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5/25 昭和35年 5月24日 チリ地震沖津波

我々が仕事をしている三陸海岸は、津波との戦いの歴史でもあります。

昭和35年の 5月24日の早朝に発生した「チリ地震沖津波」も、被害規模全体では、東日本大震災の津波ほどではありませんでしたが、実際に被害を受けた住宅や水産関係の事業所にとっては甚大かつ、深刻なものがありました。

私の両親が営んでいた水産加工業も、この津波により工場設備の全てと数ヶ月分の加工原料魚の全てを流されたそうです。母曰く、「昭和30年の秋に、宮城からやってきて、4,5年かけてようやく魚の仕事が出来るようになったと思ったら、あの津波で全てを流された・・・。もう終わったな・・・そう思った」と話していました。

当時4歳だった私は、暗い中をリヤカーという台車に乗せられて移動したことしか覚えていません。  それでも、周りの人達の応援を頂きながら、少しずつ少しずつ仕事を積み重ねていったそうです。そのような歴史は、私どもだけでなく、沿岸で仕事をしていた多くの事業所の方々に共通するものです。

因果な商売だと、正直思うことがないではありません。 でも、一方で三陸の海は、素晴らしい海産物による恵みを、我々に、そして日本全体にももたらしてくれています。定期的に避難訓練を行い万が一に備えながら、今後も三陸の海といいつきあいをしていこうと思います。

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