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リレーインタビュー8  相手を「こういう人だ」と決めつけない(運営G エリアマネージャー)

ソーエキサイト社員の魅力をお伝えしております、リレー形式インタビュー。

8人目は運営グループの『茂呂 真史(モロ マサシ)』エリアマネージャーです。

AMの中でも特に部下の信頼が厚い茂呂AM。実は芸人を目指して上京し、そこで出会ったのがゲラゲラでした。ですが店長からすんなりAMになったわけではなく・・・

紆余曲折しながらここまでに至った経緯をお届けします!

ゲラゲラでアルバイトをしながら芸人を目指す

ー最初に会社に入るまでの経歴を聞かせて下さい。

岩手の大学を卒業して、お笑い芸人を目指して東京に上京しました。生活のためにアルバイトで入ったのがゲラゲラでした。

ー芸人になりたいっていう気持ちはいつ頃からあったんですか?

もうちっちゃい頃からですね。小学生くらいからずーっと思ってました。

ー学校でも目立ってました?

面白い人っていうイメージを植え付けるために「何をしよう」「どういうことを言おう」っていうのは考えてましたね。でも高校に入ったら周りに埋もれちゃって、あまり目立てなかった。なかなか飛び出す機会がなかったって感じでしたね。

ー高校時代にお笑いのコンビを組んだりは?

組んでないです。芸人の養成所に行ってから相手を見つけて、コンビかトリオを組もうと思ってました。結果的に結成と解散を3回繰り返したので、3つのグループに属しましたね。

ーボケとツッコミはどっちだったんですか?

役割でいうと、最終的にはボケになりました。どちらかというとツッコミよりボケの方が好きですね。

ー養成所に通いながらアルバイトをしていたんですか?

そうです。そこまで本格的な養成所ではなかったので、ガッツリやる感じではなく。ネタを見せるような機会も週1回しかないんですね。あとの6日は暇なので、アルバイトをしてました。

ーアルバイトはゲラゲラだけ受けたんですか?

色々受けたんですが、最終的にゲラゲラに受かって、六本木店で深夜番をやっていました。当時、ネットカフェはテレビでも特集される、話題の業態だったんですよね。なのでどんなところなんだろうって興味がありました。それと深夜のアルバイトを探していたので、ネットカフェを選びました。

ーアルバイトを始めたのは何年くらい前ですか?

12、13年前ですね。僕2005年入社なんです。

ーアルバイトで入って社員になるまでは?

アルバイトの最初の半年間は深夜番でやってました。深夜番は昼夜逆転するんですが、体調的に合わなくて、「もし昼間の番が空いてたら移動したいです」って当時の店長に伝えたら、ちょうど退職者が出るということで早番に回ったんです。

早番になったことで社員の方や店長と会う機会が多くなって、色々と仕事を任されたんですね。それをこなしていったらアルバイトリーダーのような存在になって、他の店舗にヘルプに行ったりもしました。店長は複数店舗を持っていて、各店舗にリーダーがいたんですけど、店長とそのリーダーたちを中心に、合同ミーティングを毎月開催していました。そこで色々な仕事を任されて、「楽しいなぁ」と思って働きながら、お笑いもやりつつ、っていう生活でした。そして5、6年経ってお笑いの道を辞める時に「ここで社員を目指したい」っていう話をしたら、とんとん拍子に進んで、面接を受けて社員になりました。

「人」に魅力を感じて

ー面接はどうでした?

受からなかったらすぐ違うところに行こうと思ってたので、結構強気でやってましたね。「自分はこういう考えで、こういう風に思ってやってます」って。鷲見会長が当時は社長で最終面接者だったんですけど、「落とすんだったら落としてもらって結構」って気持ちで受けました。でもすごく和やかな雰囲気でした(笑)。

ーどうしてこの会社で社員を目指そうと思ったんですか?

やっぱり「人」ですね。当時の店長やお世話になった上司、さらにその上の方とか。西田さん(現運営グループマネジャー)とかもそうですし、他店舗の社員や店長も良くしてくれて。そこが1番の魅力でしたね。人に冷たかったり、優しくない会社だと思っていたら、社員を希望しなかったと思います。

ー茂呂さんは部下の面倒見がいいってよく聞きますが、人に重きを置くからなんですね。

うーん、別に面倒見はよくないと思いますけどね。面倒見てるようで見てないですから(笑)。

ーでも結構店長さんから「茂呂さんみたいになりたいです」って声が挙がってますよ。

そうなんですね。そういう言葉を聞くと嬉しい反面「ああ、まんまと引っかかってるな」と(笑)。自分が当時の上司から良くしてもらったことや経験したことを、彼らにも伝えていきたいし経験して欲しいな、と思いながら接してますね。

ー社員として店長になった後については?

初めに店長として1店舗持って、その3か月後にもう1店舗持ちました。三鷹店が最初だったんですけど、その後に吉祥寺店を持って、何だかんだで気が付いたら三鷹店、吉祥寺店、西荻窪店、宇田川店の4店舗を持ってましたね。普通は1店長が4店舗も持ってると回らないんですね。なので僕が六本木店のリーダーをやったように、各店にアルバイトリーダーを立てて、ミーティングをして管理していました。

ー店長になって楽しかったところはどういうところですか?

今もそうなんですけど、店長をやってるとアルバイトさんが入社してくるじゃないですか。そこで色んな人と出会えて、話すことが楽しかったですね。今もそれが1番楽しいと思います。たとえば、この年になって19歳の女の子と話す機会なんてないじゃないですか! あります?

ーうん、まあ・・・

あるの!? 普通はないんですよね! 普通は(笑)。「今何が流行ってるの」とか「どういう音楽聞いてるの」とか、そういうのを聞くとすごく刺激になったりして。自分が若返るではないですけど、「こういう考えを持ってこの子は働いてるんだ」っていうのも分かるし、色々な人と出会って、様々な価値観に触れられるのはすごく魅力的でしたね。

話すときも冗談を言いながら、たとえば自己紹介で「実は昔、ジャ〇ーズ入ってたんだ」とか嘘をついたりしながら(笑)、相手の話を引き出したりとか、楽しかったですね。



YESマンの弊害

ー店長は何年くらいやっていたんですか?

4年か5年くらいですね。

ーそこからすぐにAMになったんですか?

そこからが色々もう、紆余曲折で。当時はSV(スーパーバイザー)っていう店長の上の位があって、その上にAMがいるという体制でした。最初僕はSVとして6店舗を任されたんですけど、部下が1人しかいなかったんです。2人で6店舗を回すから、僕が3店舗を見て、まだアルバイト店長だった部下が3店舗を見ることになったんです。

僕も自分のやることに精一杯で、部下になかなか時間を割けなかったんです。そしたら1年後くらいに部下が退職してしまって。結局僕のグループは自分だけになったので解散して、SVから店長に戻りました。当時は僕自身、色々と大変だったところがあったんですが、やっぱりそのアルバイト店長の面倒を見てあげられなかったのは、今でも後悔してるところですね。

ーその時、何が自分に足りなかったと思いますか?

自分から「6店舗を見るのは無理です」って上司に言えなかったことですね。言われたことに対して「分かりました。やります」って言ってしまって。どう考えても無理なのに「1人か2人追加して下さい」って進言できなかったことで、部下を守れなかったっていうのはありますね。

ーその後の業務内容はどうなったんですか?

その時期から組織が結構変わって、育成グループっていうのができたんですね。そこのグループ長の下に2人トレーナーがついたんですけど、そのうちの1人に任命されました。

ートレーナーとしては、どういったことを担当しましたか?

プログラムを組んで資料を作って、週1回か週2回くらいで研修をやってました。みんな店舗を持ってるので、実務的な事務処理とかトラブル対応とかアドバイスをしたり。

ー研修の内容も考えたんですか?

そうです。初めにプログラムを作って「こんな感じで教えていきますよ」って言ってから進めていく感じです。ただ3~4か月後くらいに、そのグループが解体されたんです。解体後は、育成グループのグループ長はアルバイト店長全員を束ねることになりました。トレーナーを間に挟まない状態ですね。でも、「その体制だと、経験のないアルバイト店長を教育するには難しいです」って言って、僕がアルバイト店長の中でも入りたての5人を見ることにしたんです。今のCLUTCH柏店店長の岩﨑君とかがいましたね。

それで、新米アルバイト店長が成長したら自分も店長に戻る、って話だったんですが、ちょうど半年経つ頃に佐伯部長(現社長)がいらして、AMを増やすという方針になり、店舗をまとめていたメンバーがそのままAMになりました。当時事業戦略推進室にいた西田さんもそうですね。

ーAMになる時は面談があったんですか?

僕はその時もうマネージャーのようなポジションにいたので、特に面談はなかったですね。顔合わせみたいなのはあったと思いますけど、その時の佐伯部長は「いかついなぁ」って印象でした(笑)。

ーそこは強気で行かなかったんですか?

もうそういう心はとっくになくなってましたね(笑)。

ー当時は色々と大変だったみたいですが、その分成長できた部分もあったのでは?

そうですね。やっぱりうまいんですよ。何回か叱られる面談を重ねて「この面談でも叱られたらもう無理だ」って時の面談やミーティングに限って、すごく優しい言葉をかけてくれたり。うまく乗せられたなって思います。でもだいぶ勉強して成長させてもらいました。

特にお店の利益を作っていくっていう考え方ですね。今もまだまだ足りないところはたくさんあるんですが、やっぱり以前とは雲泥の差があると思います。

相手を決めつけない

ー今AMとして働いていて、やりがいを感じるのはどういう時ですか?

やっぱり1番は、部下にあたる店長たちの成長なのかなって思いますね。ところどころで見せる判断だったり行動とか。でもまだまだこれからだと思います。

ー指導する上で気を付けたり、大事にしていることはありますか?

普段は自分からくだらないことを言ったりしてコミュニケーションを取るようにして、面談をする時にはちゃんと腹を割って話すようにしてますね。自分のことも正直に話しますし、彼らの話も否定することなく聞く、ということに1番気を付けています。役職関係なく人として話すようにしてますね。ちょっと年が下の店長には「経験として自分はこう感じるよ」とか「こういう風にしたらどうかな?」っていう風に、マネージャーっていうよりは1人の人間としてアドバイスするようにしています。

ー慕われてる理由が分かった気がしますね。

面談で泣かすんですよ(笑)。

ーどういうことですか?(笑)

彼らも普段は見せないけど、やっぱり思ってるところがあるんですよね。そういうところを喋ってもらうようにするので、面談中に泣いちゃう子とかいますね。自分も泣きそうになるんですよ。「そっか、つらかったなぁ」って。それがまた楽しいなと思いますけど。

ー面談が得意なんですね。

全然! 得意ではないですね。上司なので彼らを評価する側ではあるんですけども、その人を分かったようなことを言いたくないんですよ。僕もよく「茂呂君ってこういう人だよね」って言われたら「俺の何を知ってんだよ」って反発心があったりしたので。だからそういう風に断定はしたくないなと思うんですよね。なので自分に見せる顔はこういう顔があるよね、っていうような感覚ですかね? 神様ではないですし、偉そうに「君はこうだよね」とか、その人を断定するようなことは絶対言わないようにしています。

ー将来の目標や夢はありますか?

個人としてはですね、普通に家を買って幸せに、何事も平和に。それが1番ですね。そのためだったら別に本社から1時間半離れた遠いところで・・・いや1時間半はやだな。1時間程度離れた土地に家を建てて、っていうので全然構わないですね。

ーお子さんもまだ小さいんですよね? 可愛いでしょうね!

可愛いですねー。早く帰らないと、とか色々思いながら(笑)。

ー実際に早く帰れる環境っていうのはいいですよね。

そうですね。西田さんや上司も「どんどん早く帰って下さい」って言ってくれるので、それはすごく助かりますね。

ーマネージャーが率先して早く帰ると、下の人たちも帰りやすいですよね。

そういうのもこの会社の魅力だと思いますね。休みも取らせてもらえますし。佐伯社長は「プライベートも大事だから、ちゃんと休みを取りなさい」って言ってくれるので。今はみんな有休休暇を使っていて、環境は整ってると思います。

ーこれからどんな人と働きたいですか?

ポジティブな人と働きたいですよね。何事にも言い訳をせずに行動する人。「もうこうだからしょうがないよね」って何もしないんじゃなくて、どんな状況でもできることってあると思うんですよ。それを怠けずやる人と一緒に働きたいです。

誤解を恐れずにいうと、特にゲラゲラは言い訳しやすい環境なんですよね。Hailey5CafeとかCLUTCHのような次世代型ネットカフェに比べて、やっぱり「ゲラゲラは昔ながらのまんが喫茶だからしょうがないよね」って言えちゃう部分はあると思います。でもそれに逃げずに、できることを探して動いてる人はいるんです。なので現状に満足したり、逃げたりすることなく、しっかりチャレンジしていく、そういうポジティブな人と一緒に働きたいと思います。

ー最後にインタビューはリレー形式でやってるんですけど、次に紹介したいメンバーは誰でしょう?

神尾さんですね。新ブランド『CLUTCH』を立ち上げて、まさに企業理念を体現している方だと思います。

ー茂呂さんから見て、神尾さんはどんな人ですか?

寡黙ですが、休みになると周りの運営グループ社員を連れて旅行に行ったりしているアクティブな人です。掘れば掘るほど面白い人ですね。

ーじゃ次は神尾さんに繋げたいと思います。茂呂さん、お忙しい中ありがとうございました!

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