【今更聞けない】ホラクラシー経営って何?取り入れるならどうすれば良いの?
近年は人事領域において、さまざまなキーワードが飛び交っています。 その中の一つとして挙げられるのが「 ホラクラシー経営 」です。新しいマネジメントの手法として、アメリカで話題となりました。しかし、「聞いたことはあるけど、実はよく意味が分かっていない」という方は少なくないのではないでしょうか? ...
https://hcm-jinjer.com/media/contents/contents-8326/
※個人の考え方なので悪しからず
こんにちは、FWHの大野です。
タイトルにもありますが、今回は皆さんもどこかで一度は耳にしたことがあるであろう「性善説と性悪説」に関するお話です。※本気の哲学を考えるわけではないので、そもそもの定義とか細かい話はすっ飛ばしていきます
いきなりですが質問です。
「あなたは性善説派ですか?性悪説派ですか?」
周囲に質問するとだいたい半々で返ってきます。まぁ、分かれますよね。
ちなみに私は、「性悪説」です。だって、見知らぬその辺の人を良い人だって信じること出来ないんですもん。つい先日のハロウィンでも、見かける大抵の方々は信用出来る自信を持ちえませんでした。
ただし、一つだけ「性善説」で考えているものがあります。それが仕事です。
なぜ、「仕事において性善説」で考えるのかと言えば答えは単純です。
それに尽きます。個人的には、「仕事は楽しいものでなければいけない」とさえ考えており、そのためには性善説であることが大前提としてあると考えてます。
※そもそも「楽しい」とは何かと気になる方もいると思いますが、これは個人の主観なので割愛します。※感覚としては、「朝起きて仕事したい!」と思えるかどうかみたいな感じです。
もし性悪説で考えれば、「楽しくなく、必要のない仕事が増える」ので、僕の主義に反します。なので「性善説的に仕事で関わる人を全員信用しますし、たとえ何があろうとも性善説を貫く」と決めています。
先に「性善説で仕事した方が楽しい」と述べましたが、このように考えるのは2つ理由があります。
理由①:価値を生み出さないマネジメントという行為を行わなくていいから
理由②:メンバーを信頼して仕事を任せられるので、会社として色々な挑戦が出来る
性善説で仕事を行う場合、基本的にはマネジメントというものが不要になります。(実際には経営の面から期待値のすり合わせとか、細々したマネジメントにも分類できるものをやりますが)
これを実際に体現している会社がザッポス社で、このような経営手法をホラクラシー経営と言います。
※私が書いたホラクラシー経営に関する記事
この記事にも書いたのですが、基本的に「マネジメントはそれ自体で価値を生み出すものではない」です。よっぽど他のことに時間を割いた方が生産的だと個人的には考えてます。※うちの社長は性善説か性悪説か真意は定かではありませんが、少なくとも「マネジメントしたくない。笑」と言っているので、ある程度そこは合っているのかなって思います。
また「マネジメントが要らなくなる=権限移譲が適切に行えている状態」になることが多いので、メンバーがそれぞれ自発的にチャレンジし始めます。※お分かりのように理由①が実現することで理由②の実現につながっていきます。必然的に重要なのは「マネジメントをどれだけ重要視するのか=性善説or性悪説のどちらで考えるのか」ということになります
ここまでマネジメントということを毛嫌いする考えを述べてきましたが、個人的な考えとして「マネジメントにかけるリソースほど無駄なものはない」と考えています。※だって、マネジメントしなくて良いのがお互いに一番楽だと思うんすよね。笑
ただ世の中にはマネジメントをしたい/されたいという人もいますし、それ自体は何ら問題でないと思います。単なる考え方や思想の違いなだけです。
ただ、だからこそ、採用において重要なのは「能力ではなく、自社の考え方に合うか」になると思います。能力や経験はどうにでもなるのですが、この考え方はあまり妥協出来る部分ではないし、これをミスると「性善説を保てない」可能性が高くなります。
なので、採用面においては「お互いの(思想や考え方の)マッチング」を重視しています。
私自身入社して2か月が経ちましたが、この会社に入って良かったと一番思うのが「性善説で仕事が楽しめている」ということです。※社長に放置プレーされているという見方も出来ますがw
勝手に採用広報やったり出来るあたりに「性善説的な文化」を感じています。
※余談ですが、この記事からも何となく文化が垣間見えると思いますw
好き嫌いはあると思いますが、「性善説的な考えで働きたかった私」にとっては良い環境だなと思う今日この頃です。