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大手企業にいきたかった私が学生起業した話

どうも、株式会社クラフィルジャパンの代表取締役の宮下です。 (2020年に株式会社クラフィルジャパンから株式会社OTONARIに社名変更)

弊社は現在美容商社とIT事業をしていますが、実は私自身は全くの別畑出身です。

大学3年生の時にスタートしたクラフィルジャパンですが、当初はもともとやっていたネット関連の事業をしていました。

ネット関連といっても、やっていることは「訪問販売」。

ワンルームマンションにいき、フレッツ光を売って売って売りまくる、ひたすら汗を流す営業の仕事です。

この仕事は私が大学2年生で初めて会社経験をした際の仕事で、また私の起業家人生のルーツでもあります。

当初私は「大手企業に入る!」という選択肢しかなく、そのために大学に入り、就活中にアピールできることを探すために訪問販売も始めました。

親からもずっと「大手企業に入れ」と言われ続けていたので、私自身大手企業にはいるという選択肢しかなく、その当時は「起業」ましては学生起業なんて一切も考えてもいません。

そんな私がなぜ起業したのか。

今日は株式会社クラフィルジャパンの創業ストーリーについてお伝えできればと思います。

進路を決めなくてはいけない大学3年生となったころ、私は訪問販売をしていた企業では社員さんを超え月間営業成績一位を何度も獲得し、またその会社を辞めスタートアップでのwebサービスの立ち上げも経験していました。


学生としてはそれなりの経験もし、お金も月に70万円ほどもらい、就活では絶対に負けないという自信もありました。

ただその時、私の頭の中にあったのは「おれの人生ってこんなもので良いのか」という意識でした。

「大企業に勤めて、大きな仕事を任されて、その仕事で成果を出し良い給料をもらう」

はたから見れば、とてもかっこよく見えることでしたが、「そんな人生で本当に俺が死ぬ直前でこれ以上ない人生だったと思えるのか」「死ぬ直前におれ自身がおれのことを認めてあげられるのか」私はそう思うようになっていました。

「おれが人生かけてやりたいことってなんなんだ」

「どういう人生ならこれ以上ない人生って思えるんだ」

ずっと自問自答を繰り替えしていました。

そんな時に思い出したのが、先輩と立ち上げたwebサービスの運営していた時の思い出です。

私はそのwebサービスの立ち上げをしていたときのワクワクをいまでも忘れられません。

「もしかしたら世界中の人が使うサービスになるかもしれない。」

「このサービスがあれば世界中の人を幸せにできるかもしれない」

そんな大きすぎるロマンを数名いた仲間と本気で抱いてワクワクしていました。

もともと30万円は最低でも営業で稼いでいた訪問販売の仕事から、このwebサービスに移る時の給料は「0円」でした。

それでもお金よりロマンを追い求めていました。

結局そのサービスは一円も売上をあげずに終わってしまいましたが、「自分たちで作り上げたサービスでより多くの人に幸せになってもらう」という自分の中での人生をかけてやりたいことを見つけられたサービスでもありました。

おれの人生をかけて「自分たちで作り上げたサービスでより多くの人が夢ややりたいことを叶えられる世界を創る」

2015年3月13日、そんなロマンをいただきながら私は株式会社クラフィルジャパンを創業しました。

まだまだ描いているビジョンの少しも達成できていませんが、その当時のロマンを忘れず、より多くの人がその人の人生が最高だったと思ってもらえるきっかけになれるサービスを作っていきたいと思います。

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