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残業のお話 その2〜日本文化の観点から〜

前回、残業をマネジメントの観点で眺めてみて、日本的な複雑・不明瞭・不明確なマネジメントスタイルでは本質的には残業はなくならないのではないか、という話をしました。この記事が思いの外、反響を得まして、WantedlyのDaily Rankで3位、Monthly Rankでも未だ8位に残らせていただいてますm( )m


さて、今回は、そういうマネジメントスタイルをしてしまう、そしてそういうスタイルを受け入れてしまう日本人の性というか、有り様について、もう少し深掘りしてみて、そこから改めて残業のことを考えてみたいと思います。


僕は、欧米とのマネジメントスタイルの違いをもたらす一番の理由は、自我の持ち方の違いだと思ってます。まったくもって違います。

欧米は、自我を鍛えに鍛えて400年、もう鋼みたいになってます。僕のイメージする欧米人の自我はこんなんです↓↓



ご覧の通り、ちょっとやそっとじゃ折れないし曲がらないっす。ただ、これは単純に頑固で自分勝手というわけではなく、自分のことも相手のこともいろいろ考えた結果、熱して叩いて冷やしてを繰り返してここまで揺るがない確固たる存在になってるようです。

うちの会社は大半が海外の方々ですし、東京オフィスにも常時外国人がいます。彼らと話すとわかります。自我、ちょー強いっす。ワガママという意味じゃなく、周りに動じない確固たる自分がいるという意味です。「ビールで」「じゃあ僕も」「右に同じで」「ロングアイランドアイスティー、プリーズ」ってなります。オーダーくらいならまだ可愛いもんですが、仕事に対しても同様なので、マネジメントはほんと大変です。隙を見せられないです。僕は見せまくってますけど。


翻って日本人の自我はどうか?なんかもう、バーバパパやスライムみたいな、いや、外部の意思の吸収力の半端なさからするともっと境界線のない、あ、宇宙ステーションの実験でよく出てくる宙に浮いた水滴みたいな感じですね。


こんな感じかと。もうなんか、自我として存在しているかどうかも怪しいですねww もう一滴近づいてきたら混ざっちゃうわけだしw (個人的には、これぞ人類のあるべき姿だと思ってます。)

でもこれが冗談でもなんでもなく、民族の精神性を一番表す「言語」において、この日本人の自我の不明瞭さがほんとよく現れてます。

日本語の人称名詞の相対性についてはよく言われますよね。相手によって一人称名詞も二人称名詞も変わる。全然確固たらないです。。そしてもっと衝撃的なのは、同じ言葉が一人称にも二人称にもなるときがあることです。

「なんだテメー」「自分はどう思うん?」「何ぬかしとんじゃワレ」

テメー(手前)も自分もワレも、もともとは一人称ですが、上記の文脈は全て二人称として登場してます。もうここまで来ると外国人からするとわけわかめすぎてやる気なくなりますorz

ここまで人称にいい加減なのは、まさに宇宙ステーションの水滴のごとく、確固たる自分がないどころか、自分が周囲に溶け込んじゃうレベルにまでなっちゃってるってことじゃないかと思います。

こんな日本人だから、常に周りからの影響を受けまくります。

ビジネスの観点で社会を階層化すると、

個<部課<会社<顧客<社会(世間)

こんな感じかと思いますが、個(=自我)があやふやな日本人は、上位階層に心の芯まで巻き取られちゃいがちです。滅私奉公や神風特攻隊の世界ですね。

体制側の人はあえて言わないんだと思いますが、実は階層の上の方にいる人からすると、ぶっちゃけ、こんなに楽に制御できる民族はいないんです。残業はしてくれる、文句は言わない、退職もしない。(僕も外国人の部下ができるまでこのことに気付きませんでしたが、どうやら外国人は前々からこのことを知っているようで、よく日本人の部下が欲しいといいます。怖いですねー。。)

だから、前回伝えたような日本式の雑なマネジメントでも通用するんです。「君、これも今日中に頼む」と言えば「イエッサー」と言ってくれるわけです。社内なのに「俺への説明資料を用意して」と言えば作ってくれるわけです。

これは、顧客と会社(自社)との関係性でも同じです。顧客からすれば「これも今日中にお願いしますね」と言えば「イエッサー」と言ってくれるので、ちょー楽です。

そんなこんなで、多重階層間におけるムリ・ムダ・ムラのミルフィーユができあがるわけですね。残念ながら、こんなんで残業をなくすの、ムリゲーです><

これ、欧米、というか日本を除く大多数の国ではどうかというと、

個=部課=会社=顧客=社会(世間)

なんですよね。

個が鋼の球みたいになってるから、常に上位階層と対等にガチにぶつかります。社内どころか、客に対しても言いまくりまくりすてぃーです。僕がTigerspikeに入って一番衝撃を受けた言葉は、東京の立上げの頃、案件の立て直しに来てたイギリス人が、18時過ぎに来たお客さんからのメールをスルーしようとした時に言った、

「俺は18時までやれるだけのことをやった。これで受け入れられないなら、うちの客じゃない

という一言です。その時は、青ざめた僕がなんとか説得して対応してもらいましたが、僕にとって人生で初めて、顧客という存在が相対化した瞬間でした。

僕にとって、その時から徐々に顧客が天界から地上に降りてきて、今では完全に、肩を組んで歩く存在になってます。

さて、このように、階層間の関係性がイコールで結ばれるようになるとどうなるか?

●所属を前提としない個の生き方を確立するので、プロ化しやすくなり、質が上がります。

●個が会社に対して自分の権利を明確に主張します。会社側も個が自分に従属してくれることを期待していないので、その主張に対応するために、制度設計をきっちりします。なので、前回話したJDは、Nice-to-haveではなくMust-haveなのです。

●顧客に対しても自分たちのやり方や考え方、かかる時間などを明確に伝えますし、顧客の考えであっても違うと思ったら否定します。プロとして、制約を受けずに発言するので、よりよいものができる可能性が高まります。

●「顧客がうちを選ぶとともに、自分たちも顧客を選ぶ」と思っています。なぜなら、取引とは価値の等価交換だからです。お金という価値を渡すのか、製品・サービスという価値を渡すのかの違いでしかないと思ってます。

●余計な馴れ合いがなくなるので、付加価値の少ないものから淘汰されていく傾向が強まります。それにより、社会全体として強くなる方向に向かうことができます。

●階層間に上下の別がないので、より健全で建設的な議論になりがちで、結果、より良い結果が生まれる可能性が高まります。

このようにして、無駄なく、建設的に、良い結果が生まれるサイクルが出来上がりやすくなります。

日本が本質的に残業をなくすには、たぶん上辺だけでマネジメントを変えるだけでなく、このような文化レベルの変更まで持ってこないと、競争に勝つのも残業をなくすのも厳しいかなぁ、と思います。

ただ、実は同様の理由から、トップダウンの残業禁止はものすごく効果をもたらすとも思っています。なぜなら、さっき言ったように、日本人は上位階層に心の芯まで巻き取られるので。クールビズのごとく、客先だろうと、「国が言ってますからねぇ」と言えれば鋼の心がなくても動けます。本質的ではないですが、まあそれはそれでやってみるのがいいかと。


さて、なんか前回、今回と欧米は良くて日本はダメみたいな感じで書いてきたので、なんとなく僕が西洋かぶれな人のように思われちゃってるかもしれませんが、僕は、日本人は世界最高の民族だと思っています。

じゃあなんでこれだけ欧米欧米言うかというと、残業の話って、もとを辿れば、欧米が作った、グローバル資本主義競争に端を発していると思うからです。彼らの土俵で戦わなきゃいけないんだから、当然彼らの方が優れてるに決まってます。僕は、100年後には、この競争が根底から壊れ、日本人の崇高さが世界を救うことになるだろうと、本気で思ってます。ただ、それは100年後の話なので、残念ながら今は、そこまで優れてるとはいえない西洋的近代的自我を、煮え湯を飲むかのごとく、日本人は取り入れなければいけないと思っています。


ちなみに、なぜ日本人は自我がこんなにあやふやなのかについては話すと長くなるので今回はあまり触れないですが、僕の考えでは、1. 地震や噴火など、自然が圧倒的すぎて自分を絶対視しにくい土壌、2. 1に伴う仏教的無我への憧憬、3. 島国ゆえの、歴史的な自我へのチャレンジの少なさ、あたりかな、と思ってます。まあ、多分に養老孟司先生の影響を受けてますが。


さて、次回はいよいよ三部作(今決めたw)の最後、「残業のお話 その3〜個人の観点から〜」をお送りします。

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