大手製薬会社で順風満帆だった私が、別世界のDeNAヘルスケアに飛び込んだ理由

(この記事は DeNAヘルスケア事業本部サイトからの転載です)

がんの新しい薬のタネを見つける研究者として、14年弱、大手製薬会社で勤務してきた西沢隆。

今年、そんな彼が移ってきたのがDeNAヘルスケア事業本部でした。

「実はもうひとつ内定が出ていたのですが..….」と笑いながら、西沢は言葉をつなげます。

「より入社後がイメージできなかったのが、DeNAだった。イメージできなければ作ればいいと思って、選んだんですよ」

その真意とは? DeNAヘルスケアにジョインしてきた仲間に、キャリアチェンジのきっかけとワケを聞きました。

世界初のAI検診の仕組みづくりを。

――いま現在、DeNAヘルスケアでの西沢さんのお仕事は?

西沢隆(以下、西沢) 研究企画開発グループリーダーです。具体的にはmiRNA(マイクロRNA)を用いたがん早期診断システムの開発プロジェクトに従事しています。

――miRNAを、腫瘍マーカーのような診断用バイオマーカーとして使う?

西沢 その通りです。従来の腫瘍マーカーはがんに特有の物質に注目し、数値に異常があるかを検診するスタイル。しかし、1つの物質でがんかどうかを高い精度で見極めるには限界もあった。

一方でmiRNAは人では2,000種類以上が報告されており、その発現パターンが身体の状態によって変わることがわかってきています。

この パターンを検診で見分けられたら、一回の検診で網羅的に病気のリスクがわかり、早期発見、早期治療につながるのですが、パターンを網羅的に解析し「これは胃がんのリスクが高い」「こっちは膵臓がんのパターン」などと人間の目で仕分けするのは不可能......。

そこでこの判別部分をAIに頼っています。ディープラーニングを使い、膨大なmiRNAの発現データとがんの情報を紐付けることで、AIによって高精度に特定のがんのパターンを見出すシステムを現在、開発しています。

――実現したら、大きなインパクトをあたえそうですね。

西沢 日本国内はもちろん、世界でもまだ実用化されていないシステムですからね。我々メンバーも、とってもやりがいをもって、日々業務にあたっています。

――チームメンバーには、どんな人がいるのでしょうか?

西沢 年齢は20代から50代まで。経歴もDeNA生え抜きもいれば、アカデミア出身者もいるし、僕のような製薬会社や医療機器メーカー、検査会社出身者もいます。政府系の仕事をしていた人もいますね。個性あふれるプロフェッショナルな方々の中で刺激を受けます。

一方、背景が異なるので使う言葉の意味合いがずれたり、タスクの割り当て漏れが出たりする。グループリーダーとしては、言葉のずれを埋めたり落ちてるタスクを拾う、そんなマネジメントをしています(笑)。

研究成果を、世の中のために――。いつしか目的が「出世」に。

――前職は大手製薬会社の研究職だったんですよね。新卒でそこに入られたきっかけはなんですか?

西沢 そもそもは子供の頃に観た『ジュラシックパーク』の影響で、バイオテクノロジーに興味を持ちました。そこで京都大学の農学部に入ってバイオを専攻。食品成分で炎症を抑え、がんを予防する研究している研究室に入ったんです。

研究は楽しく、博士課程に進もうか悩んだのですが、「研究成果を世の中にリアルに役立てたい!」という思いから、研究成果がそのまま実用化される可能性が高い、製薬会社の研究職の道を選んだ、というわけです。

――では、入社した製薬会社では、その強いモチベーションのまま創薬の研究をされていたのでしょうか?

西沢 はい。「いい薬を創るぞ!」というピュアな気持ちで仕事をはじめました。ただ、ピュアな気持ちだけでは薬って作れないんですよね(笑)。上司の意向、隣の部署との調整、何を言うかだけでなく誰が言うかも当然大事で。やりたいことをやるなら下っ端では無理だ、出世して偉くならないと、という思いが強くなってきました。

ただ、手段の目的化というか、いつの間にか「いい薬を作る」という目的のための手段のはずだった出世が、出世そのものが目的になってきていたように思います。「世の中にどうの…...」という前に「上司は何を望んでいるか」「隣の部署から何を言われるのか」。突っ込まれない資料を作ろうとか、落とし所はどこにしようか、とかばかり考えるようになっていましたね。

――では当時は「部長、役員、さらには社長までいけるかな」といった感じでしょうか?

西沢 社長とまではいかないですが、役員まではわりと本気で思っていたかもしれませんね(笑)。ところが、31歳で「ちょっと子会社に行ってくれ」と。青天の霹靂で、自分の思い描くルートとはズレてしまったんですよね。

スピンアウトしたから感じた、上意下達では味わえない充足感。

――ただ出向先は外部のアカデミアと連携をはかる、尖った開発子会社だと伺いました。

西沢 ええ。理化学研究所や東京大学先端科学技術研究センター、国立がん研究センターなどと連携してオープンイノベーションで次世代の新薬を創造しようという意欲的な会社でした。

でも、数百名の研究組織から、たった20人ほどの子会社への出向。こんな規模で薬なんて作れるかと落ち込みました。しかも出向先の上司に「僕は何をすれば?」と聞くと「西沢くんがやりたいことをやってみて!」でしたから。

――すばらしい提案な気もしますが。

西沢 今ならそう思うでしょうね。けれど当時は「え? やることも決まってないのになぜ呼んだの!?」と腹が立って(笑)。実際に先輩にもグチったりしてましたね。でも、当時の先輩が面倒見がよくて、親身に話を聞いてくれたし、仕事ではしっかりダメ出しもしてくれました。

その過程で、「こんな環境で薬なんて作れないっていうのは本当かな......?」と思うようになってきて。

――どういうことでしょう?

西沢 会社の規模は小さかったのですが、それを活かして共同研究先の建物の中にラボを置いていた。

ようは、ものすごいレベルの研究者と一つ屋根の下、質の高い研究設備と臨床検体も揃っていたわけです。

「本気で取り組めば、マジで新しい薬のタネが見つけられるかも!」と感じ始めました。

――実際、何を手がけられたのですか?

西沢 スキルス胃がんの原因遺伝子を見つける研究です。

当時、ゲノム解析用の次世代シーケンサーという機械は非常に高価で、日本でも数えるくらいしかなかったのですが、東大先端研にはそれが3台もあった。製薬会社の研究所では入手に苦労する「臨床検体」も、東大病院があるので手に入りやすかったんです。

「これってすごいことだ。中央研究所ではできなかったことができるかもしれない!」と。

――なるほど。一転して、しぼんでいたモチベーションは再度あがったんですね!

西沢 そのとおりです。むしろ当初抱いたような「世の中にために創造を」という思いを取り戻しました。というのも子会社は小規模だったので、人を動かすためのポジションパワーというのはあまり必要じゃない。結果として出世することが目的にならなくなった。

自分がやりたいと言って提案しているので、うまくいかなくても誰かのせいにできない。自分で乗り越えないといけない。苦しくはありましたが、ギリギリで踏ん張って乗り越えられた時には、これまでにはない達成感がありましたね。

▲(左)2018年の日本癌学会学術総会に参加。(右)前職メンバーとの会食。

――そして「新規標的分子」であるRHOAの変異型を発見したんですよね。

西沢 そうです。東大の先生方や学生さんはもちろん、別の大学の先生方、中央研究所の同僚たち、本社の知財担当者など多くの方々に協力いただきながら、数年の粘り腰でなんとかなしとげられました。

ただこの過程で、バックグランドが異なる人たちを「巻き込む」力が自分には足りないことを、日々痛感するようになっていきました。目指すべきゴールは一緒のはずなのに、具体的なアクションが合わない。総論OK、各論NGみたいな。

中央研究所にいたころ、それは感じなかった。日本の製薬会社は、生え抜きの社員が多く、他の業界に比べて転職も少ない。バックグラウンドやリテラシーがそろった「同じ価値観で同じ言葉を使う人たち」がとても多いんですね。

――チームビルディングやプロジェクト運営がやりやすいですね。

西沢 そうです。それはそれでスピード感が高くていいと思います。一方で、これまでに無いものを作ろうとした場合、自分たちだけでできることは限られている。なので製薬会社が社外と手を組む必要が出てくるのですが、立場も文化も異なる方々とどうやって共創していけばいいのかがわからなかった。

悩んで先輩に相談したところ「お前の悩みは研究ではなくビジネスの悩みだ。ビジネスを学べ」と。そこでビジネススクールに通うようになったんですよ。

いまDeNAにたどり着いた遠因でもあります。

バラバラのチームこそ最強である。「家具屋の再生」で偶然、気づいた。

――ビジネススクールで学んだことで、視野が広がった、という感じでしょうか?

西沢 理由の1つはそうです。ビジネススクールには不動産の営業職から、コンサルタント、医師、商社の方など、全く畑の違う人が集う。それこそ価値観の違う人たち。事業を自ら立ち上げて、修羅場をくぐってきたような人もゴロゴロいたわけです。

そんな中で、自然と「自分の市場価値って本当のところどうなんだ?」と興味がわきました。

――自分ももっとやれる。もっと稼げるのでは、という?

西沢 いや。「今の製薬会社でちょっともらいすぎてるんじゃないか」でした(笑)。会社や業界のワクを超えた中のいちビジネスパーソンとして適正な評価額を測ってみたくなったんです。

そしてもう1つ。「価値観が異なる仲間たちと仕事をしたほうが大きな成果が出せる」という確信を持ったからなんです。

――その確信は、何から得たのでしょう?

西沢 ビジネススクール時代に出場した、ビジネススクール生の甲子園みたいなイベントです。各校の有志がチームを組んで、同じ課題に対して解決策を競うというもの。

たとえば「つぶれそうな家具屋がある。これをどう再生し、成長企業に変貌させるか」といった課題が出ます。

結論からいうと私は2年出場したのですが、1年目は予選落ちの惨敗。2年目は優勝することができました。

――え? その差は一体どこに?

西沢 1年目はスクールの仲良し同士でチームを組んだのですが、2年目はそうではなく「なんか気になるな」という人に声をかけ、参加したんです。

仲良し同士でチームを組んだときは、コミュニケーションはスムーズだったけど、どうしても価値観が似てくる。仲がいいからこそ変な遠慮も出てしまい、課題に対するアクションもどこか甘くなったんですね。

――2年目はそれがなかったのでしょうか?

西沢 そうですね。互いを知らないからこそ、相手の意見を尊重しつつも任せすぎない。気になることは納得いくまでいちいち話し合う。言葉や価値観のズレも出てくるからそれはそれはめんどくさいんだけど(笑)。でも、そういう議論を乗り越えた先に、自分では考えもしなかったアイデアが出てくる瞬間があった。なんとも言えなくゾクゾクしました。

結果、スペシャリティ、個性、ポテンシャルが存分に発揮されて、チームとしても足し算ではなく掛け算の成果を出せたんだと思います。

ひるがえって、背景がバラバラでも、各々の専門性を個性も含めてぶつけあえるチームのほうがパワフルかつ面白いアウトプットが出せる。それならば、価値観も似ていて居心地がいいところからあえて飛びだしてみて、研究という枠を超え、今いる場所では実現できないことにチャレンジしてみたい。そう思ったのがもう1つの理由です。

▲(左)ビジネススクールで開催されたケースコンペティションで優勝したチーム。(右)ビジネススクールの卒業式にて、クラスのメンバーとの集合写真。

▲ビジネススクールの卒業式にて、卒業生代表として挨拶。

――なるほど。そしてDeNAに至ったわけですね。

西沢 実は、すぐにDeNAに辿り着いたわけではなかったんですよ。大手製薬会社以外で、価値観の違う人が集まる環境があり、がんなどのシリアスな課題にポジティブに対処していく企業がないか、と探しました。

でも、そんな会社はなかなか見つからない。転職エージェントの方からも、「一旦コンサルでいいですか?」とか言われて、いやいや、聞いてた? みたいな(笑)。

そんな中、DeNAってそういえば遺伝子検査とかやっていたなと思い、大学の友達がDeNAで働いていたなと。で、お話聞かせてくださいというところから、入社につながりました。

実はもうひとつ、創薬ベンチャーからも内定を得たのですが、最終的にはDeNAを選ばせてもらいました。

――DeNAを選んだ決め手はなんでしょうか?

西沢 DeNAの方が「転職後の自分の姿が想像できなかった」からです。

創薬ベンチャーの方は製薬出身の人間も多く、彼らが使う言葉に違和感はなかった。求められる仕事に対しても、それならばこういう形で働けば良さそうだし、こういう形でバリューが出せそうだなとリアルにイメージすることができました。

一方、DeNAは面接してくださった方々とは間違いなくバックグラウンドが異なり、文化も違うのを感じたんですが、なんていうんだろう。「魂のベクトルは合ってる」って感じられたんですよね。それが決め手です。

具体的にいろいろ聞き込んでいくと、「そのあたりはまだ詰めきれてないんですけど、西沢さんと一緒につくっていきたいですね」みたいな、そういう正直な姿勢にも惹かれました。

「何をするかはわからないけれど、むしろ自分から発していけばいいか」と思い、入社後を想像できない感じにもにワクワクしました。

――想像できる面白さではなく、予想できない面白さを選んだんですね。とはいえ、ご家族や友人などに心配されたりしませんでしたか?

西沢 妻とは日頃からキャリア観の話をしていたので、「やりたいことならいいんじゃない?」という反応。男前だなあと(笑)。 上司や同僚は驚いていましたし、止められもしましたね。「こんないい会社を去るなんてなんで?」とか「もう少しいたらやれることも広がるよ」とか「野球のだよね? そこに行って何をやるの?」とか。

でも、自分が考えていること、これから何をやりたいのかを丁寧に話していくことで、最終的には納得してくれたし、むしろ応援してくれましたね。本当にありがたかったです。

――そして入社したのが今年1月。いかがでした、実際に中に入ってみて。

西沢 価値観とかバックグラウンドが本当にバラバラで個性的。想像以上でしたね。それは単に専門性というだけでなく、モチベーションのスイッチ、みたいなところでも感じる。

たとえばこのままじゃちょっと目標達成難しいぞ、という状況になったときは、ネガティブな言動が出るのが普通だし、そこから逃げたくなるもの。でもDeNAでは「よっしゃ、燃えてきたあ!」という人がけっこういて、じゃあこれからどうしていこうか? という議論にすぐに入っていける。他責にすることなく、自分ごとで考えている。衝撃だったけど、同時に気持ちよかった。

「自分の決断は間違っていなかった」「このチームなら本気でチャレンジできる」と確信しています。このチームにある「ゆらぎ」を大事にしていきたいですね。

――チームにジョインしてもらうなら、どういう人材がフィットすると思われますか?

西沢 DeNAはIT企業らしからぬシリアスな領域にチャレンジしていますので、ドメイン知識というか、そういう領域で成果を出してきた人はありがたいですね。でも、改良型の課題解決人材ではなく、課題発見型の人材がフィットするかもしれません。

業界の常識の中で改良していくのではなく、そもそもその常識から疑い、根っこの問題に手を突っ込んで行きたい人。そういうのはリスクも高いし、踏んだら一発アウトな部分もありますが、それを理解した上で、一歩目を踏み出すことにワクワクしちゃう人。

ヘルスケア事業部はまだまだ発展段階で組織の機能も揃っていないので、そういう足りない部分に目が向いちゃう人は来ても疲れちゃうかもしれません。

ただ、やりたいことの実現のために、足りない部分は自ら泥くさく手を動かして事を起こしていける方なら存分に楽しんでもらえると思うし、僕も一緒に仕事がしたいです。

その人ならではの個性を思い切り発揮してほしいですね。ぜひ!

西沢 隆(にしざわ たかし)|DeNAヘルスケア事業本部研究企画・開発グループリーダー

1980年、栃木県佐野市生まれ。1999年京都大学農学部入学。同大学院卒業後、2005年新卒で大手製薬会社に入社。がん領域での新規標的分子探索の研究開発に従事する。2011年オープンイノベーションを目的とした子会社へ出向。東京大学先端科学技術研究センター、および国立がん研究センターとの共同研究プロジェクトに従事。2019年1月DeNAヘルスケア事業部へ転職。7歳の双子の父。NMB48のファン。


執筆:箱田 高樹 編集:八島 朱里 撮影:小堀 将生

※本記事掲載の情報は、2019年7月3日時点のものです。

\DeNA ヘルスケア事業本部では、一緒に働く仲間を募集しています/

病気になる前にケアする社会を創る!ヘルスケア事業を進化させるエンジニア募集

ヘルスケア事業の今後を作る戦略人事を募集!事業リーダーたちと共に組織をデザイン

4 Likes
4 Likes

Weekly ranking

Show other rankings