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入社半年ちょっとで退職して経営者になった話。(自分語りですみません!)

お初にお目にかかります!!!


ルートゼロ営業マンの大崎 竜凱(オオサキ リュウキ)、若干25歳です!!
(トップの写真はルートゼロの社員旅行in沖縄での一枚です。←空気を読まずに社長や諸先輩方を差し置いてド真ん中を陣取り、社長や先輩の子供たちに囲まれて嬉しそうにしている男が僕です。。。笑笑)

よく、「ワンオクのTAKA土偶を足して2で割り、そこからTAKAを引いた顔で素敵(はぁと」と言われます。(照)

今回はルートゼロの営業マンであるこの伊達男が!
この会社の魅力を余すことなくお伝えし・・・


と、いきたいところなのですが・・・


実は僕、もう昨年の9月にルートゼロ辞めてるんです。

そしてルートゼロで始まった新たな取り組みである「社内独立制度」。
その被支援者第1号の人間として、

この春、「会 社 経 営 は じ め ま し た。」笑


「なになに?社内独立?」
「会社半年で辞めるとかアホちゃう?笑」
「みんなにめっちゃ迷惑かけてるやん!」

と思ったそこのキミ!


そうなんです、僕、アホなんです!
みんなにもめちゃくちゃ迷惑かけてるんです!


と、いうことで今回は、ルートゼロ社長の柴田さんに会うまでの僕の25年間について薄く、
そしてルートゼロに入社してからこの記事を書いている今までのぶっとんだ1年間を濃く、
お話させて頂けたらと思います。めちゃくちゃ長文ですが、興味と体力があれば最後まで見てください(^^♪


生まれ育ちは大阪の門真市。
小学生の時に両親が離婚し、それからは祖父母の家に預けられて暮らす風邪もひかない元気な子でした。
(この頃の僕は母親がどんな仕事をしているのか知りませんでしたが、当時母親は陰でアパレル関連の会社を起こし、経営者として必死に頑張っていたそうです。)

イチ会社の社長としてそれなりに稼ぐようになった母親は、間もなくして別の経営者と再婚し、
無事僕と弟をひきとりました。
そして今も、両親別々の会社を必死に動かして頑張っています。

そんな両親の背中を見て育った僕は、中学生の頃から
「俺も絶対社長になる。社長になって大成したる。」
と漠然と考えるようになり、人生の目標が「社長」になりました。

ですが高校~大学と「社長になるための行動」は一切できておらず、
趣味に彼女にうつつを抜かしてだらける毎日。
終いには就職活動で「何したらいいか分からんし、とりあえず大手企業の社員になろう」
みたいなことまで考え始め・・・ブレブレの学生時代でした。

結局、「経営者になるための勉強ができるっぽいから」という理由で東京の経営コンサルタントの会社に入社し、2年弱東京で単身頑張っていましたが、曖昧な気持ちでそんな大変な仕事が務まるわけもなく、
2017年の1月末に退職し大阪に帰ってきました。

ここまでが、柴田さんに会うまでのお話。



東京時代に、僕がよく人生相談をしていた会社の先輩がいました。
その方が柴田さんと古くからの知り合いで、紹介して貰ったことが出会いのキッカケ


柴田さんに初めてお会したのはルートゼロの事務所だったのですが、最初訪問した時、
「なんやこの事務所。めっちゃオサレやんけ!どこやここ、ショップか?カフェか?
 しかも事務員の女の人めっちゃべっぴんやんけ・・・なんやこれ、会社か?」
とかとか、一人で色々考えていたことを今でも覚えています。笑


そして、柴田さんとの面談で、僕は上記の様な僕の人生と夢を余すことなく話しました。
遠慮せずに全部話しました。笑
「夢は社長になることです。次の就職が人生最後のサラリーマンだと思っているので、自分が独立したいと思ったタイミングでこの会社は辞めて独立します。でも今すぐは何をやったらいいかわからないので、とりあえず働くところ探してます。」

こんなことを出会ってすぐに言う奴、僕が会社側だったら絶対嫌だと思うんですよね・・・。笑


でも、柴田さんは一切否定しませんでした。
それどころか、「失敗してもいいから挑戦したい」という僕の想いを全て受け入れ、


「ルートゼロでその挑戦の機会を伺えばいい。支援できる場面は支援する。
それまでこの会社で死ぬほど成長すればいい。」


気が付いたら僕は、面談のその場で「採用お願いします。」と頭を下げていました。

柴田さんの本音を言えば、まだ会社を立ち上げて3期目に突入するところで不安定な場面もあり、
この時期に雇い入れる社員は将来的に基盤メンバーとなり得る、会社のために一生懸命努力する人間を考えていたはずなんです。
その思いも面談の場でしっかり話してくれましたし。

それでもこんな僕を拒まず受入れてくれた柴田さんには感謝してもしきれない思いです。


ここから、僕の第二の人生がスタートしました。
営業マンすら経験したことがなかった僕が、あまり得意とは言えないIT業界で成果を上げるのは簡単ではなく、悪戦苦闘の毎日でした。
「目の前の結果を出すことに必死で、自分の成長のことなんか考えてる余裕ないわ・・・。
どうやったら岡本さん(ルートゼロ東京支社長)みたいな結果が出せるんや・・・」
ずっと迷いながら、なんとか食らいついているような状況でした。

この時頑張れていたのは、どんな挑戦も恐れないルートゼロの社風が大きく僕に作用していたからだと、
今となっては思います。

これは営業マンだけではなく、社員の大多数をしめるエンジニアの人たちも同じです。
みんな自分の夢の為に、日々のお仕事を悪戦苦闘しながら、そして楽しく働いています。

こうして約半年間、僕の人生目標とも言うべき柴田社長や、
めちゃくちゃ仕事ができる岡本さん、ルートゼロ社員の仲間みんなと一生懸命働き・・・

.

.

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2018年9月30日、ルートゼロを辞めました。笑


9月の頭ぐらいに急遽柴田さんに面談をお願いし、
「10月から自分でビジネスを始めたいから辞めたいです。」と話をしました。
(本当に狂ってますよね・・・笑)

その時の柴田さんはさすがに驚きを隠せない感じでしたが。笑
それでも入社時に話してくれた通り、こんな不義理な僕に対して
「援助できるところはしてあげたい」とまで言って下さりました。
(柴田さん、ホンマにありがとうございます!!)



ルートゼロを辞めてから、中国商品の輸入販売を軸に友達と2人でガチャガチャ動いてみましたが、
4ヵ月程頑張った結果、「自分たちの生活費を稼ぐのがやっとや・・・」という状況でした。

それもそのはず、独立した理由が、「独立したいから」であって、
決して物販のビジネスをやりたかったからではありませんでした。
こんな中途半端な挑戦心と覚悟でうまくいくわけがありませんよね・・・。

恥ずかしながら、柴田さんにその状況を報告した時、
「自分でやって自分で稼ぐっちゅーことがどんなに大変か、痛感できたか?」
って感じの話をもらって、ぐーの音も出ませんでしたね。笑

でも・・・
柴田さんはそんな僕を見て、「今検討している子会社設立の代表としてやってみやんか?」
という驚きの発言をしてくれました。

ここまで不義理をして、自己中に動いてきた僕に対して、ルートゼログループの拡大に大きく関わる
重要な立ち位置に僕を誘ってくださった柴田さんの覚悟に死ぬほど感謝し、
新会社の代表取締役として人生を捧げる決意をしました!

↓新会社「株式会社ウェルスペック」の会社ロゴ&HPです!!

会社HP:https://wellspec.co.jp/
設立:2019/03/01


さて、「社長になる」という僕の夢は思わぬ形で実現したわけですが・・・
今はもっともっと大きい目標ができました。
ですがこの目標、あえてここでは公表しないでおこうと思います。笑


一度考えてみてください。
今皆さんが今抱いている「夢」が突然叶ったとして、じゃあその先の生きがいは?夢は?
実は本当に自分がしたいことって別にあるんじゃないか・・・
自分が本当に挑戦したいことって別にあるんじゃないか・・・


長くなってしまいましたが、お伝えしたかったこと、それは、

「ルートゼロは社員全員の挑戦を、それがどんなものでも全力で応援してくれる会社だ!」

ということです。

・フリーランスのエンジニアとして将来的に自分だけでやっていけるようになりたい・・・!
・起業して会社を拡大していける資質と人間力をつけたい・・・!
・他人にはあまり相談できないけど・・・実はデカい野望を持っている・・・!

そんなキミ!!!
是非一度ルートゼロの経営陣に相談してみてください。
面接だと気負わず、人生相談しに来ました!みたいな感じでも全然OKです。笑


長々と読んで頂きありがとうございました!!

これからも新会社共々宜しくお願い致します(^_-)-☆



株式会社WellSpec 代表 大崎竜凱

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