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ブックマークしてくださった◯◯さんへ

先日から募集記事をブックマークしてくださった方のプロフィールを拝見できるようになったのですが、そこには心おどるキーワードが散らばっていて、本当にワクワクしながら楽しく読ませていただいています。世の中にはこんな人がいるんだ、こんな人と一緒に仕事ができたら夢みたいだ、ネットの力はすごい!、wantedlyすごい!と。

ダメ元でスカウトメッセージを送らせていただいた方ですが、こういう方なら、まさにパートナーとして阿吽の呼吸でやっていけるんだろうなと、そう感じた方がいらっしゃいました。

幼少期をアメリカで過ごし、自然と自由が大好きだった天真爛漫な子供時代。澄んだ青空、明るい空気感を体感すると心が喜ぶ感性。体育会系でリーダーを務める中で育まれた組織への関心。バックパッカー旅行や移民史研究や国連でのインターンシップなどを経て、この先やってみたいことが「不条理なことで格差が生まれる世界を変えたい。」格差をなくしたいのではなく、格差を生む「不条理なこと」を変えたいのだと。そしてその手段として注目しているのが政治や行政ではなく、ソーシャルビジネスで、しかもすでに出来上がっている組織ではなく、新しく組織を作りながら新規事業を立ち上げていきたいという。

我が子ほどに年齢が離れているとはいえとても立派な方なので自分を引き合いに出すのは気が引けますけれど、分身かと思うほどに、それくらいびっくりしました。

私は、森まで徒歩10分の家で育ち、父が修繕した古いヨットで無人島に行って潜ったりキャンプしたりする子供時代、ウィンドサーフィンとスキーに明け暮れた高校大学時代を過ごしました。高校3年の時、弁理士になろうと大学進学を決めて名古屋大学に進んだものの、1年の時に弁理士試験勉強を3日で挫折して以来、大学にいる意味を見失い、3年の秋に辞めて働きながら海外を1年間放浪しました。放浪生活の最後をニューヨークで送り、そこで出会ったのがDATE PAINTINGというコンセプチャルアートの作品でした。真っ白なロフト空間に黒いキャンバスに日付だけが描かれた作品がずらっと並んでいる。ただそれだけの展示でしたが、そこで私は初めて社会と自分との関係を意識したのです。人類の歴史に私自身も責任がある。私自身が世界を形作っている一人なのだ。今世界中で起きている様々な事柄に対して、私は傍観者でいいのだろうかと。

この体験がきっかけとなって、海外のアート作品を日本に紹介する仕事を帰国直後から始め、ヴィレッジヴァンガードなどとの取引を通じて、それなりに仕事にはなっていたのですが、自分が伝えたかったものを商品として売るというよりは、徐々に売れるものを仕入れて売るようになりました。これは自分がやろうとしていたことではない、この仕事は一生続けられない、そう感じて28歳の時に廃業しました。この過程は、それまで社会に関心をさほど持っていなかった若者が勢いで始めた浅はかなものだったと思います。

そして廃業後の仕事として選んだのは弁理士でした。やりたかったことを見失ったから廃業したのに、またも本当にやりたかったことではなく、家族を養っていく責任感と、18歳で諦めたことに再チャレンジしてみよう(自分と向き合ってみよう)という選択でした。特許事務所に通いながら猛勉強をして2度目の受験で晴れて弁理士になり、猛烈に仕事に邁進し、所長の右腕として事務所も成長させました。しかし目先の利益にこだわる所長と、仕事の品質にこだわる私とで折り合いがつかず、自分の事務所を立ち上げたのが35歳の時です。

前の事務所ではいい仕事をしたいというスタッフが短期利益にしか目がいかない所長から評価されなかったので、自分の事務所では、いい仕事をしたいというスタッフが生き生きと働ける仕組みを作りました。業界的にはかなりエキセントリックなメッセージをHPから発信していたり、ある大手クライアントからの事務所評価で業界1位になったりもして、それなりに注目もされ、事務所経営も安定していました。

しかし、当社事業が軌道に乗って、その事務所はパートナーに譲ることになります。

これはブックマークをしてくれたある方への独り言で、まだ言わんとすることを書けていませんが、ちょっと長くなりすぎたので、この続きは次にします。よかったら待っていてください。

一般社団法人ユメ・フルサトでは一緒に働く仲間を募集しています
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