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「できるわけない」と言われるほど、挑戦したくなる。ecommitが目指す循環型社会とは。

使われなくなったモノが、別の場所で人の役に立ち、
役目を終えたら、作り手のもとに資源の形になって戻り、
また、新しく生まれ変わる、循環型社会。
そんな社会を目指して、私はecommitを立ち上げました。
設立から15年がたち、環境に負担をかける廃棄を少し減らせるようになっても
頼りになる仲間ができても、理想の世界の実現にはまだ遠い。
なのになぜ、やるのか。
学校よりもスケートボードの中高生活を送り、
肉体労働のアルバイト先に高卒で就職した私が、
なぜ22歳で自分の会社を立ち上げ、循環型社会を目指すようになったのか。
それをお話ししたいと思います。


スケートボードは不良の遊びなんかじゃない

遡ること24年、学校生活が肌に合わず、かといって部活や趣味に夢中になれず、ふらふ
らしていた私が、一瞬で魅了されたもの、それがスケートボードでした。
町中を颯爽と走るそれを見てすぐ、母親に頼み込んでボードを手に入れ、友達にも声をか
け、近所のショップに通い始めました。
生まれて初めて、面白いと思えるものに出会った私は、寝る間も惜しんで練習に打ち込み、
とにかくスケートボードを続けたい一心で、高校に進学しました。
高校生になると、その熱はますます上がり、企業からスポンサー契約をいただいたことで、
プロへの憧れも持つようになりました。普及活動も積極的に引き受け、地域に練習場を作
ろうと、嘆願書を集めて市役所に直訴したり、30万人規模の市民祭りでPRプロジェクト
のリーダーを務めたりもしました。当時は不良の遊びと思われ、一部の大人からは眉を顰
められるスケートボードですが、やってみればこんなにも素晴らしいスポーツはなく、そ
の良さを、価値を、魅力をみんなに伝えたくて、夢中だったことを覚えています。


目標が失われたとき

突発性の難病を発症し、右耳の聴力と、三半規管を失ったのはそんな頃でした。原因不明、
根治できる治療法もなく、失われた聴覚は戻らない、さらにいつ出るかわからないめまい
の発作。プロスケートボーダーへのはしごを上っていたつもりが、何もない真っ暗闇に落
とされたように感じました。

周囲には何も言わずに、スケートボードのコミュニティを後にしました。けれどもスケー
トボード一色だった自分に行く当てなどありません。途方に暮れていた私に「やること」
を与えてくれたのが、仕事でした。市民祭りで私たちの活動を支援してくれた会社で始め
たアルバイトは、工事現場で使う中古の機械を東南アジアの国に輸出する仕事でした。私
の仕事は海上コンテナ積みで、ハードな肉体労働には慣れていたはずが、なかなかきつく、
一緒に働き始めた多くは、1か月持たずに辞めていきました。けれども、何も考えたくも
なかった私にはちょうどよく、無我夢中で働くうちに、周りの暗闇は消えました。


汚れて錆びついた機械はどこに運ばれているのか

高校3年生になり、進路を決める頃、仕事でベトナムに連れて行ってもらえることになり
ました。コンテナの積み込みをしながら、「こんなガラクタ、だれが買うんだよ」と思っ
ていたので、輸出先でいったい誰が何に使っているのか興味もありました。案内された取
引先の店のショーウィンドウを覗いて驚きました。きれいにリペアされ、ピカピカに磨き
上げられた、うちの機械が並んでいました。そこに、札束を入れた袋を大事そうに抱えた
お父さんを先頭に、家族連れのお客さんがやってきました。お父さんは店の主人と話すと、
「うちの」農作業車に近寄り、車を優しく撫でました。それから誇らしげな顔で家族を呼
ぶと、奥さんや子供たちは嬉しそうな笑顔で車に乗り込み、帰っていきました。その姿を
見送りながら、店の主人は言いました。

「ここに住む人にとって、日本の製品は憧れです。さっきの車は彼らの年収3年分にもな
るんですが、みんな一生懸命貯金して、うちに買いに来ます。よそには、もっと安い新品
もあるんですよ。でも日本の製品が欲しいというんです。丈夫で壊れない、性能一番」

したいことがないなら、できることをやってみよう

日本で不要となり、ゴミと変わらない扱いを受けていた古びた機械、扱っている自分すら、
「不用品」と見ていた機械が、海を渡った世界でこんなにも人を笑顔にしていた。
初めて見た「仕事の先」に猛烈に胸を打たれました。

建設現場に転がる不用品を回収して海外に輸出する仕事は、世間からは「産廃業者」とさ
げすまれる仕事かもしれません。同情を寄せられることすらありました。きつい肉体労働
もあります。けれども、捨てれば環境を脅かす廃棄物が、自分たちの手で「価値あるも
の」に変わり、運んだ先で人々を笑顔にできる。こんなにもいい仕事なのに、その価値が
伝わらない。
仕事への思いと認められない悔しさがまじりあう中で、スケートボードの夢に敗れた自分
が、なぜこのきつい仕事に夢中になれたのか、気がつきました。
不良がやるものと決めつけられ、練習場整備のための嘆願書を集めても、鼻であしらわれ
た悔しさ。これほど素晴らしいスポーツなのに、なぜ認めてもらえないのか。だからプロ
になって、その価値を広めようと思ったのだと。
この仕事で生きていこう。そして、この仕事の価値を広めよう。
私はその会社に就職しました。


起業家の責任とは

社員になり、建設会社に訪問してリース期限間近の建設機械を下取りする営業もやるよう
になりました。飛び込み営業なので、邪魔にされたり、怒鳴られることもありましたが、
少しずつ慣れて、30~40人のチームを束ねるようになり、それから、ビジネスのノウ
ハウを地方に教えて回ったり、社員研修を指揮する立場になりました。
そして、入社から4年が過ぎた頃、独立しました。
育ててくれた会社への御恩もあり、取引先も全部おいてきたため、売上を稼ぐきつさもあ
りましたが、それ以上に苦しかったのが、社員の生活を背負う責任でした。とにかく安定
した収益が欲しい、そんな重圧の中、鉄くずを高額で買い取ってくれるという海外の業者
が現れました。渡りに船とばかりに契約はしたのですが、なぜそんな値段で買い取れるの
か、よく考えると納得がいきません。そこで現地まで行ってみました。するとそこには、
目を覆うような光景が広がっていました。
刺激臭と粉塵で目を開けるのもつらい中、女性や子供が素手で、「リサイクル」処理を行
っていたのです。

日本では「リサイクルは環境のためになる」「資源ごみは回収されます」と言われていま
したが、これが、リサイクルの実態でした。回収部品をよその国に運び、その国の人たち
が環境を破壊し、健康を破壊しながら資源を取り出している。
それは、私が胸を打たれた仕事とはかけ離れたものでした。けれどもこれをやらないと、
会社の経営が危ない。私の信条を優先しては、経営者のエゴになるんじゃないか。
悩んだ末の結論は、解約でした。大きな収入源だったため、動揺した幹部や社員から、不
安の声も上がりました。けれども、私が見てきた光景と思いを話すうちに、賛同する空気

に変わってきました。そして、「このまま続けて、どんな先があるのか。こんなやり方が
続くわけない。自分の家族や子供が、そこで働いていることを想像してみてほしい」とい
う言葉で、全員が解約に賛成してくれました。
なんのためにこの会社を作ったのか、そこに立ち戻れば、答えは出ていたのです。

間違いがあれば正せばいい。私たちは、正しいやり方でやっていく

中国で見た光景は悲惨でしたが、ある場所から出た不用品をべつの場所で活用し、資源を
サイクルさせる考え方は間違っていませんでした。やり方が正しくなかったのです。だっ
たら、正しいやり方でやればいい。
環境と名の付くものを片っ端から読み漁り、環境省、環境研究所、大学の研究室にも足を
運んでみると、そこからまた新しい道が開けます。
不良の遊びと後ろ指をさされたスケートボードは、やってみると素晴らしいスポーツでし
た。
きつい、汚い、危険な3Kワーク、でもその先には、地球の未来があります。
世の中のイメージは、実際にはやったことがない人、見たことのない人が作っています。
どうか惑わされず、自分の目で見て、自分の価値観で判断してほしい。
私たちは、会社の、仕事のすべて見せたいし、目指す未来の形を、ともに語り合いたいと
思っています。
スケートボードはこの夏、金メダルを獲り、国民的スポーツになりました。
次は、私たちの番です。

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