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私がリクルートからOLTAに飛び込み、1→10のグロースに挑戦し続ける理由

神原 俊輔(かんばら しゅんすけ) / アライアンスマネジャー

香川県出身。早稲田大学卒業後、新卒でリクルートジョブズに入社し、7年間法人営業を経験。その後5年間にわたって「タウンワーク」本誌の商品企画担当およびグループマネジャーとしてコスト効率化と読者価値維持の両立という役割で中長期の計画立案と実行管理を主導。その後OLTAに入社。OLTA(クラウドファクタリング)の事業開発チームのマネジャーとして地域金融機関とのアライアンスを牽引。

コツコツと勉学に励んだ学生時代

小さい頃は、KUMONのプリントを自発的にコツコツ進めるタイプの子でした(笑)。父親が中小企業の経営者なんですが、無借金経営を行うような堅実なタイプです。家族旅行なんかも事前に綿密に計画してから行くような家庭だったので、家族の影響があるのかなと思います。

高校は、地元の進学校に。パソコン部という名の帰宅部でしたし、バンドもやってましたが軽い感じで、特定の何かに没頭した経験はなかったかもしれません。

その代わりというか、勉強には力を入れていましたね。無計画に最後になって追い込むみたいなことが嫌いで、高校でも入学初日からコツコツと勉強していました。1年の時点で文系で私立大学に行くんだと早々に決めて、理系科目は赤点でも良いと早々に捨てて、ひたすら英語・国語・世界史の3科目だけに集中する。そんな風に計画的にやったからか、高校3年の模試では世界史でよく全国1位をとってました。

勉強はよく頑張っていましたが、友達との人間関係も充実していました。不満もコンプレックスもなく、ただただ楽しんでいた学生生活でしたね。

0→1が苦手だと気づいた大学時代

大学進学を機に上京しました。よくある大学生活で、サークルとバイトを全力で楽しんでいました。大学に入って初めて気づいたことは、自分は「自由に考えることが」苦手だなということです。

大学入学までは一定のレールが敷かれていて、やるべきことが決まっている状態でした。それは私にとって、コツコツとやるべきことを積み重ねていけば自ずと結果が出るというある種とてもわかりやすい世界であり、それが得意だとも感じていました。

しかし大学に入学した途端、その先の選択肢が無限大で進むべき方向に正解はなく、自分の人生に対する欲望がないと進む道を決められない。自由になった中で何をするのかを考えることは強い欲のない自分には苦痛だったんです。

実はそれは今でも変わっていないなと思っていて、事業においても1→10や10→100のフェーズが得意です。一方で、0→1の事業構想は向いていないと感じますね(笑)。一定の制約がある中で、どれだけ最短最速ルートでゴールに向かうかを追求することは楽しいなと感じるんです。


普段から合理的に物事を考えるタイプであることや、テンションが一定だったりするので、人に興味がなさそうだと勘違いされることも多いのですが、全然そんなことないです。むしろ、人間関係は不合理な世界で、それが愛おしいとすら思ってます。原則的に人を信頼してますし、助けになるようなことは利益度外視で手伝っちゃったりもしますよ(笑)

採用面接で見抜かれていた?新卒はリクルートへ

大学卒業後はリクルートに入社しました。就活の時期は、広告代理店やベンチャーIT業界を志望してましたね。当時はヒルズ族が盛り上がっていた時期で、カッコいい、イケてそうってシンプルなミーハー心です。

その中で最終的にリクルートに決めた理由は、面接や面談でお会いした社員全員(本当に一人残らず全員が)が活き活きした顔で熱く仕事のことを語っていたからです。面接過程でこの人達と一緒に働けたら楽しいはずだと確信したので、内定が出て入社を即決しました。人で進路を決めたので、内定が出てから、そういえば人材業界で、そういえば営業をやるのかと気づいたくらいです(笑)

リクルートといえば、新規事業のイメージが大きいかも知れないですが、複数のフェーズの事業を持っているので、自分は0→1の人間ではなく、1→10や10→100側の人材だということを面接時時から見抜かれていたのかな。

リクルートには12年在籍しました。最初の7年間は法人営業を担当した後に、5年間にわたって事業企画や商品企画を担当しました。同期は生涯の友になっていますし、カルチャーや人の面が本当に合っていたなと思います。

同期の中でも遅かった初受注、苦労した新人時代

最初の配属は新宿区エリアでの求人広告営業でした。飲食業や不動産業、印刷業などがクライアントでした。

営業としてのキャリアの最初は本当にきつかったです。お金を頂戴してものを売るということがなんだかすごく怖くて、クロージングができなかったんですよね。しまいには、クライアント側から「(クロージングの話を)言ってくれたら契約するのに」と言われてしまうくらい。情けなくて泣いたこともありました。

そんな調子だから、初受注は同期の中でも遅い方でしたね。知名度も効果もある商品だったので初月には初受注を迎える新人が多い中、2ヶ月くらいかかった記憶があります。

仕事の本質がわかってなかったんでしょうね。自分のサービスがどのように役立ち、結果としてそのクライアントがどう成長していくのか。上辺の商品知識だけを習得して営業しているだけで、提供価値を本気で考えてないから、対価をもらうのが怖い。

初受注後も、量が質に転化するってことがわかってなくて、当時は走りながら考えることもできず、頭でっかちで行動量を稼げるタイプではなくって、本当苦労しましたね(笑)

生涯の友である新卒同期と飲み会での思い出の写真(写真左)

営業戦術立案でパフォーマンスを発揮、全国表彰へ

一方で、戦略や戦術を立てることは得意でした。毎週のように上長と営業会議があったのですが、その時も現状分析や課題特定、実行戦略は指摘ができないくらい作り込んで。「あとはやるだけなんだけどなあ」と当時の上長も困っていた記憶があります(笑)

また、個人ではなく組織的に戦略や戦術を設計して推進していくことにも適性がありました。

リーダーとして営業チームを持ち始めたのは入社5年目のタイミングでした。パフォーマンスを発揮できたのはここからですね。自分が苦労した分、売れない営業の気持ちはよくわかりましたし、個々人の状況・適性に合わせて営業戦術を考えることは得意だったので、チームの業績はぐいぐいと伸ばすことができました。

結局個人では1回も全国表彰をとることはなかったのですが、営業チームとしては全国表彰を獲ったり、営業グループ全体を見はじめてからは、インサイドセールスの立ち上げなど営業体制の再編を行って8四半期連続での目標達成に貢献したり。

なんだかんだ、営業という職種や行為自体はこよなく愛しています。自分がトップ営業になるというタイプではないですが、営業の仕組み化や効率化、営業組織自体の底上げといったことが好きだという感覚はこの当時に芽生えましたね。

商品企画責任者に従事、転職のきっかけに

7年間の現場を経て、本部機能に移りました。営業本部の事業企画担当として、組織全体のKPI設計やモニタリングを約2年。その後、3年は商品企画としてリクルートの中核求人メディアである「タウンワーク」本誌を担当。最後は責任者を務めました

紙からネットへの時代の流れにあって、紙メディアは縮小路線にはあるのですが、まだまだ紙でないと情報を届けきることができないユーザー層もいます。そんな中で全方位から特定層に向けて価値を尖らせることで商品価値を維持向上させながらも、事業としては筋肉質化させていくことが求められました

いわゆるリボン図における求職者と広告掲載主の双方の影響、コスト効率化と価値逓減のバランス、短期売上と長期目線のファイナンス、ひとりひとりの求職者のインサイトと大量のデータマネジメント…大規模なプロダクトのマネジメントは困難なことも多かったですが、大きなやりがいがありました。

一方で、転職を考えはじめたのも商品企画の責任者に就いてからでした。理由の1つ目は、営業職から企画職へ異動した時は使う筋肉も異なりますし学ぶことも多かったのですが、それも次第に成長曲線は下がっていく感覚があったこと。2つ目は、マネジメントレイヤーになるにつれてどうしても社内向けの仕事が増えていくこと。今の組織の中で仕事を進めることは上手くなるけど、自分の市場価値は高まっているのだろうかという疑問が高まっていきました


(最終出社日に商品企画チームのメンバーに囲まれている写真)

事業と人の両方でマッチしたOLTAへ

リクルートに残ることも考えましたが、35歳になって、どうせ変えるなら大きく変えたい。自分が心底良いと思った事業をイチから伸ばしていくことに挑戦してみたい。そんな思いが膨らんでいき、転職を決意しました。

転職の軸は、事業と人の2つでした。まず事業の面では、3つありました。

1つ目は、変化度合いです。
転職するのであれば、ガラッとドメインと事業規模を変えてみて、自分が本当に通用するのかを試したいという思いがありました。その中で門外漢の金融、そして大企業ではなくベンチャーを選びました。

2つ目は、フェーズ面です。
自分が得意な1→10、10→100を担いたいということで、ベンチャーの中でもシードフェーズとグロースフェーズの間を狙いました。OLTAではOLTAクラウドファクタリングとINVOY(クラウド入出金管理サービス)と2つのプロダクトを展開していて、0→1もあれば1→10もあるという状況だったので、ちょうど合っていました。

3つ目に、中小企業に向き合うビジネスであることです。
実家が中小企業なこともあり、中小企業の経営者の孤独で深遠な悩みを身近で感じており、中小企業の悩みを解決するビジネスに生涯携わりたいという想いを持っていました。

リクルートメディアの掲載主も大半は中小零細企業です。経営資源である「ヒト・モノ・カネ・情報」のどれも足りない中で何とか頑張っている。日本を支える中小企業のためになっているという意義を強く感じていました。

リクルート時代はヒトの面からのサポートでしたが、カネがあってこそと思うこともあり、中小企業のファイナンス支援に重きをおいたOLTAはベストフィットでした。

人の面では、入社前に7名ほどのメンバーと会いました。リクルートに入社を決めた時も人の側面は強かったですが、OLTAでもメンバーとの相性は重視していました。どのメンバーと話していても違和感がなく気持ちのいいコミュニケーションが印象的でしたね。他のスタートアップと比べても大企業や金融出身者が多いからか、大人なスタートアップだなと感じています。外に凄く出している訳ではないけど内に秘めた強い思いを持っている人が多い印象です。


OLTAアライアンス戦略の最前線

OLTAは全国の地域金融機関さまとのアライアンスを通してクラウドファクタリングの認知拡大を進めています。私が従事しているのはそういったパートナー企業さまの開拓と提携後の両社の事業グロースを目的としたパートナーサクセスです。

全国の地域金融機関さまとのアライアンスの輪は順調に拡大していますが、提携するだけでは事業は前に進みません。最も重要なのは提携後。各金融機関さまと事業目標やKPIを入念に設定し、パートナーさま毎に合わせたオンボードプログラムを作っています。

契約体系やフィー設定の最適化はもちろんのことですが、パートナーの皆様に気持ちよく動いてもらうために、さまざまな支援を行っています。時にはパートナーさまの目標体系や営業体制まで踏み込んで提案や交渉したり、オフライン/オンライン問わず大きなマーケティング施策を立案・実行支援をしたり支援の幅は広いです。

リクルートも営業は代理店モデルであり、商品企画/推進としてパートナーさまを動かしてきた経験があったので、パートナーさまと協業する肌感覚や動かし方といった知見を活用している部分はありますが、実際は大きく違います。

どんなサービスを誰と一緒に組んで拡販するかによって、パートナーアライアンスはカスタマイズしていかなくてはいけません。リクルートの代理店制度は歴史があり型が出来上がっていましたが、OLTAの地域金融機関アライアンスは独自の再現性のある型をイチからつくりあげる必要があります。その分、思った通りにいかないことは多いですが刺激的ですし、全国の金融機関さま数千人の営業組織と相対するのはとてもダイナミックです。

まずは金融機関様×OLTAのパートナーサクセスの型を作り切って、それを拡大再生産していきたいと思っています。また新たな資金調達の選択肢としてクラウドファクタリングを社会実装するためには金融機関さまだけでなく事業会社や税理士などの士業の方などとのアライアンスを拡大する必要もあるでしょう。現在OLTAの第二の柱としてグロース中であるINVOY(クラウド入出金管理サービス)においても金融機関さまとの連携は考えられます。

縦横に広がりのあるアライアンス戦略を進めていくことは、OLTAはもちろんですが個人の成長としても有意義で広がりがあると思っています。


一緒に働きたい人に求める特徴とは

非常に難易度が高い仕事だと思いますし、粘り強くPDCAを回し続ける胆力が必要です。一緒に働きたい人としては、当事者意識が高く熱量を持ってコトに向き合うことのできる人、思考体力があって考え続け、粘り強く動き続けられる人とぜひ一緒に働きたいなと思ってます。

特に、前者に関して、「ラストマンシタンディングシップ」とも言われますが、会社の顔としてパートナー企業さまとのフロントに立ち信頼関係を構築し育てていく必要があります。自分が最後の1人であるという強烈な責任感と当事者意識を持って自分で動かしていく気持ちを持てる方であれば、きっと大きなやりがいを感じることができると思います。

OLTA株式会社では一緒に働く仲間を募集しています
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