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「コロハラ」?「マタハラ」!?「リモハラ」? 増殖するハラスメントに負けてはいられない!


マタハラ、アルハラ……これまでも日本では「ハラスメント」に数十種類も名前が付けられてきました。昨年はあれほどまでハラスメント問題が日本国中を賑わせ続けたにも関わらず、今回のコロナ禍においてもコロハラというワードも出てきており、職場問題の一つとしてハラスメントが重要視されている現状です。またリモートが進み、あらたに「リモハラ」という新しいハラスメントも生まれました。

感染した方への差別や中傷をしないよう呼びかけもありましたが、感染者やその家族、クラスター発生の団体への差別や中傷、不当な扱いを受けるケースが多発しているのです。

不安や葛藤を抱えながらも出社し仕事をしている、その不安やストレスがコロナハラスメントという形で他者に向かった時、職場ではどうしていけば良いのでしょうか。

現在コロハラという表現は様々なケースで使われていますが、今回は職場で働く人同士の間で起こる理不尽な差別や嫌がらせについて取り上げます。

セクハラという言葉が日本に登場して約30年。ようやくセクハラに対する正しい認識、防衛の知識や対応策が浸透してきました。そのおかげか、セクハラ案件は無くなってはいないものの、減少傾向にあるとされています。

その一方で、パワハラ案件は増加の一途。これは、近年になってパワハラが増えたわけではありません。これまでは「指導」や「強めの応援」といった曖昧な捉え方がされ、権力や力関係の世界では暗黙の了解として行われてきた「行為」に対して、「人として、どうなのか!」と声を上げることができる社会に変わってきたということなのでしょう。

パワーハラスメントは2001年に日本で造られた和製英語。アメリカでは、「Abuse of Authority(職権乱用・職権を使った暴力)」「Bullying(いじめ)」と表現されます。そう、間違いなく、暴力やいじめの領域なのです。パワハラが「暴力行為」だという共通認識が社会に浸透し始めた、まさに膿出しの初期段階が今の日本なのではないでしょうか?

暴走する権力やいじめ、ハラスメントが起こる職場には特徴があります。コミュニケーションの質が極めて悪いことは言うまでもありませんが、「社員幸福度」や「社員エンゲージメント」も圧倒的に低いのです。

また、職場ではハラスメントに対する社員の理解と認識度の食い違いが最も危険な問題の種で、経営者を含む全社員が「ハラスメントと呼ぶ行為」を同じレベル、同じ認識として共有しているかどうかは、企業そのものの価値を変えるほど重要なものなのです。

◆パワハラ現場の「怒られる大人」たち

「怒られないよう、頑張ります」
「怒られてばかりで辛い…」

企業研修や社員カウンセリングをしていると、こんな言葉が漏れ出てくることがあります。口に出しては言わなくても、上司や同僚、クライアントから「怒られないように」と身構え、時には、怯えながら仕事をしている大人も実は少なくないのです。

職場におけるさまざまな状況下で、力関係を使って他者に恐怖感を与えることは、あってはならないものではあれ、パワハラの現場には、間違いなくこうした「怒られる恐怖に生きる大人たち」が実存しています。

以前テレビで「最近怒られたのはいつですか?」と成人男性に街頭インタビューしているのを見たことがあります。そんな質問が放送ネタになるのは、日本独特の風潮です。大人として、社会人として「怒られる」という状況自体、何かおかしくないですか?

◆「叱る」と「怒る」はまったくの別物

私たちは子どもの頃から、何かにつけ「怒られて」育ってきたように思えるかもしれません。

同類語で「叱る」という言葉がありますが、「叱る」と「怒る」は似ているようでまったく違うも
のです。より良い方法を教示するのが「叱る」で、怒りの感情を出すのが「怒る」です。

「やってはいけないこと」に対して「叱られる」という学びの一部だったはずが、子供の頃から「怒られる」という経験と記憶を積み重ねて育ってしまうと、いつしか無意識に思考や行動が、「怒られることを避けるため」を目的とするようになる場合もあります。

さらに、そうして育った人が何かのきっかけで「怒る側」に立ってしまうと、今までの「怒られる」経験と記憶が、他人に対して爆発するような状態も引き起こします。パワハラが起こる現場には、怒る大人、怒られる大人、両方の潜在的なメンタリティも関係しているのです。
何が(誰が)正しくて、何が(誰が)間違っているのか。その追求だけに支配されてしまうあまり、人が成長していく大事なチャンスを潰してしまうこともあるのです。惜しまれて亡くなった野球界のレジェンド、衣笠祥雄さんが残された有名な言葉があります。「野次と罵声では、人は育たない」。

◆ハラスメントは対応がすべて!

パワハラ防止法が施行されましたが、ハラスメント問題は、いかに早く、いかに的確に対応するかで、当事者同士はもちろん、会社も救われ、再発防止にもつながります。しかし、対応の仕方によっては、膨大な時間や資金に負担がかかり、関わる社員は疲弊し、さらには会社の信用そのものを失墜させてしまうことになります。

とはいえ! 現在の日本の会社ではほとんどの場合、職場でハラスメント問題が発生すると人事担当者がその対応に「当たらされる」のです。対応に「当たる」のではなく「当たらされる」。

人事担当者がカウンセリングのトレーニングを受けたり、スキルを持っていることは稀であり、話を聞いただけで特には何もしない、できない、ということもあるでしょう。場合によっては、対応に「当たらされる」ことになった人が責任と恐怖に押しつぶされることすらあります。問題が起きたときに、突然「対応のプロ」になることなど不可能なのですから。

ハラスメントケースの結果を大きく変える対応には、敏速に適格に「カウンセリング」を行うというプロセスが有効です。
一般的な相談とカウンセリングは大きく異なります。カウンセリングではニュートラルな立場での聞き取り、事実確認、状況把握を行うだけでなく、問題の起因と対応策を、相談者、当事者、関係者、そして職場の事情に合わせて話し合っていきます。
目の前のハラスメント問題の解決に並行して、企業文化の中に将来のハラスメントの種や、ハラスメントが起こる環境を残さないことも重要な対策なのです。
アメリカでは社内に社員が駆け込めるカウンセリングルームや、外部カウンセラーとつなげるシステムを設けている企業は多く、成功企業ほど社員向けのカウンセリングにきちんと予算をつけています。

そもそもカウンセリングに行くことを、隠すことや恥ずかしいことではないという考えがあり、それどころか「優秀なカウンセラー」を抱えていることは成功のステータスともされています。カウンセリングに対する偏見や概念を変えていくことも、今後の日本のハラスメント対策には必要とされていくでしょう。

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