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なぜ、いま地方産業やレガシー産業のアップデートが必要なのか

※執筆者:下岡純一郎

福岡・北九州のスタートアップQUANDO(クアンド)代表の下岡です。「地域産業・レガシー産業のアップデート」は私たちが最も大切にしている会社のDNA。本記事では、我々がなぜこのようなビジョンを掲げ、どんな世界を実現したいのか、お伝えしたいと思います。

【読んで頂きたい方】
・地方産業やレガシー産業をITの力で変えていくことに興味のある方
・自分の経験や知識を活かしてスタートアップに参画してみたい方
・九州・福岡のスタートアップに興味のある方(リモートでもOK)
・その他、自分のキャリアについてモヤモヤしている方

目次

  1. 地域産業が街の文化や子どもの価値観を決める
  2. 産業課題が次の新しい産業をつくる
  3. シリコンバレーで会った目の輝く大人たち
  4. グローバル企業で働いて感じた日本の可能性
  5. どういう世界が理想なのか?人生のミッションを考える
  6. モノづくりの現場の課題にチャレンジする
  7. QUANDOという社名に込められた想い

地域産業が街の文化や子どもの価値観を決める

北九州と言えば、派手な成人式や危険な街のイメージが強いが、世界的な製造メーカーである安川電機やTOTOの本社もある。実はこれらの文化や産業は全て「鐵(鉄)」の産業を起点に生まれたものなのだ。

私は北九州の八幡という街で生まれ育った。教科書で「官営八幡製鉄所」の名前は聞いたことがあるかもしれない。明治維新後、日本を近代化させるためには自前の鉄がまず必要だった。政府は1901年(明治34)に官営八幡製鐵所が稼働を開始し、日本の鉄鋼産業の歴史が始まった。

産業の発展は街に「活気」をつくった。八幡には新日鐵社員専用の高級住宅地、迎賓館、倶楽部などがあり、夜の街は賑やかだった。24時間動き続ける製鉄所で働く労働者のため、24時間居酒屋やスーパーが日本で初めて誕生したのも北九州だ。街の道路を封鎖して3日間開催される大きな祭りも新日鉄の祭りが街に飛び出したものだ。日本銀行、テレビ局、新聞社すべての九州支社は北九州にあり、福岡市よりも人口が多かった。


眠らない街には既得権益ができる。その既得権益をコントロールするために力が必要となり、日本最大級の暴力団が勢力を持っていた時代もあった。必然的にその子どもたちは悪くなりやすい。北九州の派手な成人式はその影響も無関係ではないだろう。そういう環境で育ったので、私は悪いやつらと絶妙な距離を保つスキルを身に着けている。長い目で見れば、産業が街の文化や性格を作ったとも言える。

産業課題が次の新しい産業をつくる

世界的なロボットメーカーである安川電機は、もともと炭坑用電機品のモーターをつくる会社だった。人が掘るよりも圧倒的に生産性を高めるため、モーターとその制御技術が磨かれた。そのモーターと制御技術の上に、アプリケーションとしてのロボットアームが乗り、いまの安川電機のロボット事業に発展した。

鉄という大きな産業の課題が、次世代の新しい産業を生んだ。このような地域産業の循環が生まれ、新しい雇用を作り、街に新しい文化が生まれていく。このような経済の循環モデルを目指しているのが「地域産業・レガシー産業のアップデート」というDNAに込められた思いである。

しかし、いきなりここに行きついたわけでない。どのようにして「地域産業・レガシー産業のアップデート」に行きついたのか。ここからは個人的な話に移る。

産業は街に「活気」もつくるが「衰退」もつくった。昭和後期から平成にかけて、鉄の産業は徐々に落ち目に入り、北九州は産業も街も衰退していく。商店街はシャッター街になり、人口は減って学校の統廃合が進み、街には若者がいなくなった。街にはどんよりと重い雰囲気があり、昔は栄えていた古い街の気配が残っている。衰退していく都市を早く出て、もっと広い世界、勢いのある世界を見たかった。

シリコンバレーで会った目の輝く大人たち

時は経ち、私は九州大学に入学。一緒に就職活動をしていた友達から誘われ、海外研修プログラムでシリコンバレーに行く機会を得る。東京の大企業にも内定しており、卒業旅行だと思って気軽に参加したプログラムだったが、そこで人生を変える衝撃的な出会いが沢山あった。

Googleで働く日本人弁護士、大学発ベンチャーでチャレンジする日本人の教授、同じ歳で起業にチャレンジしているアメリカ人の大学生など。会うひと全員が刺激的で、自分の価値観や夢に従って人生を生きていた。

理系の研究室に所属した私は「将来は大企業に就職して安定的な仕事に就くことが人生の成功」だと思っており、仕事を選ぶ基準も会社の知名度や規模など「誰かが決めた指標」に従って自分の人生を決めていた。だが、シリコンバレーでの出会いを通して「人生にルールなんてない」「自分の人生は自分でコントロールするんだ」と強く感じ、「いつか自分も人生をかけられるテーマを見つけて起業しよう」と心に決めた。

グローバル企業で働いて感じた日本の可能性

大学卒業後まずは社会に出て実力をつけようと世界的な消費財メーカーであるP&Gに入社。P&Gはグローバルなビジネスリーダーを多く輩出しており、起業する際には必ず役に立つ能力が得られるだろうと考えていた。

P&Gでは製造や物流を担当するサプライチェーンの部署で、工場の生産管理や海外で新製造ラインの立ち上げなどを経験。特に学びがあったのが、入社2年目から参加したグローバルプロジェクトだった。

世界標準の製造ラインを新規開発するため、30名ほどのメンバーが世界中からイタリアに集まり、1年ほどかけて製造ラインを開発・テストし、初号機を日本に導入するというプロジェクトを経験した。

それぞれの国民性の強みを活かしたグローバルチームで構成され、プログラマーはアメリカ人とインド人、メカエンジニアはドイツ人、プロジェクトマネージャーは中国人、現場の職人はイタリア人とまさにグローバルを体現したプロジェクトだった。

日本の強みにも気づいた。勤勉さ、細やかさ、協調性など製造現場では日本人の強みが活きる。細かい不具合に気づく力や臨機応変に協力してゴールに向かえる力は確実に日本のモノづくりの現場の強みだ。

製品の機能や品質はいずれ中国やインドに追いつかれるだろうが、日本人の気質は時代が変わっても変わらない日本人の強みなんだと気づいた。これがのちのち自社サービスのヒントとなる。

どういう世界が理想なのか?人生のミッションを考える

P&Gは200年近く成長し続けている会社で、世界中の優秀な人材が「Touching Lives, Improving Life」というMissionをベースに切磋琢磨しなが日々事業に向き合っている。

一方で米国上場企業であり、社内にいるとその大きなピラミッド組織にいるんだなと感じざるを得なかった。全社の数値目標を最上位とし、リージョン、ブランド、部門、工場、部門、チーム、個人まで綺麗にピラミッド型に落とし込まれた指標を追いかけるために完成された組織。CEOは株価の成長が止まると交代させられる。

自分の仕事も、あるブランドの、ある製造ラインの、あるエリアの稼働率を1%上げることで、それがどのように社会や顧客にインパクトを生んでいるのか?本当に自分がやるべき必要のある仕事なのか?日々の仕事と社会的な価値の結びつきが見えておらず、本気で仕事に取り組めていない自分がいた。(いまはその1%の重要性や社会的意義が分かるが、当時は局所的な部分しか見ることができなかった)

そんな不安を抱えながら、将来の道を考えていた時、イタリア人の同僚がホームパーティーに誘ってくれた。そのパーティーでは私以外は全員が地元の友達(イタリア人)。仕事の話だけではなく、家族、人生、その土地の歴史など色々と話す中で感じたのは、彼らが自分の土地や文化や産業を愛し、短期的な数値成長だけではなく、本質的な価値を大切にしていたこと。

イタリアの特徴であるアンティークは、新しいものを買えない状況で、いかに古いもの上品に見せるか工夫されたもの。イタリア料理はシンプルで安い素材をいかに美味しくするか工夫されたもの。P&Gの開発パートナー工場がイタリアにあったのも、「モノづくりのクラフトマンシップ」を大切にするイタリアの都市が大切に育ててきた産業や文化の結果だった。


自分が本当にやりたいことは何か?会社のブランドや給与ではなく、何に人生をかけられるのか?自分の人生を改めて考えたとき、「ピラミッド型で画一的なものを作り上げる世界ではなく、その土地独自の産業や文化を愛し、世界の各都市が自分達らしくあれる分散型の世界が美しい。そういう世界の実現にむけてなら人生をかけられるかもしれない」とボンヤリ考えたことが、クアンドのDNAである「地域産業・レガシー産業のアップデート」に繋がっている。

モノづくりの現場の課題にチャレンジする

起業を本格的に考え始めたとき、具体的な事業アイデアはなかったが、唯一決めていたことは金融やゲームなどのデジタル完結型の領域ではなくて、製造業や建設業や電力インフラなどリアルでアナログな業界に対してアクションを起こすこと。

それは、そのような業界こそが地方の経済や雇用を作っており、世の中の労働者のマジョリティであるにもかかわらず、多くの課題が放置されたままであると感じたからだ。


そういう想いではじめた創業初期は北九州の老舗企業が助けてくれた。実績も信頼もない中、釣具小売り企業のOMOアプリ、バルブ製造メーカーのクラウドメンテナンスシステム、鋼材企業の制御システムなど「現場」に密着したDXの開発案件を頂く事ができた。実績もない我々に大きな仕事も任せてくれて、多少の失敗も受け入れて頂いたことは感謝しかない。

このような経験を通して、モノづくりの現場には多くの可能性と課題が眠っており、やり方を変えればとても大きな価値が生めると確信を持つことができた。そのような経験から生まれたのがSynQRemote(シンクリモート)というソフトウェアサービスだ。P&Gでの現場経験からも、この領域は日本が世界で戦える強みを持っており、グローバル展開できるポテンシャルがあると思っている。(ここは話が長くなるので、詳細はこちらのブログを参考に)


現場の仕事は「個人」から「チーム」の時代へ。現場の未来を変えるリモート・コラボレーションとは?|SynQ@クアンド|note
リリースしてから1年がたったSynQ Remote(シンクリモート)。どうやって生まれ、これから何を目指すのか、代表の下岡に改めてインタビューしてみました。初めてSynQ Remoteを知る方や、導入を検討されている方にもぜひ、我々が実現したい世界や考え方を知っていただきたいと思い、このnoteを執筆しています。 ひと言で表すと「 ...
https://note.com/synq/n/nf9721709487b


安川電機は鉄産業の課題にアプローチした結果、ロボット産業を生み出し、地方発のグローバル企業にまでなった。QUANDOも現在のモノづくりの現場の課題である「現場の人手不足・技術者不足」にアプローチすることでグローバルな企業を生み出したい。そして、それが街に新しい雇用や文化をつくることに繋がると思っている。

産業の課題から次世代の新しい産業を生み出し、その地域らしい産業、雇用、文化ができるというモデルの事例をここでつくりたいと思っている。

QUANDOという社名に込められた想い

QUANDOという社名の由来は「物事の始まりや取るべき行動を喚起する合図」というラテン語のquando(≒時)が語源にある。デジタルテクノロジーによって様々な業界が大きく変化する時代に、地域産業・レガシー産業が次世代に向けて変わる「きっかけ」や「気づき」を提供したい。そんな想いが込められている。

私は、地域産業がその都市やそこで育つ人間の人格形成に与える影響は大きいと思っている。それぞれの地域、企業が、みずからの特徴や強みに立脚し、独自の価値を生み出せる世界を構築する事こそが世界の幸せに繋がると信じている。我々QUANDOはそんな世界の実現を目指すプロフェッショナル集団です。

現在、QUANDOを一緒に成長させてくれる仲間を募集しています。お気軽にご連絡ください!!!

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