先日、母と車で遠出をしました。長い距離を走ってくれた私の軽自動車に、母が「連れて行ってくれてありがとう。長いこと頑張ってくれてありがとう」と言いながら車のダッシュボードの上を、頭を撫でるように優しく撫でました。
そのシーンが今も私の頭から離れません。私は、生き物以外に声をかけることがほどんどありません。あるとしたら、誤って物に足をぶつけたり、踏んでしまったりしたときに「ごめんなさい!」と謝るくらいです。幼い頃は、部屋のぬいぐるみに名前をつけて可愛がったり、声をかけたりすることもありましたが、今はあまりしなくなりました。
しかし、母の姿を見て、私も見習いたいと思いました。声に出さなくても、心のなかで思いながらそのものを見つめたり、触ったり、目を閉じて手を当てたり。生き物に対してだけでなく、身の回りにあるすべてのものに対して。
私は、果たして生き物ってなんだろう?と考えます。生き物以外は死んでいるのだろうか。命や心が宿っていないのだろうか。私たちは人間が勝手に作った概念でこの世界を捉え、それをもとに様々な思考を持ち、行動しますが、人間以外の視点で考えてみると、それはあまりにも自分勝手だと思いました。
あらゆるものに感謝すること。思いやりを持って接すること。大切に思うこと。
そうすることで、自分の生活がさまざまなものに支えられていることを実感できます。人に対してだけではなく、人以外のものにも優しくなりたいと、母の姿を見て思いました。
以前「奇跡のリンゴ」という実話をもとにした映画を見ました。その映画では、リンゴ農家の主人公が一本一本のリンゴの木に話しかけていたのですが、近所の方にその姿を見られるのが恥ずかしくて、外側のリンゴの木には声をかけないでいました。すると、季節がめぐりリンゴの木が花を咲かせ、実をつけるなか、声をかけなかった外側のリンゴの木だけは実が一つもならなかったのです。
すべてのものに命や心がある。例えば、仕事で疲れて家に帰ってきたとき、家族から「おかえり」、「今日もおつかれさま」と声をかけられる。それだけで、自分の気持ちやその場の雰囲気は変わる。それは、相手が人ではなくても、同じなのかもしれません。
ついつい、他人から見える自分の外側を優先的にお金をかけて着飾ろうとしてしまいますが、内側と向き合い、見つめて試行錯誤を繰り返せば、自ずと外側もいい方向に変わってくるのではないかと思います。したがって、私も壁や疑問とぶつかる度に、自分に問いかけて向き合っていきたいです。