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「東京オリンピックに行かなければ」義務だった陸上競技から、人生で欠かせない大好きな陸上競技へ。二度の大きな挫折は人生のターニングポイントだった。

プロフィール

南野 智美(のうの ともみ)

小学校の時に陸上競技に出逢い、現在も競技を継続。大学卒業後、スポーツフィールドの経営理念に惹かれ、新卒で入社(19卒)。入社後、新卒事業部として本社(東京)にて活躍中。

競技成績

小学校時代の最高成績 

山口県大会優勝(100M)全国大会出場

中学校時代の最高成績 

ジュニアオリンピック (幅跳び) 優勝

高校時代の最高成績

日本ユース 優勝(400H)

大学時代の最高成績 

全日本インカレ準優勝(7種競技)

-南野さん!新卒で入社して半年が経ちましたね。新入社員(19卒入社)では初のインタビューです!よろしくお願いします!

新入社員初なんですね。緊張します…。よろしくお願いします!

-さっそくですが、陸上競技をはじめたのはいつですか?

陸上競技をはじめたのは小学校3年生の時です。小学校6年間は、男の子たちに混ざって野球もやっていました。

私の父は野球が大好きで、母もソフトボールをやっていて、元々は野球一家でした。野球チームの中で走る練習が多くて男の子よりも速かったのと、ちょうど地元に陸上チームができて、興味本位で入ってみたのが陸上を始めたきっかけです。

むしろ小学校は野球をメインでやっていました。

-社内では【南野さん=陸上】というイメージが浸透していますが、はじめは野球がメインだったんですね。陸上の競技種目は小学生から細かく分かれているんですか?

分かれています!ただオーソドックスなものだけなので、100M・走り幅跳び・高跳びとか…。皆が知っているような種目だけですね。

-南野さんは何の種目をやっていたんですか?

初めは100Mをやっていました。初めて出た山口県の大会で優勝してしまいまして…(笑)

-え、いきなり優勝?

100Mはそこから勝ち続けていて、100Mだけじゃ面白くないと思うようになり、幅跳びを始めて、野球をしていて肩も強かったのでソフトボール投げ(※陸上大会の正式な種目)も始めました。

-何をやっても結果が出そうですね!いつから陸上競技一本に?

中学校進学のときに、野球は辞めました。小学校6年生のときに陸上の全国大会予選の幅跳びで初めて負けたんです。

それまで陸上を始めてから1回も県内で負けた事なかったんですけど…(笑)

-え?負けたことなかったんですか!!!!

はい。なので、その負けが本当に悔しくて…。

ソフトボール投げでは全国大会に行きました。ただ、本命だった幅跳びで行けなかったので本当に悔しくて、中学校進学時にソフトボールの誘いとかもあったんですけど、全部断って陸上一本でやっていくことに決めました。

-では、中学校では小学生の最後に悔しい想いをした幅跳びに力を?

そうですね。やっぱり幅跳びへの想いが強かったので…。1年生の秋のジュニアオリンピックで優勝して幅跳びで日本一になりました!

同時に4種競技も中学校ではじめて、県で優勝して中国大会で3位になりました。4種の方が色んな種目が出来て楽しいと思うようになりました。なので、2年目からは4種競技をメインにやっていました。

-何をやっても結果が出ていたんですね。中学生時代の競技成績を教えてください!

1年生 

ジュニアオリンピック (幅跳び) 優勝

2年生

全中出場 (4種競技・100H) 

ジュニアオリンピック (100H) 準優勝 

3年生

全中 (4種競技) 準優勝

山口国体 (100M YH) 6位

ジュニアオリンピック(100M YH) 準優勝 

大阪室内陸上 (60H) 優勝

-すごい…(驚)ちなみに高校は…

高校は、

1年生

インターハイ6位(7種競技)

2年生

インターハイ3位(7種競技)

全国選抜大会優勝(7種競技)

日本ユース 優勝(400H)

日本ユース 8位(走幅跳)

3年生

インターハイ3位(7種競技)

長崎国体7位 (400H)

ですね。

高校は山口県の西京高校出身です。陸上競技部は完全寮生活でした。門限は18時でした(笑)高校はほとんど遊んだ記憶は無く、勉強と陸上しかしていませんでした。

寮も学校の中にあったので、帰り道に寄り道して何かを食べるとかとても憧れていました。

-門限18時…早い。文武両道!素晴らしいですね!

部活以外の時間は基本ずっと勉強していました。授業の合間や練習の前後、夜ごはんを食べてお風呂に入ったあとも、授業の予習・復習したり…というのをほんとに365日やっていました。

ほんとに修行の高校生活でした。クラスで成績の順位が出るんですけど、一番最初にクラスで1番を取ってしまって、そこから譲れない状況が続いて、必死に勉強しました。

-何でそんなに勉強も頑張れたんですか?

中学生のときから早稲田に行きたい!という夢があったんです。

自分の種目とは全く関係ないんですけど、箱根駅伝を小さい時から観ていたんです。ちょうど大学駅伝で早稲田が3冠したときでした。

その時のえんじ色のWが一際輝いて見えて、このユニフォームを着て走りたいなと思ったのがきっかけです。

最初は憧れ程度だったんですけど、早稲田を調べていくうちにスポーツをするだけではなくて、スポーツについて体系的に学べたり、本当に自分がしたいことだなと思いました。その時から本気で早稲田を目指すようになり、勉強にも力を入れるようになりました。

-素敵なきっかけですね。早稲田に行くという夢はしっかり実現していますね。

早稲田以外は受けていないんです。早稲田へ行けなかったら働こうと思っていました。

それくらい想いが強かったです。

-実際憧れの早稲田に入ってみてどうでしたか?

ほんとに入れて良かったなと思います。早稲田に入るまで『勉強も部活も頑張る良い子』でいることに必死で、まわりのイメージを崩すことが怖かったんです。自分自身に自信はなかったので、褒められることに違和感もありました。

早稲田では、競技や私生活の面でもたくさんご指導いただくことがあり、それがとても嬉しかったですし、気づきがとても多かったです!いっぱい怒られました(笑)

部活の中で「人としてどうあるべきか」というのをすごく問われ続けた4年間でした。

-大学の成績は…

1年生

関東インカレ 3位(7種競技)

全日本インカレ7位(7種競技)

日本ジュニア7位(400H)

2年生

関東インカレ3位(400H)

全日本インカレ5位(400H)

3年生

全日本インカレ 準優勝(7種競技)

4年生

関東インカレ3位(7種競技)

日本選手権8位(7種競技)

全日本インカレ準優勝(7種競技)

-インカレ常連ですね…。ほとんど入賞してる。大きな挫折経験はありましたか?

挫折は大きく2つ経験してます。高校2生のときと大学3年生のときです。

高校2年生のときは父親を亡くしています。ほんとに急すぎて理解が追いつきませんでした。「何で陸上やってるんだろう?」と考えた時期もありましたが、チームメイトや周りの方に支えられ、なんとか気持ちを持ち直しました。

ただ、どこかで「東京オリンピックに行かなければ」というのが染みついてきて、楽しかった陸上がだんだん義務に変わってしまっていました。

-そんなことがあったんですね…。二つ目は…?

二つ目は、世界で戦うために「400Mハードルで勝負しよう」と思い、1年生のときに一度混成競技を辞めた時です。

高校から大学まで1秒記録が伸びたんですけど、そこからまた1秒記録を伸ばさなきゃいけない状況でした。もし切れなかったらどうしようという不安の中でたくさん練習してたんですけど、なかなか結果がでませんでした。本当につらかったですね。

考えすぎて寝れなくなってしまって…、視野がどんどん狭くなって、どうやったら速くなるんだろうと考えたときに、「女の子は軽くないと」と思うようになって食べたもの全部吐いちゃってました。

とにかく体の異変がいろいろあって、全然走れなくなり、全国の予選すら勝てなくなりました。こうやって人は消えていくんだと思いました。「陸上の出来ない自分の存在価値って何なんだろ?」「生きてても意味無いんじゃない?」と思ってたのが大学3年生のときでした。

-そんな挫折があったんですね。どう乗り越えたんですか?

「自分が本当に陸上好きなのかな」と考える機会が増えて、そのとき結果は全然出てなかったんですけど、「やっぱり陸上が好きだな」と確信に変わりました。まわりの目とか一切関係なしに、「陸上がしたい!」と心から思えたので復活しました。そこからは体調を崩すこともなく、結果もしっかり残せました。

あとは、大好きな陸上を通して「観ている人も笑顔にしたい!」という想いが強かったですね。この挫折の経験がなければ、私は一生義務の陸上をしていたと思いますし、陸上が嫌いになっていたかもしれません。なので挫折でもあり、ターニングポイントでもあったと思います。

-決意表明で「陸上が大好き」と話していた裏側にはこんな経験があったんですね。

-南野さんの就職活動はどんな感じだったんですか?

自己分析をはじめたときに、自分の感情が動くときってこれまで全部陸上だったんです。私の人生で陸上は外せない、と思うようになりました。

どうやったら働きながら陸上を続けられるかを考えはじめたころに当時のスポナビ担当スタッフでもあった川村さんに出逢い、他の企業も見てはいたんですけど、スポナビも採用している話を聞いて受けることになったのがスポーツフィールドとの出逢いです。

-スポーツフィールドを選んだ決め手はなんだったんですか?

川村さんが本当に親身になって話しを聞いてくださったのと、スポーツの可能性を広げるという経営理念に惹かれたのが決めた理由ですね。自分が陸上を続けることで、デュアルキャリアの体現に挑戦したいと思いました。

もうひとつは自分自身それなりの経験はしてきたと思っているので、同じように悩んでいる後輩とか、一緒に走りながら寄り添って、何かきっかけ作りを自分が出来たらと思うようになりました。「私が入るのはここや!!!」となりました。

早稲田に進学すると決めたときもそうだったんですけど、ここと決めたらそこしか見えなくなる性格なので、SFに出逢って、ピンときてそのまま突っ走りました。

あとは、会社全体が陸上を続けることを応援してもらえることですかね。ここきて良かった!と思います。

-今の練習スケジュールを教えてください!

平日は競技場が取れないので、基本的には家のまわりを走ったり、家にあるウエイト器具を使ってトレーニングしたりしています。平日は朝と仕事の後に走っています。朝は、4時50分に起きて、5時にスタートして、6時までに終わって、そこから仕事行く準備して…。というのが毎日のルーティンです。土日は競技場で練習しています。拠点は特に設けてなくて、仲の良い後輩達の大学で練習させてもらっています。

ケガもしていたので、まだリハビリ中なんですけど、来年6月の日本選手権出場も目標に頑張っています!

-部活の延長のようにハードな毎日ですね。これぞデュアルキャリアの体現。

-SFで今後やっていきたいことはありますか?

会社で陸上部を作りたいなと思っています!部員募集中です(笑) 将来的にはスポーツフィールドやスポナビの名前を背負って走りたいと思っています。私が名前を背負って走る事で、陸上を通して名前を広げられるという可能性を感じています。

スポーツの楽しさや価値を広げたいというのが自分自身の目標です。

中でも陸上が大好きなので、子どもたちに陸上教室もやっていきたいと思っています。

キツいときとかもあったんですけど、小学生の頃のとにかく走る事が楽しかったという印象があったからここまで頑張れたんだと思っています。なので、いろんな感情が入ってくる前に「楽しい」という感覚を子どもたちには知って欲しいです。

あとは、海外では混成競技が「キングオブアスリート」って言われていて、人気なスポーツなんです。日本でまだまだ混成競技の人口も少なければ、認知度も低いので。そこを小学生のときにいろんな種目しながら、混成の楽しさも知ってもらって、広めていけたらと思っています。

-最後に!仕事の中で意識していることは?

一つひとつ、なぜその業務をする必要があるのか意味を考え、意識することは、陸上も仕事も同じだということです。なんでも「楽しい」に変えるのは得意です。

私自身、体育会の子たちにすごく力はあると思っていて、魅力もあるし、絶対負けないものを持っていると思います。スポーツって人の心を動かすことができるんです。その魅力を企業さんにも伝えていきたいですね。

-南野さんの陸上を通しての様々な経験があっての今の南野さんだとインタビューを通して感じました!スポーツの可能性を広げていけるように頑張りましょう!本日はありがとうございました!

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