMの50GBプランを日本で設定しておき、現地ではスマホ回線と部屋のWi-Fiを併用した。テザリングできる回線が一本あるだけで、家のネットが死んだときの精神的な保険になる。海外で締切を抱えながらWi-Fiが落ちると終わる。普段は信心深くなくても神に祈ることになる。できればWi-Fiについて祈るのは避けたい。教会ならそこらじゅうにあったけど。
そして缶切りはなかった
役に立ったのは、派手な旅行グッズより生活用品だった。
- 日本の調味料や万能だし
- 浄水できる水筒
- モバイルバッテリー
- 変換プラグと予備の充電手段
- モバイルモニターなどのPC周辺機器
- 少しの非常食(フリーズドライの味噌汁など。米はスーパーで買えた。)
仕事道具の中で、特に持って行ってよかったのは16インチの4Kモバイルモニターだった。といっても高級な機材ではなく、Amazonのセールで買ったものである。母艦だけは14インチのMacBook Proで、そこは少し良いやつを使っている。中心にはきちんと投資し、その周りは手頃な機材で固める布陣である。デザインの仕事では、Figmaのキャンバスだけで画面がほぼ埋まる。そこへClaudeを常駐させたターミナル、Slack、ブラウザなどなどが加わると、MacBookの一画面ではとても足りない。
さらに、数年前の型落ち13インチiPad Proもサブディスプレイとして使えば、旅先でもトリプルモニター環境を作れる。Amazonのセール品と型落ちiPadでも、画面として働いてもらうぶんには十分だった。多少荷物は増えるが、1か月半も毎日働くなら、この画面面積はぜいたくではなく仕事場である。
あと地味に優秀だったのは、日本の電源タップである。壁のコンセントに変換プラグを一つだけ挿し、その先へ電源タップをつなぐ。MacBook、モニター、iPhoneなどにまとめて給電できる。見た目は所帯じみているが電子機器が多い場合は必需品。
イヤホンは、機内用のノイズキャンセリング付き有線(寝落ちしても座席の下へ転がっていかない)と、会議用のマイクがいいAirPodsを使い分けた。
ただ、この万全に見えるリストに足りなかったのが、缶切りだった。
ある夜、スーパーで買ったツナ缶を開けようとしたらプルタブがなかった。部屋にも缶切りがない。おかずなしは辛すぎるので、僕は包丁とハサミを駆使し、金属の蓋に無理やり穴を開けてこじ開けた。
昼間はUIの複雑な設計を考えていた人間が、夜にはツナ缶ひとつ開けられず、原始人さながらに缶詰をガンガン叩いて開けようと格闘して困った顔しているのはなかなか滑稽だったと思う。
パリの人は、言われるほど冷たくなかった
パリへ行く前は、「店員が冷たい」「観光客に不親切」といった話を何度も聞いた。今までの旅でそれを感じたことはなかったが、注文のたびに鼻で笑われ、フランス語の発音を公開処刑されるくらいの覚悟はしていた。
ところが1か月半暮らしてみると、少なくとも僕が出会った人たちは、巷で言われているほど冷たくなかった。むしろ、困った人に自然と手を差し伸べる人が多かった。
もちろん、フランスなりの作法はある。店に入ったら、まず相手の目を見て「ボンジュール」と言う。これだけで、とてもいい空気になる。こちらから「あなたを一人の人間として認識していますよ」と伝えるのが大切なのだそう。挨拶をするとなんだか清々しいし、あとは軽く微笑んでたら向こうもこちらも気持ちよく過ごせた。
ある日は、バス停で白髪に派手な服のマダムから、ものすごい勢いのフランス語で話しかけられた。聞き取れた内容はほぼゼロだったが、どうやら荷物をバスに載せるのを手伝ってほしいらしい。
荷物を持ち上げながら思った。パリのマダム、だいたい大阪のおばちゃんと同じ距離感ではないか。
遠慮はない。でも悪気もない。困っていれば誰かに声をかけるし、頼まれた側もサッと手を出す。用が済めば、必要以上にベタベタせず、それぞれの方向へ去っていく。
アパートの向かいに住むおじさんからも、一度笑顔でものすごい量のフランス語を浴びせられた。多分中庭の木に巣を作ってるハトのつがいの話をしてた。
こちらは笑顔で「メルシー! ボンジョルネ!」と返した。たぶん会話は成立していない。それでもお互い満足そうだったので、成立したとみて良いだろう。知らんけど。
同じ建物には、黒いラブラドールの子犬も住んでいて、まだこちらの方が意思疎通できた気はするが、人情味ある思い出になった。
いちばんパリらしいと思ったのは、地下鉄で女性のバッグがドアに挟まれたときだった。周囲の乗客が一斉に手を伸ばし、ドアをこじ開けて助けた。見事な連携プレーだった。そして解決すると、全員が何事もなかったような顔に戻った。
助ける。けど恩着せがましくしない。親切のあとに会話もない。再び「スン」とした顔に戻る。
パリの地下鉄駅
愛想よくしてくれるわけではない。でも、必要なときにはサッと助ける。お節介なのに、過剰には踏み込まない。パリの人は冷たいというより、親切の出し方が日本と違うのだと思う。笑顔でラッピングして渡さず、必要な場所へ裸のままポンと置いていく。
こういう人との距離感も、この街の魅力かもしれないと思う。
計画どおりだったこと、誤算だったこと
計画どおりだったのは、時差勤務が成立したこと。会社と事前に勤務時間を合わせ、部屋に安定した作業環境を作ったことが大きかった。
誤算だったのは生活疲労である。毎日知らない街で暮らすと、思った以上に疲れは溜まる。休日に遠出した翌日は、仕事が終わるとそのまま昼寝してしまうこともあった。そして物価。予算表で読む44ユーロと、レジに表示される44ユーロは、同じ数字なのに目の血走りかたが違う。
長期滞在では、非日常を日常として運用する力が要る。毎日を特別にしようとすると、金も体力も持たない。仕事をし、食事を作り、疲れたら寝る。その普通の生活の背景だけがパリになる。それくらいがちょうどよかった。
これから試す人に伝えたいこと
もし同じような滞在を考えているなら、最低限、次を出発前に確認したほうがいい。
1. 当たり前だが、会社は海外勤務を認めているか。そして誰と何を合意する必要があるか
2. 日本との時差で、現実的な勤務時間を組めるか
3. 滞在資格や賃貸契約の条件を満たせるか
4. 部屋に仕事用の机、椅子、Wi-Fiがあるか
5. 通信障害時の予備回線があるか
6. 外食を続けずに済むキッチンと自炊スキルがあるか
7. 航空券と家賃だけでなく、保険、交通、通信まで予算に入れたか
8. 何もしない日を予定に入れられるか
※海外勤務の可否や必要な手続き、滞在資格、賃貸契約などの条件は、勤務先、雇用形態、滞在期間、渡航時期によって異なる。この記事は僕が滞在した時点の体験なので、実際に計画する際は勤務先と相談し、最新の公的情報を確認してください。
「どこでも働ける」を、本当に使ってみる
1か月半のあいだ、僕はパリで普通に働いた。
仕事ではUIを設計し、オンライン会議に出て、Slackでやりとり。仕事が終われば街を歩き、スーパーで食材を買い、ときどきひとくち1ユーロくらいする食事をして財布の存在意義を失い、疲れた日は寝た。
華麗なノマド生活だったとは思わない。
でも14時に仕事を終えて外へ出ると、大好きな街が毎日そこにあった。ふらっと美術館へ行く。知らない道を歩く。いつものスーパーで、いつもの犬に会う。そういう小さな日常が積み重なって、パリは観光地ではなく、自分が一時期暮らしていた街になった。
フルリモートという制度は、通勤しなくていい仕組みとして使うだけでもありがたい。ただ、場所を選べる自由が本当にあるなら、一度くらい、その自由を額面どおり使ってみてもいい。
必要なのは、MacBookと少しの勇気なのだ、さあ海外へ飛び出そう――などと格好よく締めたいところだが、実際には会社の承認、英文書類、貯金、安定したWi-Fi、そして自炊する気力である。
自由には、だいたい地味な面倒ごとや必需品がたくさん付いてくる。缶切りとか。
それでも僕は、やってよかったし、また行こうと思っている。