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社員インタビュー「人生の壮大なチュートリアルを経て入社した"葬儀社のデザイナー"としての生き方」

こんにちは。アーバンフューネスコーポレーション採用チームの八幡です。

今回は、人生の壮大なチュートリアルを経て入社した、アーバンフューネスのデザイナー「岡崎 裕介」さんに、その経歴やアーバンフューネスのオリジナル商品「メモリアルスクリーン」について話を聞いてみました!

2013年入社

岡崎 裕介(Yusuke Okazaki)

葬祭事業部 経営企画室

デザイナー

——2013年入社の岡﨑さん。多摩美術大学を卒業後に入社しましたが、その前には別の大学や声優学校にも通われていたそうですね。その“異色の経歴”について教えてください。

高校卒業後、広島の大学に通っていましたが、卒業するのに単位が足りなくなり、中退しました。中退後は、地元でフリーターをしながら2年間プラプラしていました。実家暮らしでバイトしているとお金も貯まるので、「東京に行ってみたい」と思い立ち、2003年に上京しました。最初は声優をやりたくて、専門学校の声優科養成コースに入りましたが、そこに1年通ってみて無理だと悟り、辞めてしまいました。ホント、クズです(笑)。

それからは朝から晩まで飲食でバイトをしながら暮らしていました。24歳から29歳頃まで。3年程飲食のバイトをすると調理師免許が取れるので、地元に帰って飲食でもやろうと考えていたんですが、30歳手前になって「本当にこれで俺の人生はいいんだろうか?」と遅まきながら考えちゃったんですよ。

自分の好きなこと、やりたいことは何だろうと考えた時、「車が好きだったな」「絵を描くのも好きだな」と。そういうカーデザインをやる一番の近道を調べると、美大だったので、勝負は一度と決めて美大専門の予備校に通い始めました。9時から5時まで仕事して、夕方6時からデッサンするという生活を送り、何とか多摩美に合格できました。

美大は年齢がいった学生も多い環境ですが、僕の入ったプロダクトデザインは若い人ばかり。その中に、助教授と同い年くらいの男が一人混じっているわけです(笑)。けれどクラスメートもフレンドリーに接してくれました。


——アーバンフューネスを知ったきっかけを教えて下さい。

第一希望は自動車会社でした。某自動車会社のデザイン部門では最終試験まで辿り着けたんです。全国で2人残っていて最終試験の結果、「岡﨑さん通りました」と言われて。でも、会社の経営的な事情から、デザインの採用をするかどうか判断しています、云々という話でした。多摩美には内定枠があり、実はある大手企業の内定をいただいていました。実家の家族にしてみたら、確実に行ける大手企業。でも、僕はカーデザインをやるために美大まで行ったのにそれを蹴るのは…と。それで、内定枠の会社に辞退の旨を伝え、自動車会社の結果を待っていたんですけど、結局ダメでした(笑)。

どこにも決まらないまま8月になって、地元福山の作業服メーカーに内定が決まりました。そしてその年の12月に親父が亡くなり、初めてお葬式を経験したんです。お葬式をすると大勢弔問に集まり、「息子さん、どちらに就職が決まったんですか?」って話になるんですよね。そこで作業服メーカーの名前を出して色々話を聞いているうちに気持ちが揺れ始め、一方でお葬式に興味が湧いてきたんです。「お葬式って全然デザインされてないよな…」と。そして葬儀業界を調べる中で、アーバンフューネスは社長が若くて、新しい葬儀について考えている会社で、面白そうだなと思ってコンタクトを取りました。一次面接は加藤さんがしてくれ、年明けの社長面接で内定を頂きました。だから当初は、プランナーの採用枠で入社したんです。僕も最初からデザインをさせてもらえるとは思っていなかったので、「何でもします」という感じで入社しました。入社後は現場に同行したり、お客様対応なども行っていましたが、全く使えないんですよ、僕(笑)。なので、上司も見かねていました。そんな時に社長からプレゼン資料のデザインを頼まれ、それがきっかけで、デザイナーの方向に仕事がシフトしていきました。


入社した年に資料作成を手掛けたプレゼンテーションを壇上で操作する岡崎さん


——そしてアーバンフューネスのヒット商品「メモリアルスクリーン」を開発されたのですね。このメモリアルスクリーンについて詳しく教えてください。

メモリアルスクリーンは、ご家族からお預かりしたお写真―例えば、故郷の写真やご家族の集合写真、お気に入りの場所に旅行したときのスナップ…などを、高さ2,600cm×幅900cmの布(バナークロス)に分割して印刷し、ボードに貼り付けて組立てることで、幅2m~6mくらいのメモリアルスクリーンとして祭壇の後方に展開するものです。棺の左右に1枚ずつ配置するなど、ご予算や式場の大きさに合わせて使い方は自由自在です。複数の写真をコラージュしてデザインすることもできます。







——最初にメモリアルスクリーンを使った葬儀は覚えていますか。

2014年頃、あるご葬儀の施行で、桜を背景に大きく使ったものをバナークロスでできないかという相談を受けました。その時はバックボード5枚くらいの大きさで、出力したバナークロスを全部貼り合わせてバックボードに貼付けて、メモリアルスクリーンをつくりました。横幅約4.5m、高さ約2.6m。今でこそ分割して運んで、現場で組立てているけれど、当時はそんな知識も経験もありません。だからできるだけ事前に組立てて行こうという話になって、みんなでトラックに積み込んで運びました。

試行錯誤の上無事に設置でき、ご家族も会葬者も「凄い!」と喜んでくれました。メモリアルスクリーンの評判は上々でしたが、手間が掛かり過ぎるので、ここぞ!という時にだけに使う特別な演出という位置づけでした。でも、バナークロスをバックボードに貼り付けて使うことで、インパクトのある施行ができることは、多くのプランナーが認識したと思います。


故人様の偉大な背中を心に刻むメモリアルスクリーンを作ったことも


——メモリアルスクリーン量産化のきっかけはありますか。

量産の芽が出てきたのは2018年の初頭ですね。社内で「葬儀×アート」の方針が打ち出されて、社葬や大型葬にメモリアルスクリーンをどんどん投入していきました。いっぱい作っているうちに色々なノウハウが蓄積されていき、社葬や大型葬だけは内製化する体制を整えました。併せて通常のパネル(注釈:数枚の思い出のお写真をレイアウトしたポスター)も外注に出していましたが、2019年1月に完全内製化が実現しました。映像に加えて、メモリアルスクリーン・パネルと内製化の仕組みが整ったことで、これまで以上にアーバンフューネスの特徴である故人様らしいお葬式を具現化する選択肢が増えています。


——アーバンフューネスの社員として、岡﨑さんの目指すところをお聞かせください。

夢物語かもしれませんが、それぞれの業界にデザインの進んだ会社ってあるじゃないですか。電子機器だったらA社、自動車だったらM社みたいな感じで、「葬儀社ならデザインはアーバンフューネスが進んでるよね」となれればいいなと思っています。終活からお葬式、アフターフォローまで、デザインが悪いと分かりづらいと思うので、それを解決できればと思います。あとは、お葬式の空間自体ですね。今、お葬式に参加したいかと言われたら、別に参加したくないと思うんです。それが、お葬式に参加できるって素晴らしい。人生で一度、二度の貴重な経験だからぜひ行きたい!そんな風にお葬式が変わるといいなと思いますね。そのために何をすればいいか、考えていきたいと思います。

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