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工場勤務、議員秘書、不動産営業を経験した若手が次に選んだ挑戦の場所

広報・PR担当の䋆井(かせい)です。今回は2023年9月にRight Brothersにジョインした木下さんにお話を伺っていきます。

木下さん

愛知県出身。中・高サッカーに打ち込み、高校卒業後スバルに入社。3年半勤め、その後名古屋市議会議員の秘書として半年間従事。宅建を取得後に上京し、投資用不動産の会社を2社経験し、2023年9月にRight Brothersにジョイン。

ー どんな学生時代を過ごしていたのでしょうか?

小学生の時はわんぱく過ぎて、人生で一番やんちゃな時期でしたね。中学校に上がってからサッカー部に所属すると、比較的早く技術を習得することができ、もっとうまくなりたいという意欲が高まりました。それからは、サッカーのことを第一に考え、付き合う友人も選ぶようになりました。

ー 木下さんは落ち着いたイメージがあるので、昔はやんちゃだったというのは想像できないですね! その後もサッカーは続けたのでしょうか?

そのつもりで高校を選ぼうと思っていたのですが、三者面談の際に、学力面で「いける高校がない」と先生から言われたことが強烈に記憶に残っています。そこから勉強に力を入れるようになりました。学年順位はもともと320名中310位だったのですが、中学3年のときには順位を70位まで上げることができました。

ーすごい追い込みですね!

行ける高校がないと言われたことが母に申し訳なさすぎて、とにかく頑張りました。結果は、学力的にはもっと上の学校に行くことができましたが、それよりもサッカーを優先させて高校を選びました。

ところが、いざサッカー部に入ると、想像していたよりも練習が厳しく、ずっと辞めたいという気持ちでいっぱいでした。ただ、それも環境的に許されない雰囲気だったので、ひたすら耐えて頑張った結果、1年生からレギュラーに選ばれ、3年生の時には愛知県でベスト16という成績を収めることができました


ー 大きな結果を残されたのですね。その後の進路についても教えていただけますか?

やりきったという気持ちから、サッカーを続けていくという選択肢はありませんでした。3年生の途中までは大学への進学を検討していたのですが、特にやりたいことがあるわけではなかったので、就職の道を選びました。

ー 就職先はどのように決めたのでしょうか?

当時は、自分の学力よりも下の学校を選んだこともあり、成績はオール5で評定もトップだったので、学校にある求人の中から自由に選ぶことができる状況でした。最終的にはトヨタ、スバル、新日本製鐵の3社の中から慎重に選び、スバルへの入社を決めました。

ー なぜスバルに?

サッカー部の先輩がスバルにいて、誘いを受けたのが一番大きい理由です。ただ、いざ入社してみると、とても厳しい環境でした。飛行機の燃料タンクの製造を行っていたのですが、業務内容がとにかく繊細で、一つひとつの作業が人の命に関わる点や、数ミリずれるだけで多額の損失を出してしまうというプレッシャーが大きい仕事でした。企業として、人の命を守るという強い使命感も持っていたため、安全面に関しては特に厳しかったんだと思います。結局3年勤めたぐらいのタイミングで、ある想いから転職を考えるようになりました。

ー ある想いとは?

実は、20歳の頃から起業を考え始めていました。それまでの経験から、周りから頼られたり、人をまとめていったりすることが好きだと感じるようになり、周囲のみんなにとっていい環境を自分で作っていきたいという思いが強くなっていきました。スバルに勤めながら、「今自分がやっている業務は起業する際に必要なスキルだろうか」と考えた時に、もっと色んな経験を積んだ方が良いと考え、転職を決めました。

ー 起業ではなく転職を選ばれたのはなぜでしょうか?

まだ起業するには早いと判断したからです。もう少しビジネスの力を付けていきたいと思い、転職を選択しました。スバルを辞めた後は、名古屋市議会議員の秘書の仕事を始めました。

ー 異例の経歴ですね。なぜその仕事を?

それまで工場勤務だったので、まったく対外的なやりとりの経験がありませんでした。この仕事であれば対外的な対応力や、礼儀・マナーなどを学べると思ったんです。知人から紹介いただいた仕事だったのですが、その名古屋市義会議員の方は仕事に熱心だと伺っていたので、自分が成長できると考え判断しました。もともと長く勤めるつもりではなかったので、当初学びたいと思っていたスキルを習得できたタイミングで次の会社に移ることにしました。

ー どのような会社に行かれたのでしょうか。

起業するには営業力が必須だと考え、投資用不動産の会社に就職しました。単価が高いものを売れるようになったら営業力をつけられると思ったからです。入社のタイミングで愛知県から上京したのですが、地元が好き過ぎて、離れるのが寂しかったです(笑)

ー 大きく環境が変わったと思いますが、初めての営業はいかがでしたか?

入ったのはベンチャー企業だったのですが、入社後2ヶ月間は部長を相手に徹底的に営業の練習をしなければならなかっただけではなく、他にもやらなければならない業務が重なり、ほぼ休みなしで働いていました。

その環境の変化に慣れるまで苦労しましたが、言われたことを素直にやってみたところ、入社5ヶ月目にアポ取得率で圧倒的に高い実績を残すことができました。ちょうどその時、別の投資用不動産会社の社長から熱烈なオファーをもらい、何度か面談をした上でそちらの会社に移ることになりました。

ーすごいスピードで色々変化していきますね!

この会社では、今までの経験を活かして成果を出すことができ、アポインターからクローザーに最年少で出世することができました。アポインターの仕事は、お客様に電話で営業を行い商談の機会をいただくことで、クローザーの仕事は商談から契約までを担当します。これが自信になったのは良かったものの、心に余裕が出てきたことで、日々の業務にやや物足りなさを感じ始めました。M&A業界に興味を持つようになったのはこの頃です。


ー なぜM&A業界に?

不動産よりも難易度が高いビジネスに挑戦したいと考えるようになり、さまざまな業界を調べているうちに辿り着いたのがM&A業界でした。この業界についてさらに調べていったところ、M&A業界に関する情報を発信しているRight BrothersのYoutubeを見つけて、高野さんに転職のサポートをお願いしました。しかし、私の学歴では受けられる会社が限られた上、その会社も最終面接で落ちてしまい、M&A業界は非常に狭き門だということを感じました。

その時、高野さんからRight Brothersへの入社を勧めていただいたのですが、正直自分の中ではM&A業界をあきらめきれていませんでした。その気持ちを高野さんに素直に伝え、さらに将来的には起業を考えているという話をした際に「M&A業界に入ったら経営者の素養が身につくかというとそういうわけではない。それであれば、自分がこれからRight Brothersという会社を大きくしていくフェーズを一緒に経験する方が、将来自分が起業したときに役に立つのではないか」と言っていただき、Right Brothersに入社することを決めました。


ー 木下さんは目標が明確で、それに向かって突き進んでいますよね。今後はRight Brothersでどんなことをしたいですか?

まずマネージャーを目指していきたいです。自分が周りを見ながら動いていき、いい環境をつくりたいという思いがあるので、まずはそこからだと思ってます。そのために成果をしっかり上げられるよう日々精進していきます。

ー 本日は貴重なお時間ありがとうございました!

ありがとうございました!

ー この記事を読んでRight Brothersで一緒に働きたいと思ってくださった方は、ぜひご応募お待ちしております!

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