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全てを失い、そこからはじまった。マンションの一室からスタートした創業ストーリー

2005年6月、小さなマンションの一室からはじまったフェンリルは現在、3つの支社と3つの子会社を設立し、グループ企業合わせて社員300名を越すまでになりました。そんなフェンリルが歩んできた歴史を、事務所の移転・支社設立に沿って振り返っていきます。


「ソースコードの入ったPCが盗難?!」

社長である柏木が大学生時代につくったソフトウェア「Sleipnir(スレイプニール)」。
会社員としてプログラマーをしながらSleipnirの開発を続けていた柏木に転機が訪れたのは2004年11月16日。自宅に空き巣が入り、Sleipnirのソースコードが入ったPCが盗難されたのです。この出来事は柏木本人はもとより、Sleipnirファンにも大打撃を与え、様々なメディアがそのニュースを報じました。

「Sleipnir」「PictBear」の作者のパソコンが盗難に遭い開発中止に!?

金品も奪われ、全てを失った柏木はソフトウェア開発自体をあきらめることも考えましたが、存続を望む多くのユーザーの声を受けて一念発起。Sleipnirを守るため、開発をつづけるため、会社をつくることを決意します。


2005年6 月 フェンリル株式会社 設立
志を共にする牧野(現CEO)らと会社を設立。大阪・藤井寺にあるマンションの一室、みかん箱をデスクに、今では懐かしい厚みのPCでSleipnirの開発をスタート。同年10月にSleipnir2.00 正式版を発表した。
(この頃、近くの焼き鳥屋で夢を語り合い、女将さんに「将来ビッグになる!」と宣言していたが、いつも無視されていた。)

設立から間もなく、北区のマンション「スミーナ」にオフィスを移転。マンションの一室ではあったが、都心部に移転したことは大きな第一歩だった。        

2005年 東京支社設立
当時東京で広報・営業活動していた牧野の拠点として、会社設立とほぼ同時に東京支社を設立。現在は五反田の「A-PLACE五反田」に移転。


2006年9月 大阪本社を「桜橋八千代ビル」に移転
北区の商業ビル「桜橋八千代ビル」に大阪本社を移転。従業員が増え、やっとオフィスらしい事務所を構えることができる。(採用面接は近くのカフェで行われていた)


2007年4月 フェンリルのシンボルマークを公開
右上を向いて遠吠えしているオオカミ。シンプルな美しさにこだわっていることを表現するため、色や形を極限までシンプルにつくられている。Sleipnir の日本市場(企業・個人)における累計ダウンロード数が1,000万件を突破した。


2008年10月 大阪本社を「ブリーゼタワー」に移転
北区の商業ビル「ブリーゼタワー」に本社を移転。iPhone向けネイティブアプリケーション開発にいち早く参入。共同開発部門を立ち上げ、従業員数が100名を越える。


2013年4月 島根支社設立
Ruby(プログラミング言語)ゆかりの地であり、IT産業の振興に力を入れている島根県に支社を設立。2014年9月「タイムプラザビル」に移転。


2013年11月 大阪本社をグランフロント大阪に移転
共同開発事業の拡大に伴い、オープン直後の「グランフロント大阪」オフィスタワーに本社を移転。入居当時は広く感じられたオフィスもすぐに満員となり、その後複数回の増床を繰り返している。


2014年4月 中国・成都に子会社設立 
開発業務の連携や海外進出の足がかりとして、中国に子会社を設立。

2014年8月 名古屋支社設立
国内4つめの拠点として名古屋支社を設立。技術の向上に注力し、モバイルアプリ開発の勉強会「Mobile Act」を立ち上げる。

2015年1月 中国・大連に子会社を設立

2017年2月 株式会社 Brushup を設立
コミュニケーションツール「Brushup」を子会社化。Brushupは2017年グッドデザイン賞を受賞。

全てはユーザーのハピネスのために。

フェンリルの歴史をご紹介しましたが、いかがだったでしょうか?
空き巣事件は柏木をどん底に突き落としましたが、もしこの事件がなければ、フェンリルは誕生していなかったかもしれません。待ってくれているユーザーのために会社を設立した柏木の想いは会社の理念となり、今も変わっていません。フェンリルはこれからも、デザインと技術で世界中のユーザーにハピネスを届けるために挑戦しつづけます。

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