市立船橋のスーパースター、元Jリーガーのカレン・ロバートさんが今挑戦しているサッカービジネスとは

ここのところサッカー関連の記事が続いていますが、W杯イヤーということで。今回は、市立船橋高校時代に選手権優勝を遂げた高校サッカーの花形選手で、元Jリーガーでもあるカレン・ロバートさんに当社CFOの永井がインタビューさせていただきました!

今は、経営者としてご自身のクラブを持ちながらご活躍されていますが、どのような想いで経営をされているのか、これから先どんなことを成し遂げたいのか、赤裸々に語っていただきました!

―:永井発言

なし:カレン・ロバートさん発言

―今日はよろしくお願いします!個人的に本当に楽しみにしていました!僕らの世代で、サッカー観戦が好きな人なら知らない人がいない選手ですよ。

いや~、ありがとうございます(笑)

― 今日は、カレンさんのこれまでのスポーツ人生を振り返って、「どんな想いでプロになって、どんなことをしてきた」とか、「これから成し遂げたいセカンドキャリア」などをお聞かせいただければと思っています。

―お会いするにあたって、カレンさんのことを調べ直しながら記憶を掘り起こしていたんですけど、北京(五輪代表)の時の記事とか出てきたりしますよね。

そのあたりのことは、あんまり思い出したくないですけどね。笑

―(笑)そのあたりのことは後で深堀させていただくとして。あとは、ワールドユースのバーに2本当てた試合とか。

そんなところまで、良く覚えていますね!

―結構サッカー観戦やニュースチェックは好きな方です。ではそろそろ本題に入りますが、そもそもカレンさんがサッカーを始めたきっかけってなんだったんですか?

完全に兄ですね。7個上の兄がいて、ボール蹴っていたのを見て。自然と蹴り始めたって感じです。

―ご兄弟の影響受けるアスリートの方、多いですね!ご出身はどちらになるんですか?

茨城県土浦市です。昔も今もそこまでサッカーは盛んではなくて。父もイギリス人ですし、どちらかというとマンチェスターが好きで。ボビーチャールトンとか、ジョージ・ベストとかあの辺の世代で、ロバートの愛称ってボビーなんですけど。父がボビーチャールトンを好きだったから、ロバートと名付けたくらいなんです。

―わ!いい話(ネタ)聞きました!(笑)

良い話過ぎて、泣かないでくださいね(笑)

―サッカーを始めて、どのあたりから注目され始めたんですか??

間違いなく全日本少年サッカー大会からですね。6年生の時に、千葉県代表で柏レイソルの一員として出て、優勝しました。ハーフなので目立つところがあって、ボランチだったのですが、点も何点か決めることが出来て、新聞とかに載せてもらえたんですよ。その辺からですかね。

―けど、カレンさんはボランチのイメージがあまりないですね!FWのイメージが強いです。

ちなみに、僕は最初ディフェンダーですよ。ストッパーから始まって。ボランチ、右ハーフ、FWって流れでいろいろポジションが変わりました。

―そうだったんですね。高校のころは1年から試合に出ていましたよね。

そうですね、秋からです。

―挫折とかないですか?今聞いていると、高校まではすごくスムーズですよね。サッカーエリートって感じです!

1回だけありましたよ、小学校のときに5年生でバック(DF)やっていて。足先だけでプレーしているようなタイプだったので、よく抜かれていたんですよ。監督にいろいろ言われていたんですけど、たぶん腹落ちしてなかったからか全然直らなくて。一回レギュラーから外されて、4年生の試合に出されました。1個下の試合に出るのはきつかったですね。その時色々言ってくれていたのが村井監督って方だったんですが、今でもすごくターニングポイントの人だと思っています。

―高校の部活で、強豪の部活で上下関係が厳しくて、結構大変だったとか?1年生で試合に出ていたから、やっかみとかそういうのってなかったんですか?

それはなかったです。あまりいい表現ではないんですが、幸か不幸か、2個上が歴代で一番弱かったと言われる世代で。選手も集まっていなくて、それで1、2年生にチャンスをもらえたって言う感じですね。そのまま千葉県の選手権予選に出させてもらいました。

―優勝されたのは?

2年の時ですね。

―国見。平山相太選手が相手ですよね!(1-0)!

ロングシュートすごかったですよね。そうですね、すごかったです。当時にインスタがあればよかったなとか思っています(笑)10万回再生は絶対行きましたよ(笑)

―高校卒業されて、そのままジュビロですもんね?国外っていう選択肢はあったんですか?

当時はあまりなかったですね。日本代表になったら、海外に行けるという感じだったので、「代表になるために国内クラブ」がまず先でした。

―ジュビロではどのくらい試合に出られたんですか?

110試合くらい出ていましたかね。4年くらいやっていたんですが、そのあと膝の持病とかがあって、手術をしたけどあまりいい方向にいかなかったです。プロのスタートにジュビロ磐田選んだ理由の1つは、憧れの選手がたくさんいたということですね。その中に藤田俊哉さんがいるんですが、俊哉さんの代理人が、僕がロアッソ熊本でプレーを始めた時にヨーロッパでやってみないか?と声をかけてくれて。そこから「チャンスあるなら」と前向きになったところに、フェンロ(VVV)の話がきていましたね。

―千葉でやられていたのに、あえてジュビロを選択した理由は?

当時のジュビロは中山さんだけじゃないんですが、2002年に完全優勝したレジェンドたちが残っていて。みんな代表レベルの人たち。練習参加させてもらったときも「すごいレベル高いな」という印象でした。最初はレイソルに行こうと思っていたんですが、3年間は試合に出られなくてもいいから高いレベルでやってみようと思って決めました。

―ひたむきにという感じですね。ジュビロに行かれて4年やられて….その後はどんな感じでした?

6年半かな….在籍していたんですが、試合に絡んでいたのは4年くらいで後半はケガが中々治らなくて、それでジュビロを契約満了になりロアッソに入団しました。

―だいぶ失礼ですが、僕は市船のスター、カレン・ロバートはプロでもっと活躍すると思っていたんです。世代でも最高レベルの選手だと。平山相太さんとカレンさんって、あの年のスターじゃないですか。

まさにプロの壁ですね。補強の最優先ポジションはFWなので少しでも結果が出てない期間があると高いお金でクラブは補強します。アマチュア時代にはないことだったので、そこの現実を理解するまで時間はかかりました。

実際選手権の得点とかあまり決めていないんですよ(笑) 平山はたくさん決めていて、僕は実際全然決めていなかったですよ!(笑)

―これも失礼を承知でお聞きしますが、プロに入った後、多分周囲やご自身が描いていた活躍にはいたらなかったとおもうのですが…どのような要因があったと考えていますか?

結論、時代のサッカースタイルと合わなかった感じはありましたね。笑い話じゃないんですが、俺すごくヘディングが苦手で。痛いから(笑)FWって、日本代表とか見ていてもそうですけど。中山さん(中山雅史選手)とか岡ちゃん(岡崎慎司選手)とかヘディングがうまいんですよね。当時は4-4-2だったので。クロスから2人ツートップってスタイルが主流で。つまりドリブルとかよりも、裏とか足もとで受けて、落として、サイドからクロスさせてっていう、そういうサッカーだったんです。正直、今の時代のプレイスタイルの方が僕には合っているかなと思いますね。日本代表に出たいと言っても柳沢さんとか黄金期の人たちがいて、代表なんてそう簡単に絡めないし、唯一あそこの世代では4つ上の巻さん・・とかがやっと入れましたね。

―フェンロに行かれた後はどうでした?

日本とオランダサッカーの違いを痛感して、2年ぐらいたってやっとわかってきたくらいでした。あと半年って時にあまり試合に絡めなくなって満了になったんですよね。

―違いっていうのは具体的には?

評価基準が違うなと。「犠牲心」みたいな、チームのために、といった日本の美学に対して、あちらはとにかく自分のエリアで勝つ。攻撃的。組織ではなく個人。要するにオランダリーグはいわゆる育成リーグで、そこからプレミアリーグとかブンデスリーグとかのお金があるリーグに飛ぶんだっていう、そういう周囲の雰囲気に気づくまでが遅かったです。元々行ったときに25歳かな。すでに遅かったんですよ。そこは22~23歳の人たちがキャプテンをやっていて。それだけでも十分日本とは違うんですけど。サッカーの文化も違いますし。そうこうしているうちに契約満了になって。ただ、もうちょっとやりたくて。イギリス行きたかったんですよね。だから代理人もそちらにツテがありそうなオランダ人にして待っていたんですけど、うまくいかずに9月くらいになっちゃったんですよ。タイからオファーが来ていて。まぁ家族も居ましたし、とりあえずオファーがあるならやってみようってことでそっちにいきました。その時に、ぶっちゃけ思いました。第一線から外れたなと。スタジアムに虫がブンブン飛んでいるのを見ていたら終わったな。とその時は正直思いましたね。

―その時はおいくつですか?

27~28歳ですかね。

―でもまだ年齢的には老け込むお歳じゃないですよね?

終わりじゃないですけど、第一線から落ち、日本代表もない。一時的にモチベーションを見失ってしまった時期でした。タイに行った時点でヨーロッパに戻るのは難しいなと思っていたし、クオリティもそうですし間違ったところに来てしまったなという感覚でした。まぁ選択肢もなかったのでしょうがないですけど。

―サッカーで海外と聞くと、欧州ってイメージがすごく強いです。当時、ミャンマーとかタイとか、東南アジアのリーグでプレーしていた選手っているんですか?

猿田さんっていう選手がいて、その人だいぶ前からタイでサッカーやっていたんですが、ものすごい給料が安い中やっていました。なんでそんなお給料でサッカーするんだろうとか思っていましたけど、そのあとタイのレジェンドになって給料も上がっていったって言っていました。

―タイはすごい勢いですよね。どこに住まれていたんですか??

スパンブリ―っていう、バンコクから1時間くらいのところですね。

―正直、行かれた時のオファー面っていうのはどんな感じだったんですか?オランダや日本にいた時と比べてタイっていうのは?

いや、実は今までで一番よかったです。それで(現在経営している)フットサル場を作れたようなもんですよ。

―なるほど…。タイのあとは、ソウルに行かれてインドですよね。お聞きしていると、タイでは結構収入面は安定していた感じですが、その他の国々では?

そうですね、あとは韓国もタイとほぼ同じでした。ちょっと低くなったくらいで、すごくよかったですね。インドはそこそこって感じで。最後の方にまとめて稼いだって言う感じです。

―そうなんですね。ちなみに引退後のキャリアを考え始めたのは?

オランダ時代からですね。出られていない時間が多かったって言うのもあって一人で考えることが多かったんですよね。家にいて考えるのはサッカーのこととか。もう20代後半だったので、その後のことを考えていました。実際に2013年にサッカースクールから始めてみようと思い、最初に始めたのは千葉県佐倉市に作ったのが始まりです。作ってみてまずはやってみようって感じでした。

―いいですね、まずはやってみようって言うところがスポーツマンのマインドですよね。

で、今のところは順調に毎年何かしらイベントが起きてくれているので、上手くいっているのかなと思っています。

―企業勤めとか、就職するっていうのは考えていなかったんですか??

全く考えなかったですね。合っていないんだなっていうのはなんとなくわかっていたので。自分でやった方がいいし、自分が作り上げたいことに対して自由度のある仕組みが欲しかったんですよね。

―サッカー領域でやるっていうのがいいんですよね。

間違いないですよね。サッカー界でも自分のコート持てば勝ちって言うのは昔からあったんですよね。けど作れない人の方が多いので。

―それは初期投資が高いとかそういう感じで・・・ですよね。たとえば、まぁ答えられる範囲でいいんですが、千葉のコートっておいくらくらいなんですか??

4,000万円くらいですね。しかも手元現金がないと建てられないんですよ。Jリーグでやっていると、便利な日本だし車とか洋服とか、食事とかいろいろ浪費しちゃうんですよね。なので、意外と貯まらないって人が多いと思いますよ。海外でサッカーすると車も家もあるので、自動的にお金が貯まるんですよ。あと振り返ると、母親がお金の管理をしてくれていたのでそれはかなり大きかったと感じています。

―ご家族は国をまたいで移籍が頻繁に起こることに、理解は得られたんですか??

まったく気にしてないですね。関心がなかったですよ(笑)家族は浜松に今住んでいるんですがずっと動かないので、別々に住んでいました。俺が家族に会いに日本に行くスタイルです。今も家族が浜松で、僕は千葉に住んでいますが、来年子供が小学生なるので、木更津に一緒に住む予定ですよ。

―引退後の話にどんどん進んでいますが、コートを作られて、主な収益っていうのは、コートの利用料がメインですか?

メインはスクール料ですね。あとはクラブ。ジュニアユース。あとはフットサルの大会とかですね。

―集客というか、生徒さんはどうやって集めたんですか??

本当に縁もゆかりもないところにポーンと作ってしまったので、OPEN当時はお客さんが来るかどうか心配していましたが、無料体験を多くして僕らがどんな組織かわかってもらったり、お客さんとのコミュニケーションをしっかりとったりしてとにかく僕らが何者かを知ってもらうとこからのスタートでした。そうしたら数ヶ月で80人くらいが体験に来てくれて。嬉しかったですね~あの時は。ですので、最初から赤字がなかったです。

―初期投資による赤字がないのは、ビジネスとして素晴らしいですね。

最初、スクール事業は2~3人スタートで苦労されるって話もよく聞きますが、イオンの敷地内にあるっていうのがまたすごく大きくて。広告出してくれるのもそうなんですが、もともと利用されていたお客様が見るわけですからね。

―今後の展望はどうお考えですか??

正直サッカースクールと施設運営だけでは拡大出来ないっていうのはわかっているので、自施設によるサッカーチームの合宿受け入れとか、サッカー留学支援とか、+αで色々とやっていこうって考えていますね。留学支援はツテがあるのでイギリスでの留学を考えています。色々施設数自体も増やしていこうって思っています。

―商業施設の中っていうのはすごくいいですよね。

そうですね。そこがすごくポイントですね。家賃交渉さえうまくいけば、どんどん増やしていきたいです。

―フットサル成功要因は、子供と女性もプレーしやすいってことですか?

それもありますし、モールなどの商業施設からしてもネットスーパーが増えている中で、集客できる導線が出来るって言うところがよかったんだと思います。僕らはまだサッカー環境が整ってないところに施設を作っているので。そういう地域ですと夜になると照明が付かないところも多いので、そういう面では沢山来ていただいていますね。

―使ってくれる方の属性というのは?

お子さん、大人の方。大人の方は主に仕事終わりのお勤め人ですね。近くに新日鉄があるので、仕事終わりに来てくれたりしますよ。

―千葉から出ずに、狭い地域に集中的に出店していくのは、戦略的には勝ちパターンですね。セブンイレブンが有名です。オペレーションコストも下がり、ブランディングもしやすい。

ほ~。まったくそういうことを考えずに作っていましたけど、千葉から出る気がなくて(笑)

―社員は何名くらいいるんですか??

今は僕含め7名であとバイトを何名か雇っています。今度合宿施設を作ったりすること考えていかないと強いクラブを作っていけないのでプラスアルファで何か事業を増やすためにも人は採用したいですね。

―当社からもスポーツ人財を採用してください(笑)

―本日は面白いお話をお聞かせいただいて、本当にありがとうございました!色々な方とお話させていただく機会が多くて、実際プロスポーツを引退されたあとのセカンドキャリアに悩まれている方ってすごく多いんですよ。飲食店か不動産投資をやられる方が多いですし。あるいは、就職したものの、現役時代に輝いた方々なので、プライドやそういうものが邪魔してしまうケースもある。そう考えると、地に足着いたビジネスをやられていて、しかも赤字を1度も出したことないというのは、率直にすごいですよ。カレンさんみたいな方を増やしたいと思いますし、そういう方々を増やせば、学生アスリートがスポーツを続けることにもっと臆病じゃなくなるので、スポーツの活性化にもつながると思っています。

サッカーの人たちがそうやってセカンドキャリアを作ることで、いろいろ受け入れ先も増えますからね。僕も様々勉強になりました。ありがとうございました!


今回は、コロンビアに勝ったタイミングでの公開となりました!

スポーツが持つ可能性って本当に無限大だなと感じています!!次回は、超有力アスリートを輩出し続けるある企業の方のインタビューです!お楽しみに!!

2018.6.21 スポーツフィールド 鶴巻

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