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「創業の想い」そんなものはありません。

いつ創業したのか?

ボクが一人で創業したのは今から24年も前30歳のときでした。

ちょうどバブル崩壊と叫ばれた1991年から間もない1992年創業です。

世の中はものすごい不況だったように思います。

なぜ創業したのか?

バブル当時、尊敬していた先輩が立ち上げた会社に参加していましたが、

バブルの崩壊とともに見事にぶっ飛んでしまいました。

自分は1990年に結婚していたので、その日喰うメシにも困るようになっていきました。


崇高な理念や、成し遂げたいビジョンなど、そんなもんはかけらもありませんでした。

起業はしたいと思っていましたが、

まずは今日のメシを喰わねばならず、今思うと、のんびりした時代だったのかもしれません。

1992年ですから、まだインターネットは世の中に出てきていません。

電話回線を使ったパソコン通信が始まったくらいだったと記憶しています。

それでどうなったのか?

大阪中の会社を飛び込みで回りました。

「何か仕事ください!」と。

「この名刺作っといて!」「このチラシ作って!」「この広告出して!」・・・

と気がつけば200社くらいのお客さんが出来ていました。

不眠不休で働いたことを覚えていますが、1年位したころ、このままではカラダが潰れるな~、死ぬな~と思い始めました。

知り合いを通じてスタッフを2名採用しましたが、給与を払うのが精一杯で自分の給与は2年間1円も取れませんでした。

2年間も家内に喰わせてもらったので、今でも頭があがりません。

転機が来た!

創業してから2年が過ぎたころ、メンバーは3~4人で営業活動をしていました。

あるカタログ通販をやっている中堅程度の会社から1冊/200ページくらいの「通販カタログを作ってみないか!?」

という話をいただいたのです。

ただし、印刷までやらないといけない。

しかも、集金はその会社の支払い規定どおり納品1ヶ月後の支払い。

(今なら絶対にやらないと思います)

総額で1回あたり印刷代金も含めると4,000万円近い売上になり、当時の我々にとってはバカでかいお金でした。

そのときばかりは、グラフィックデザイナーの事務所に毎晩泊まりこみ、徹夜続きでいっしょにデザイン作業をしていました。

印刷会社の工場にも入り込んで、いっしょに手伝っていたこと覚えています。

ほんとうに多くの皆さんに助けられてそのカタログ作りに1年に2回、3年間担当したのでした。

「信頼」ということをカラダで覚えたかけがえのない思い出ですが、

残念ながら、そのカタログは3年後に廃刊になりました。

もし、その通販会社から集金出来なかったら「死んでお詫びしよう!」とバカなことを本気で考えていました。

何がツライって、集金できないことほどツライことはない

カタログ作りに合わせてメンバーを10数人程度に増やして、内部でも制作するようになり、徐々に力をつけていきました。

しかし、与信管理などしていませんから、

集金できない案件が多発していったのです。

それまであまり人を疑うことを知らなかった自分は、この頃の2~3年ほどは人生で一番つらかったのだと思います。

発注書をもらい、約束してもらって、満足もしてもらっているのに、

集金できない、払わない、というよりも「払えない」ことの方が多かったかもしれません。

「騙されるということはどういうことか」身を持って覚えたのがこのときでした。

おかげで、弁護士の先生とはまるでパートナーほども仲良くなり、

あの手この手で回収を試みたものでした。

合計数十回も騙されたり裁判したり内容証明送ったりしたと思います。

それ以降、ボクを騙せる人はこの世に存在しません、と思えるほどです。

このツライ経験以降、回収できなったかった案件など一度たりともありません(与信がきっちりしているだけですかね)

初めて「ホームページ」をつくった

創業して3年目の95年には法人登記をして株式会社となり、新しく広い事務所も借りて、10数名のメンバーになっていたと思います。

そのころWindows95というのに出会い、これはいったいなんぞや!?と興味津々に見ていたことを覚えています。

その後、ある小さな警備会社から「キミのところはホームページというのを作れるのかい?」と聞かれ、

「もちろん出来ます!!!!」と勢いで応えました。

本を買ってきて、スタッフといっしょにソースを書いてみて、「ページが出てきた!出てきた!動いた!」と興奮していました。

Windows98あたりから、「これはインターネットの時代になる!」「こっちのほうが断然オモロイ!」と思って

Web制作に特化していきました。

回り同業者は、旅行予約サービスやECポータルなどのサービスを立ち上げていくネットベンチャーも多かったのですが、

ボクは、いろんなお客さんに会って、戦略を聞き、いっしょになって一つのものを作り上げていくことが楽しくて楽しくて、受託を辞められませんでした。

後悔などしていませんよ。

今も受託に誇りを持って取り組んでいます。

これほどオモロイ仕事は世の中にありませんし、成長させてくれる仕事もありません。

(その分、しんどいのも事実です)

理念が生まれたのはこのころ

「会社なんか潰れても、自分で勝手に幸せになれるようにスキルを身に付けてや!」

という想いは、創業からまさに苦楽を共にしてきたメンバーに対して、ボクに出来る最低限の報いだと思うようになっていました。

そのことが、今もそのまま「理念」として

TAMスタッフのそれぞれの想いに刻まれていると思っています。

(ちなみに創業メンバーもまだ居てくれていますが・・・)

-----(TAM理念)-----

TAMの考える「幸せ」とは、

たとえどんな時代や環境になろうと、万一会社がなくなろうと、

自分らしく生きていける、周りから求められる、「自信」と「自由」を手に入れることと考えています。

そのためには、自らの強みを活かし、弱みを補う術を身につける必要があります。


自分の幸せは、自分で手に入れる

会社や誰かが幸せにしてくれるのではない。

幸せは自分の手でしか掴めない。

会社と個人、両者の幸せはお互いが必要な関係を続けられること。

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本来は、もっと社会に向けて役に立つこと、社会をより良くすること、外向けに考え直せ、と何度も言われましたが、

自分にはこれが身の丈にあった理念でした。

いっしょにやる仲間が、自分で勝手に幸せを掴む、

そういう会社にしたいと今でも強く思っています。

勘違いしてならないのは、

「会社があなたを幸せにする」そんなおこがましいことを一度も思ったことはありません。

与えられるものではなく、自分でしか掴み取れないもの、それが、それぞれの「幸せ」ですね。

だから会社はそういう「場」にならなければならないと。

これからのTAM

ボクはもうあまり現場にでていませんが、

リーダーが立派に育ってくれました。

皆、ある意味、好き勝手にやっています。

自分でやりたいことをやる、

「勝手にやりなはれ」がTAMの基本です。

遠くない将来、未だ見ぬ次の社長にバトンタッチしていきますが、

事業のカタチ、AI時代の働き方、いろんなことが激変していく可能性が高いと予測しています。

変化するのは痛みを伴いますが、その分オモシロイのです。

変化のないビジネスなんてオモロイですか?

強いものが生き残るのではなく、変化に対応できるものが生き残ると考えると、

「勝手に幸せになりなはれ」というTAMの理念はいかようにでも変化に対応できる個人になってください、ということでもあるのです。

自分で考えなければならない、企業の歯車になっていてはいけない時代が目の前まで迫っているのでしょうね。

時代や環境はこれから激変していく、今はまさに過渡期だと思いますが、

「勝手に幸せになりなはれ」というTAMの理念は変わることがないと確信しています。

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